泣いて笑って、赤ちゃん待ち → 40代お疲れ育児→45才二人目治療からの妊娠

泣いて笑って、赤ちゃん待ち → 40代お疲れ育児→45才二人目治療からの妊娠

1972年生まれ45歳。2002年4月結婚。2009年10月クリニックデビュー。3度転院。採卵10回。移植10回。
2013年5月初の妖精。2014年1月男児出産。2017年9月2人目治療(移植一発勝負)開始。2017年10月陽性判定。
                         

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みなさん、大変ご無沙汰しております。
しろくまでございます。

2009年に不妊治療をスタートして、3度の転院を経て、顕微授精により2014年に男の子、2018年に女の子を授かりました。

40代での子育ては、それはそれは非常にきついです。特に体力的にきついです。40代後半にして授乳中、それと同時にそろそろ更年期の症状も自覚していたりと、一体ホルモン状態はどうなっているのかしら?と不思議でなりません。
とにかく、その日その日をなんとか乗り越えるだけの毎日です。

現在、お兄ちゃんが小学一年生、下の女の子が2歳です。
二人ともを、とても愛しています。
とっても可愛く思っています。

でも、なぜか、幸福感がないんです。

とにかくこどもたちを大切に思っています。いくら心配しても、し足りない。出来ることはなんでもしてやりたい。
ただ、そうは言っても、体はきつい。思うような母親になれず、家事も滞り、日常生活に支障をきたすレベル。

徐々に精神的にもきつくなりました。

自治体などの子育て相談に足を運んだり、婦人科で更年期のお薬をもらって飲んでみたり、カウンセリングを受けたり、精神科にも行ってみました。

どこに相談しても、誰に相談しても、Webや書籍などでいくら情報を探しても、これだ、という答えが見つからず、余計に思い悩むばかりでした。「もうこれ以上頑張れない。でも子育てから逃げるわけにはいかない」そんな気持ちで日々暮らしていました。

そんな折、ある知り合いから「10年前後子宝に恵まれなかった後に授かった2児の誕生。かわいさのあまり、過保護になりすぎませんように。」という言葉をいただきました。

なんか違う。

そうじゃない。

そう感じました。でも。
ん?違うのって、何が違うんだろう?
そうじゃないって、何がそうじゃないんだ?
なんだろう、なんだろう、と考えた結果、分かりました。
今まで蓋をしていた自分の想いに、やっと気がつきました。

私の心のなかには、今育てている2人のこどもの他にも、同じくらい愛しいこどもがいる。今はもう消えてしまったその子たちのことを、とても大切に思っている。不妊治療中に、消えていった大事な大事な受精卵たち。医学的にも、社会的にも、受精卵はこどもではありません。
でも、私にとってはこどもだった。そういう気持ちを持っている事実に気がつきました。常識に囚われて、自分の心に沸いたその感情を、押し殺してしまっていたのです。
不妊治療中に感じていた辛さは、「また妊娠しなかった」という残念な気持ちだけではなく、大切な我が子を次から次へと見送る経験であり、そのことを「だめだった」とだけ認識して、次へと切り替えなくてはいけなかった日々が辛かったのだ、と分かりました。

不妊治療だから、顕微(&体外)授精だから、受精した瞬間から成長を見守ることが出来てしまいました。そこにはもう我が子を愛する心が芽生えていて、成長がストップすることは、こどもを失うことと同じだったのです。もちろん、これは一人一人、感じ方も考え方も異なっていると思います。同じように感じる方も、全く違う解釈をしている方も、どちらもいらっしゃると思います。私みたいに重く受け止めすぎちゃってるパターンは少数派かなあ、とも思います。

上の子の妊娠が確認されたとき、つまり、初めての妊娠の際、とても嬉しかったのと同時に、それまでの受精卵たちと同じように、いつ失われるか知れない、という不安を抱えているままでした。その不安感は、妊娠中も、出産のときも、生まれたあとでも、ずっと消えずに続きました。生後6ヶ月のハーフハースデーのお祝いをしたとき、「さすがにそろそろ少しは安心してもいいのかな」と思った記憶があります。妊娠に至った子も、至らなかった子も、私にとっては同じだったのです。

二人目の子は4つかかったクリニックのうち、3つ目のクリニックで凍結保存していた卵ちゃんでした。保存期限を二度(三度?)延長する間、次のクリニックでの治療で妊娠したお兄ちゃんが先に生まれました。年齢的にも、経済的にもきついと感じ、保存の延長を断って廃棄するかどうか、何度も考えました。それでも結果として妊娠に至り、今、目の前でニッコリ笑って「おかあしゃん」と呼んでくれます。廃棄しなくて良かったと心から思います。そしてやっぱり、どうしても廃棄するに至らなかったのは、受精卵を自分のこどもだという認識があったからなんだと、今でははっきりと言うことが出来ます。

私は泣きました。たくさん泣きました。
次々に私のところに来てくれて、でも失われてしまった卵ちゃんたちのことを悲しむ気持ちをしっかりと味わいました。そして、私のところに来てくれてありがとう、短い間だったけどありがとう、と感謝を気持ちを持ちました。

私は本当は、10人以上のこどものお母さんなんだ、思うことにしよう。消えてしまった子たちのために、何か供養のようなことが出来たら尚良いかもしれない。
そんな風に考えました。
そうしたら、どうしても幸福を感じなかった心に、温かいものが少しだけ戻ってきたような気がしました。

今まで、不妊治療なんてするべきではなかったのでは?とか、別の男性と結婚していたら不妊治療で苦しむことなんてなかったかも知れない、などと、妊娠を望んでいた頃の、過去の自分の人生を否定してばかりでしたが、これも変わりました。たくさんの自分の大切なこどもとの出会いと別れを経験した時期だった。そのときに私のところに来てくれたうちの2人が、今、私のそばにいてくれている。そういうことなんだな、と思うと、とても腑に落ちました。受精卵たちに感謝の気持ちも沸いてきました。

不妊治療中に、私の経験したことがどなたか一人にでも、情報としてお役に立てれば嬉しいという思いで始めたこのブログでしたが、妊娠のタイミングでも、出産というタイミングでも、子育てのタイミンクでも区切りがつけられず、自然消滅的に更新が途絶えておりました。これは、自分でも全く気がついていなかった自分の心を反映していたのかな、と思います。私は、自分の経験した不妊治療というものを、未だに卒業できていなかったようです。

そんな訳で
この度、やっと不妊治療を卒業することが出来ます。
不妊治療中に、私のところにきてくれた卵ちゃんたちへ。みんな、お母さんのところに来てくれてありがとう。

そして、これまで、私のブログを読んでくださったり、コメントをくださった方々、本当に本当に、ありがとうございました。みなさんの幸せを心よりお祈りして、これを最後の記事とさせていただきたく存じます。
みなさん、ありがとう!さようなら!

こんにちは。しろくまです。
判定日のことを振り返ります。
 

判定日は、台風が近づいている影響で午後からまあまあ強めの雨でした。この日は朝から軽ーい出血。2日前にごく僅かな量の赤色をしたおりものが出て、その後は何ともなかったので大丈夫だと思っていましたら、まさかの判定日当日、朝から茶色のおりものが止まらない。。。これはたまごさんが、期待しすぎている私に陰性の心積もりをさせてくれるために出しているのか。。。?なんて、前日までとは一転して、暗い気持ちになってしまいました。外の天気も、しろくまの心の中も、荒れ模様。

主人と息子は横浜のウルトラアスレチックへ。私はそのついでに銀座まで車で送ってもらいました。20~30分ほど早くに受け付け処理をしました。(機械に診察券を通します)。15:00採血、15:30診察の予約でした。予約時間まで時間があるから、心を落ち着けよう、と考えていましたら、予定よりも10分ほど早くに突然採血に呼ばれました。うお!もう呼ばれた!心の準備がまだできてないよう。採血時、看護師さんに「血管が太いですねー♪」と喜ばれました。え?そんなことを言われたの初めて。もしかして妊娠してるからとか?とまた淡い期待がむくむくと湧いてきてしまいました。
今回の移植は、移植出来たこと自体が嬉しくて、移植後はとても舞い上がった気分で生活をしておりました。今度の子はどんな名前にしようかな♪息子は赤ちゃん帰りをするのかしら?里帰り出産をするなら幼稚園はどうしようかな、梅干しがおいしいからツワリなんじゃない?など、判定日まで完全に浮かれておりました。でも、待合室で判定結果を待つ間に、「冷静に考えて、胚のグレードもいまいちだし、年齢が年齢ということもあったり、そもそも10回移植するまで妊娠できなかったお腹なんだから移植一発勝負での成功率なんてかなり低いはずだよね」、と気づいてしまいました。
そこからの、時間の経過の遅いこと遅いこと!!!
油断するとついつい、妊娠判定が出たら主人にはどう伝えようかな、とか分娩はどこの病院にしようかしら、とか考えてしまい、はたと気付いて「妊娠なんかそう簡単にするわけない。陽性なわけがない。」と自分に何度も言い聞かせ、また油断して女の子だったらどんな洋服を着させてあげようかな♪とか考え始めてしまったり、陰性と陽性の間をぐるぐると回り続けました。本を開いても文字の意味が頭に入ってこず、スマホを見れば判定に関する検索ばかり。
そんな感じで2時間ほどが過ぎた頃、やっと診察室前に呼ばれました。ところがです。診察室前の椅子に座ったと同時くらいのタイミングで私が呼ばれる予定の診察室前に、別のかたが呼ばれました。え!ほぼ同時に同じ診察室前に呼ばれるってあることなんだあ、むむ。なんて思っていると、私よりも後に呼ばれたその方は、私よりも前に診察室に呼ばれてお部屋に入っていきました。私はきっと次だ。きんちょーMAX!このかたが終わったあと、診察室のドアが開き、「○○さーん」と、これまた別のかたが呼ばれました。わお!順番抜かされまくり!こ、これはデジャヴなのか?!前回の陰性も、前々回の陰性も、確かたくさん順番を抜かされたんだ!とにかく深呼吸して、ゆっくり待つことに。自分が呼ばれた場合に、例の、噂の青い紙があるかないかを見ずに済む方法はないか、について考えることにしました。ネットでほかの方のブログを複数見まして、それらの記事によると、ここのクリニックでは妊娠すると青い紙がもらえるらしく、その紙は診察室に入った瞬間に先生のカルテに挟まっているのが一目で分かるとか。そんな分かり方でなく、先生から聞きたい!と思っていましたので診察室に入るときにどこを見たら一番良いか、をシミュレーションしよう、という考えです。うつむいてお部屋に入るのも違うし、横を向いたままいるなどは失礼だし。ぐるぐるぐるぐる。。。
 
「しろくまさーん」
ドキーン!呼ばれた!!
今度こそ私だ!
 
結局、シミュレーションむなしく、お部屋に入るとすぐに先生のお顔と先生のカルテが見えてしまいました。なんか緑色の紙ならあるみたいけど、あれじゃないよね。もしかして、あれがそうだったりして?いやいや、期待しちゃだめだ。青い紙じゃないし。期待しない。期待しない。私は陰性。きっと残念な結果。陰性、陰性、陰性。泣かない、泣かない。。。陰性をもらって、きちんと先生に今までのお礼を言おう。。。それで私の妊活は終わり。。。
看護士さんからいつもの通り名前と生年月日を確認され、荷物を置いて先生の方に向き直るか向き直らないか、くらいのタイミングで、先生が「妊娠してますね」とおっしゃいました。まだ椅子にも座っていないしろくまは、その場に突っ立ったまま、失礼にも「えっ!うそっ?!」と言ってしまいました。奇跡が起きた!と思ったその瞬間、涙がこみ上げてきました。先生が渡してくださった緑色の紙や、HCGの値が書いてありそうないつもの白い紙は涙でなんにも見えません。それどころか、もう胸がいっぱいすぎて、先生のお話になっている内容すら聞こえません。「今朝から出血してるのでだめだと思っていたんです。」とか、「前回も前々回も良いたまごだったのに妊娠できなくて。またダメだったら先生が可哀想だなと思って。」とか、わけの分からないことを口走ってしまいました。先生は、「一度妊娠すると体質が変わるということもありますからね。」とか「私のことはいいんですよ。」とか私のたわ言にも優しく答えてくださいましたよ。あまりに泣きすぎて、先生から「大丈夫ですか?別室を用意しましょうか?」なんて言われる始末です。「あ、でもお子さんが待っているんですもんね。早く帰らないとね。泣いている場合じゃないですよ。」と、私が二人目治療なのも把握して下さっていて、とても嬉しかったです。
HCGは87.0でした。いろんな方のブログから察するに、多分40~50くらいあれば妊娠判定だったんだろうと思われますので、十分な値です。
ちなみに、こちらが噂の青い紙です。

クリニックの診察室の少し暗い暖色系の明かりの下では、しろくまの目には青色ではなく、緑色に見えたのでした。妊娠おめでとうの文字。それから、分娩予定日まで書いてあります。噂の青い紙を手にすることができ、感無量です。
追加のお薬をもらい、お会計をする間、待合室の一番後ろのはしっこの席で、陽性の報告をすべき方たちに連絡をしました。
次の予約は来月のはじめです。どきどきの胎嚢確認です。
 
☆本日のお会計.....27,820円
[内訳]
*再診料1,080円
*エストラーナ(155円*28枚)4,340円
*プロゲステロン坐薬500mg(850円*15個)12,750円
*血液検査9,650円
(E2:2,600円、PRG:2,160円、HCG:3,240円、
血液採取(B-V)165円、生化学的検査(Ⅱ)判断料1,485円)
息子がなかなか寝てくれず、こんな時間になってしまいました。
判定の結果ですが、、、奇跡が起きました!
妊娠です。もう眠たいので詳しくはまた後日。
おやすみなさい。むにゃむにゃ。