12月1日(火)

今日は地元の大学病院で診察を受けることになっている。朝、ユウキを自転車で保育園に送り届けた後、そのまま病院に直行した。

その甲斐あってか朝8時半の開院ピッタリに到着し、受付をスムーズに済ませることができた。
だが、外来患者は優先順位が低いのか、朝イチで受付したのに、皮膚科外来の窓口から名前が呼ばれたのは約3時間後の11時20分頃だった。

診察室に入ると、今回も女医さんが担当(皮膚科は女医さんが多いのだろうか?)であった。
紹介状を渡しているからか、ザックリと状況は伝わっていて、患部を露出させるようすぐに促された。

そこからのやり取りは、昨日の診察の写しのようだった。患部を露出させるや否や、女医さんの表情がサッと曇り、スコープのようなものを使って患部の色合いや隆起の具合、いつからの症状なのかの確認が行われた。

その後、女医さんは静かに立ち上がり、隣の診察室にいるベテラン男性医師に声をかけて「メラかもしれない、見てくれないか」と一言いった。
それから、ベテラン男性医師が隣の診察室からやって来て、僕の露出された患部を見るなり「あ〜、これはウチで時間をかけてはダメだ。まだ若いから早いかもしれない、すぐに慶応にとりがないと。」と言った。

このとき、物凄く重大な話をしているということは、素人の僕にでもすぐにわかった。
メラという単語は、この場で最も聞きたくない単語だったから。僕は、事前にある程度ネットで調べてしまっていて、メラノーマが悪性腫瘍、ガンを指すと知っていた。
そして、慶応大学付属病院が、関東圏でトップレベルの医療レベルを有しているということは妻から常々伝え聞いており、そこを紹介されるということと、どれだけコトが重大であるかを示唆しているように感じられたからだ。

それから、ベテラン男性医師が女医さんに「まだ若いんだから、頑張れるよ」と言っているのが、続けざま耳に入ってきた。

このとき、医師同士の会話を横で聞いている状態だったが、僕は実質的にガン告知されたも同然に受け止めていた。

息は絶え絶えでゼエゼエとし、口の中はカラカラ、ゴクリと頻回に空気だけを呑み込む音が大きく感じられていた。目はあけてはいても、どこにも焦点が合っておらず、ただただ、沢山の疑問だけが心の中に押し寄せてきていた。

なぜ、これまでカラダを壊したことがなく、入院経験もないのに、いきなりガンになるのか。
昨年の健康診断だって何ともなかった。人間、最後はガンにかかるにしたって、最初にかかる病気がガンってのはひどすぎる。
まだ31歳で、小さな子どもがいて、これからしてあげたいこと、やりたいことがいっぱいあるのに。
ただでさえ共働きでの育児が大変で、妻に大変な思いをさせているのに僕がガンになってしまったら、うちは一体どうなるのか?

それから、

何か、ガンになるだけの悪いことをしたのか?
日頃の行いが良くなかったのか?
それとも食生活が悪かったのか?といった、
様々な思いが去来し、頭の中はメチャクチャだった。

情けない話、このブログを書いている今でも、このやり取りを思い出していると、呼吸が浅くなってゼエゼエとしてしまうくらいには。


それから、女医さんから鼠径部の触診を受け、触診レベルではリンパの異常や気になる箇所は見当たらないとのことと、これから精密検査のための紹介状を書くので、改めて慶応大学病院の診察にかかってほしいと伝えられた。

このとき僕は、妻が都内の大学病院に勤めているので、そこで診察を受けることは可能ですか?と聞いたところ、たまたま妻の勤めている病院にもメラノーマ関係を専門にしている教授が居るので、可能とのことだった。

今はどの病院も新型コロナウイルスの影響で、一旦入院してしまうと家族でも面会できないと聞いており、今後、長い闘病生活になる可能性も踏まえると、妻の勤務する病院にお世話になったほうが良いと思われたため、慶応大学病院ではなく、そちらの病院への紹介状を書いてもらうこととなった。

ただ、今日はもう外来の診察が終了していて、受付けられないとのことなので、明日の朝九時半に改めて診察を行うこととなり帰宅した。

明日は、妻の職場で診察を受けることになる。専門の教授からは、今日以上に厳しい言葉も出るかもしれない。

全く気持ちの整理がつけられない。「死」に直面することがこんなにも辛いもので、こんなにも急にやってくるものとは思っていなかった。


※ 11月29日から12月1日に至るまでの日記は、今日の初診の後、備忘録として書き記したもの。
 12月1日以降の日記は、僕が死んでいなくなってしまったとしても、何にもなせなかった自分のかわりに、妻やユウキに形に残るもの(記録)を残したいという思いを込めて、書き記すこととしたい。