この絵は、大学時代、ガイドヘルパーをしていたときの、年上の女性であり、知能は2歳児程度の利用者さんをモデルにして描いた絵です。
増えていく蝋燭と、止まった知能。周りの支えの手が、時に爪痕にもなる。と自戒もこめて。
一生付き纏い、一生付き合っていくもの。それが発達障害です。
前編では私の辛い学童期と思春期、そしてそれが与える影響、私の思うざっくりとした教員の在り方、などなど。
ADHDと学習障害を持ち、
二次障害として統合失調症(寛解済み)、
摂食障害(寛解済みであるものの、吐き癖が残る、そして、吸収率がおかしくなり、今では45キロだった体重が75キロに。)、
醜形恐怖症(完治済み)
躁うつ病(現在進行形)
などなど…
わたしは衝動性と不注意が優位なので、
例えば、借金をしてまで買い物をしてしまったり、
リストカットを思いつきでしてしまったり、
上司や職場のグループラインで空気を読まないアドバイスや豆知識を披露して干されたり、
身の丈に合わない散財(メンズコンカフェ、所謂ホストの廉価版で毎晩シャンパンを下ろしていたことがあります、しかも、その男が好きなわけでもなく、シャンパンを下す自分、キャストに気遣いをし、綺麗に遊ぶ自分が好きでした。)
部屋はゴミ屋敷。片付けといわれてもどうすればいいのかわからない。片付けても片付けてもどんどん散らばっていく。
マルチタスクができない。
出る杭は打たれる。
これまでの数々のバイトで何度も何度も思い知らされました。
考え事や、その考えを纏めるのが得意な私は、販売職ではなぜ売り上げが下がったのか、グループ店舗全体を見通した見解やその対策を練り、上司に送ってみたり。そして、自分なりに販売職を研究し、売り上げ一位へと持っていきました。
しかしながら、精神的な不調を引き起こし、休みがちになり、まとまった休みが欲しいと言ったところ、
「上の人間が、障害だなんて聞いてないと、頑張ってくれたのにごめんね。」と、上司からの電話で首を切られました。
最初から障害ゆうてたら、雇用を続けたんか?
てか、それ採用せんかったよな?
と。
とある飲食店(シーシャ屋)では、シーシャにこだわりすぎて、グループラインにクソデカ知識をブチ込みまくり、上司のしていることに対して、「それって根拠があるんですか?」と聞き、また違う上司とは真っ向から喧嘩を買って、煙たがられ、干されました。
要するに、この国のみんなは、突出したものはいらないから、みんな仲良く足並み揃えて現状維持。を求めています。
そんな私を救ったのは、夜の仕事と就労支援施設。
夜の仕事は自由出勤で、歩合制で、頑張れば頑張った分評価されるし、疲れたら休める。
就労支援施設に関しては、この特性を受け入れて、さあ仕事をできる状態にしよう!というものなので、割愛。(現在はお休み中)
さてさて、この一生付き纏い、付き合っていく厄介さんと、どう折り合いをつけていくか。
母の死から多くを得て、そして、訪問看護さんに助けられ。
私が出した結論は、まずは服薬管理。
私は薬を毎日飲むということができないので、処方される薬はこれは飲まなきゃ離脱症状で死んでしまう!というもののみにし、
飲めないものは思い切ってカット。必要なものは注射にしたり。(エビリファイ筋注)
そして、このブログも訓練の一つと化していますが笑
自分の状態を客観視し、得意な部分を伸ばしていく。
苦手なことは、訪問看護さんや相談支援さんなど、もう福祉に頼って解決策の糸口をさがしていく。
得意なこと 表現、意見、発表、討論、思考…
苦手なこと 自己管理全般、衝動が起きてもやるべきことをなすこと、人との調和、思い込み…
わたしは、最初は障害について、両親からも、周りからも理解されませんでしたが、躁状態の行動力で福祉に自ら繋げました。福祉に一度つながると、いろんな人がいろんな福祉サービスを提案してくれます。
そして、私が抱えるいちばんの問題は、数々の自殺未遂と、自傷行為と、感情のおおきな起伏。
一時は入院騒ぎになりましたが、母の死を経て、私は母の悲しむようなことは絶対にしない、と決意しました。
正直、発達障害、精神障害を抱える人々が、何かを変えよう。という気持ちになるには、何か大きな転機が必要かと思います。それが良いことでも、悪いことでも。
そして、これから生まれてくる子どもたちへ、グレーゾーンであったとしても、質の高い福祉へつながることが容易にできるようになれば、と思います。できるだけ早く。
それには福祉業界のいろんな面での発展が必要かと思います。
障害のない人からしたら、なんでそんな人間に金を使わなければならない、昔はただの「変人」で終わっていたじゃないか。と思うかと。
ですが、前半に書いた通り、特別支援教育や福祉に支えられなかったわたしは、非常に苦しい学童期を過ごしました。
そんな人間知ったこっちゃない、というのが普通です。
でも、そんな人間にも母親が、父親がいます。大切に大切に育ててくれた両親がいます。
私も、時には自分の子供が欲しいと思うこともあります。しかし、理性では、この苦しみの連鎖を止めなければならない、と、結婚、出産を絶対にしてはいけない、と、考えています。
結婚した相手を私の介護に使わないため、不幸にさせないため。そして、必ず出てくるであろう「子供が欲しい」という願望を生まないため。
これは悲しいことですが、さらなる被害者を出さないために、私が考えられるのはこれくらいです。
私は「障がい者は子供を産むな」とは言っていません。ただ、現状の私には産む権利は無いと考えています。
これも、よく大きな議題になっていることだとおもいます。
なんだかまとまらないなあ。
まあ、自分でまだ障害との折り合いの付け方、わかってないからね笑
ただ、ここまで障害の自己理解ができているのは、(中退しましたが)教育学部に入っていたおかげかと思います。
私は障がい者だ!理解しろ!、も、違うと思うし、でも、健常者と共生できる社会づくりがされていけばいいなと、心から思います。
こんなに障がい者です!って言ってますが、初対面の人に言うと、非常にびっくりされます笑
ただ、このブログで、発達障害のことを知っていただけたら幸いです。
中途半端になってしまいましたが笑終わります。