最近、人間をやめていた。もう何日も大学に行ってない。ひたすらベットでダラダラしたり、youtubeを見たり、ファミマの乾麺をボリボリ食べたり、たまーにバイトに行ったり。たった今も、リサーチに使っているはずのMac Bookで自治をしてきた。プライベートな空間が0の熊野寮では、夜になるとトイレの個室が埋まる。みんなプライベートな空間を求めてる。そこで何をしてるのかは知らないが。僕は夜の自治と呼んでるけど。


変な時間に寝ていたら、寝れなくなって今午前6時だが、このブログを書いている。洋楽を聴きながら勢いで書いているから、少々おかしくなると思う。深夜テンションてやつだ。


一つだけ、ここに誓うことがある。このブログと自分ノートにだけは嘘はつかない。かっこつけない。ありのままの自分を書こうと思う。そうじゃないとこれをやる意味がない。


ツイッターもインスタも親にアカウントを教えてしまって、呟きづらくなった。授業をサボってる話や、色んな自治をしてる話なんか親に知られたくない。現代人は大変だ。常に周りからどう見えるかを気にして生きてる。何でもいつでも言いたいことを言って、好きなものを発信できるはずのSNSが今や、友達、親、世間の見えない監視の目を気にしながら、現状報告もしくは飾った自分を見せるための場になってしまった。


何も、だからダメなのだと言う批評家でも、監視社会の世の中はクソだと言うニヒリストでもない。ただ僕自身、人の目を気にしがらつぶやくスマホの中の世界に疲れた。人目を気にせず、好きなことを好きな時に好きなだけ言いたいと思いこれを始めた。


それならノートに書けばいい。日記にすればいい。なぜブログに書くのか。わからん。見られることに疲れても、まだ見られたいのかもしれない。自分の知らない人たちと内容を共有して、共感したいのかもしれない。見られたくないのに、見られたい。自分は変態なのかもしれないな。


「他人の目など気にせず、やりたいことをやろう!」と言う結論でこの記事を書きたかったのだが、思ったことをそのまま書いていたら、それがあまりにも無責任な帰結だと言うことに気づいた。そして僕が他人の目をガンガン気にしていることに改めて気づいた。他人の目を気にしないなんて無理だ。他人の評価には目もくれず、自分のしたいことだけをして生きるなんて今の僕にはできない。そんなことできる人間いるのかな。むしろ、他人の目を気にすることができるから、治安が保たれたり、人類が存続できてるのかもしれない。世の中の全員が本能のままに行動したら恐ろしい事態になるのは想像がつく。


じゃあ、僕はどうするべきなんだろう。僕には一つポリシーがある。正直であることだ。自分にも、他人にも。僕は、自分の思う通りに生きたい。自分のやりたいと思うことをしたい。上との矛盾に僕も驚いている。


いや、もしかしたら矛盾していないのかもしれない。

他人の目を気にすることと自分のやりたいことをやることは必ずしも相反しないのかもしれない。他人の目を気にしたいならすればいい。「他人の目を気にしてその行為をすること」と「他人の目を気にせず自分の欲望に従うこと」を天秤に架けた結果、自分がどちらを選ぶかだけなのではないか。


どれくらい他人の目を気にするか、それは人それぞれの個性や育ち方によると思う。もはや「他人の目を気にしたいのか」、「それとも自分の欲求を満たしたいのか」という対立なのかな。


いや、それもまた違うかも。人間はやりたいことをやってるのかな。究極的に言えば、人は常に選択しながら生きている。人の目を気にするもしないも、欲望のままに行動するもしないもその人の選択だ。選択したということは、それが他の選択肢よりベターだと判断したということだ。やりたいことなのか、やらざるを得ないことなのか。


ここまでくると、他人の目を気にするorしないとか、自分のやりたいことをするorしないではなく、自分で決めるor他人に決められるなのかも。


他人の評価が欲しいなら、そうすればいい。他人の評価を気にせずともやりたいことがあるならやればいい。それが自分の判断なのか、他人に「そうしなさい」と決められたことなのか。じゃあ、僕は自分で自分の進む道を決めて生きたいのかな。


しかし、最後に決めるのは自分だ。究極的に「他人に決められる」なんてことはない。ダメだ。迷宮に迷い込んでしまった。この問題については引き続き考察したい。思いついたことを書き散らしてしまった。


くだらない朝のジャンケンが始まる時間なので寝るとしよう。




今日、というより昨日、初デートをドタキャンされた。朝急に胃腸炎になったらしい(白目)

ふてくされて一日中寝ていた。夜9時くらいにお腹が空いて目が冷め、ラーメンを食べた。


帰り道夜風に当たりながら歩いていると、ふとこのブログのことを思い出した。最後の投稿をしたのは3ヶ月くらい前だ。1000人ブロガーがいて、3日続くのは100人、3週間続くのは10人、3ヶ月以上続いて収入を得れるレベルになるのは一人らしい。僕は見事最初の3日でふるい落とされた。


今僕がどこで何をしているのか少しづつ書いていきたい。まず僕は京都大学に通ってる。

前の投稿で結果待ちと書いたが、受かった。8月からは前に書いた通り、グリネル大学に行く。今 ビザや航空機チケットの手続きをしてる(これがなかなか厄介)


一番のビックニュースといえば寮に入った。京都大学の寮と聞いてびっくりする人もいるかもしれない。そう、あの泣く子もだまる熊野寮だ。簡単に説明すると、5〜60年前に学生運動の拠点となり、今でも学生運動を続けている人たちがいる。日本で数少ない自治寮だ。(大学が運営するのではなく、学生が自分たちで運営している寮)



僕の京都の友達は小さい頃親に「あそこには危ない人たちが住んでるから近づいちゃいけないよ」と注意されていたらしい。熊野寮を「極左の温床」だと勘違いしている人たちがいるが、それは違う。全寮生が450人ほどいて、学生運動を続けているいわゆる中核派と呼ばれる人たちは10人以下。左翼的な活動には興味のない人たちが圧倒的多数だ。


でも外観はかなり刺激的だ。1960年代の学生運動のポスターや落書きがそのまま残されている。下の写真は僕の住んでいる棟の入り口に書かれている落書き。入寮初日にこれを見たときは、「絶対洗脳される。一刻も早くここを逃げ出さなければ!」と思った。


4人部屋に3人で住んでいる。広さは20畳ほど。「ここが君の部屋だよ」と紹介された時、あまりの汚さにドン引きした。足の踏み場がない。よくわからん汚いマットがひかれている。洗濯物は山のように積み上げられ、全体的に薄暗い。朝起きても、夜なんだか朝なんだかわからないくらい薄暗い。昔カブトムシを飼っていたが、その環境にとても似ている。もしかしたら熊野寮に住むとカブトムシになるのかも。


こんな環境に住めるのだろうかと、とても不安だったか3日で慣れた。そして、同部屋の人たちよりも部屋を散らかしている。人間の適応力はすごい。住めば都というのは間違っていない。


人生初の寮生活(しかも熊野寮)に緊張していた。「ちゃんと友達はできるのか」「洗脳されないか」など。でもそんな不安は入寮してすぐに吹っ飛んだ。率直に言って熊野寮はめちゃめちゃ楽しい。こんな刺激的な生活があるのかと思うほど。熊野寮に住むメリットを大きく4つくらい紹介したい。


1 いろんな人と関われる。

これは一番でかい。

まず寂しくない。食堂には必ず人がいるし、一人暮らしで感じる家に帰ってきた時の虚無感がない。話し相手は無数にいる。クラスや大学、サークル、バイト先で居場所がなくなっても、帰って来ればこの寮のどっかには自分を受け入れてくれる土壌がある。熊野寮には下は18歳から上は30歳くらいまで住んでいる。学部生、大学院生、ポスドク、ドクター、休学中の人、退学になった人など。


熊野にきて大学を4年で卒業するという概念がぶっ壊れた。休学してる人が異様に多い。授業に出なくて留年してる人も多いが。

休学して何をするのかは本当に人それぞれだ。北海道の農家で働く人。お金を貯めるためにホストで働きながら寮の運営に精を出す人。留学する人。日本あちこちを旅する人。熊野寮には自分のやりたいことをやってる人たちが多い気がする。


そういう人たちの話はコンテンツ力が高い。話していて面白い。彼らの経験を聞いたり、大学の自治の話をしたり、好きな女性の話をしたり。一旦話し始めると夜中まで続くことが多い。たくさんの人たちと関わることで、自分の思考や選択、行動の視野が広がることは熊野寮の一番の強みだと思う。あと何よりも単純に楽しいし。


2 寮費が安い。

熊野寮の寮費は破格だ。月4100円。朝食は170円、昼食230円、夕食390円だ。熊野寮を単なる安アパートとして使っていて、自治の表舞台やコンパ、食堂に全く出てこない人も多い。というかそういう人たちの方が多数派かな。

僕は、京都の美味しいものをたくさん楽しみたかったので、住居費の安い熊野寮を選んだ。単に寮生活を経験してみたかったのと、アメリカ生活に向けて生命力を上げたかったというのもある。


3 生命力が爆上がりする。

これは間違いない。熊野寮に入ると数倍たくましくなる。多少のことは気にしなくなる。生活の知恵(?)を知らない間に会得している。僕は入寮2日目にシャワー室で着替えている時、そこに黒い動くものを認識した。普通ならゴキブリだろう。しかし15cm以上はあるムカデだった。赤い足が生えていた。何もなかったかのように隣のシャワー室に移った。


熊野では夜10時になると、タッパーや釜を抱えた人たちが食堂に集まる。寮食の残った白米を自由に食べられるようになるのだ。みんなラップに包んで持ち帰ったり、タッパーに入れて食べたりしている。僕も最近タッパーとふりかけを購入し、たまに食べている。


入寮1週間くらいは布団が届かず二段ベットの木枠の上で寝ていた。ダンボールを拾ってきて、しいた。ダンボールのすごさを知った。布団が届いた今もダンボールの上に布団をひいている。


4 コンパが楽しい。

熊野寮ではいたるところでコンパが開催されている。僕の所属してるブロックでは毎週のようにたこ焼きパーティを行ってるし、新歓期は寮内のどっかこっかで必ずコンパをやってる。新入生は無料でご飯を食べれる。参加してる上級生がカンパを払うシステムだ。これがめちゃめちゃ楽しい。ギターを弾きながら先輩と歌を歌ったり、バカな下ネタで盛り上がったり、深い話もしたり。一度コンパで「今日誕生日なんです」と言ったら、「なんでもっと早く言わないんだ!」と軽く怒られ、胴上げされた。こんな経験したことない。おかげで寂しい誕生日を過ごさずに済んだ。


まだまだ書きたいエピソードはたくさんあるが、今日はこれくらいにしようと思う。久しぶりのポストでだいぶ長くなってしまった。初デートはドタキャンされたけど、このブログをまた始めるきっかけになったからよしとして、今日は寝ようと思う。





今日、というより昨日、初デートをドタキャンされた。朝急に胃腸炎になったらしい(白目)

ふてくされて一日中寝ていた。夜9時くらいにお腹が空いて目が冷め、ラーメンを食べた。


帰り道夜風に当たりながら歩いていると、ふとこのブログのことを思い出した。最後の投稿をしたのは3ヶ月くらい前だ。1000人ブロガーがいて、3日続くのは100人、3週間続くのは10人、3ヶ月以上続いて収入を得れるレベルになるのは一人らしい。僕は見事最初の3日でふるい落とされた。


今僕がどこで何をしているのか少しづつ書いていきたい。まず僕は京都大学に通ってる。

前の投稿で結果待ちと書いたが、受かった。8月からは前に書いた通り、グリネル大学に行く。今 ビザや航空機チケットの手続きをしてる(これがなかなか厄介)


一番のビックニュースといえば寮に入った。京都大学の寮と聞いてびっくりする人もいるかもしれない。そう、あの泣く子もだまる熊野寮だ。簡単に説明すると、5〜60年前に学生運動の拠点となり、今でも学生運動を続けている人たちがいる。日本で数少ない自治寮だ。(大学が運営するのではなく、学生が自分たちで運営している寮)



僕の京都の友達は小さい頃親に「あそこには危ない人たちが住んでるから近づいちゃいけないよ」と注意されていたらしい。熊野寮を「極左の温床」だと勘違いしている人たちがいるが、それは違う。全寮生が450人ほどいて、学生運動を続けているいわゆる中核派と呼ばれる人たちは10人以下。左翼的な活動には興味のない人たちが圧倒的多数だ。


でも外観はかなり刺激的だ。1960年代の学生運動のポスターや落書きがそのまま残されている。下の写真は僕の住んでいる棟の入り口に書かれている落書き。入寮初日にこれを見たときは、「絶対洗脳される。一刻も早くここを逃げ出さなければ!」と思った。


4人部屋に3人で住んでいる。広さは20畳ほど。「ここが君の部屋だよ」と紹介された時、あまりの汚さにドン引きした。足の踏み場がない。よくわからん汚いマットがひかれている。洗濯物は山のように積み上げられ、全体的に薄暗い。朝起きても、夜なんだか朝なんだかわからないくらい薄暗い。昔カブトムシを飼っていたが、その環境にとても似ている。もしかしたら熊野寮に住むとカブトムシになるのかも。


こんな環境に住めるのだろうかと、とても不安だったか3日で慣れた。そして、同部屋の人たちよりも部屋を散らかしている。人間の適応力はすごい。住めば都というのは間違っていない。


人生初の寮生活(しかも熊野寮)に緊張していた。「ちゃんと友達はできるのか」「洗脳されないか」など。でもそんな不安は入寮してすぐに吹っ飛んだ。率直に言って熊野寮はめちゃめちゃ楽しい。こんな刺激的な生活があるのかと思うほど。熊野寮に住むメリットを大きく三つくらい紹介したい。


1 いろんな人と関われる。

これは一番でかい。

まず寂しくない。食堂には必ず人がいるし、一人暮らしで感じる家に帰ってきた時の虚無感がない。話し相手は無数にいる。クラスや大学、サークル、バイト先で居場所がなくなっても、帰って来ればこの寮のどっかには自分を受け入れてくれる土壌がある。熊野寮には下は18歳から上は30歳くらいまで住んでいる。学部生、大学院生、ポスドク、ドクター、休学中の人、退学になった人など。


熊野にきて大学を4年で卒業するという概念がぶっ壊れた。休学してる人が異様に多い。授業に出なくて留年してる人も多いが。

休学して何をするのかは本当に人それぞれだ。北海道の農家で働く人。お金を貯めるためにホストで働きながら寮の運営に精を出す人。留学する人。日本あちこちを旅する人。熊野寮には自分のやりたいことをやってる人たちが多い気がする。


そういう人たちの話はコンテンツ力が高い。話していて面白い。彼らの経験を聞いたり、大学の自治の話をしたり、好きな女性の話をしたり。一旦話し始めると夜中まで続くことが多い。たくさんの人たちと関わることで、自分の思考や選択、行動の視野が広がることは熊野寮の一番の強みだと思う。あと何よりも単純に楽しいし。


2 寮費が安い。

熊野寮の寮費は破格だ。月4100円。朝食は170円、昼食230円、夕食390円だ。熊野寮を単なる安アパートとして使っていて、自治の表舞台やコンパ、食堂に全く出てこない人も多い。というかそういう人たちの方が多数派かな。

僕は、京都の美味しいものをたくさん楽しみたかったので、住居費の安い熊野寮を選んだ。単に寮生活を経験してみたかったのと、アメリカ生活に向けて生命力を上げたかったというのもある。


3 生命力が爆上がりする。

これは間違いない。熊野寮に入ると数倍たくましくなる。多少のことは気にしなくなる。生活の知恵(?)を知らない間に会得している。僕は入寮2日目にシャワー室で着替えている時、そこに黒い動くものを認識した。普通ならゴキブリだろう。しかし15cm以上はあるムカデだった。赤い足が生えていた。何もなかったかのように隣のシャワー室に移った。


熊野では夜10時になると、タッパーや釜を抱えた人たちが食堂に集まる。寮食の残った白米を自由に食べられるようになるのだ。みんなラップに包んで持ち帰ったり、タッパーに入れて食べたりしている。僕も最近タッパーとふりかけを購入し、たまに食べている。


入寮1週間くらいは布団が届かず二段ベットの木枠の上で寝ていた。ダンボールを拾ってきて、しいた。ダンボールのすごさを知った。布団が届いた今もダンボールの上に布団をひいている。


4 コンパが楽しい。

熊野寮ではいたるところでコンパが開催されている。僕の所属してるブロックでは毎週のようにたこ焼きパーティを行ってるし、新歓期は寮内のどっかこっかで必ずコンパをやってる。新入生は無料でご飯を食べれる。参加してる上級生がカンパを払うシステムだ。これがめちゃめちゃ楽しい。ギターを弾きながら先輩と歌を歌ったり、バカな下ネタで盛り上がったり、深い話もしたり。一度コンパで「今日誕生日なんです」と言ったら、「なんでもっと早く言わないんだ!」と軽く怒られ、胴上げされた。こんな経験したことない。おかげで寂しい誕生日を過ごさずに済んだ。


まだまだ書きたいエピソードはたくさんあるが、今日はこれくらいにしようと思う。久しぶりのポストでだいぶ長くなってしまった。初デートはドタキャンされたけど、このブログをまた始めるきっかけになったからよしとして、今日は寝ようと思う。