義足に夢を             


病気やケガで足を失った人々に、もう一度生きる自信と夢を与えられる義足を作りたい。その思い胸に30年2500人義足制作に携わってきました。


大学二年中退、人生の目的を失いアルバイトを転々悶々とする日々の中。職業案内所の義肢科という文字が目に留まった。

幼年期の記憶がフラしュバックのように蘇ってきた

小6、若い女性の先生が休職後、足を引きずり教室へと入って来る

光景でした。義肢・・・あの時先生が着けていたやつのことかな


八年間のフリ—ター生活にピりオド職人生活スタート「こんな義足はけるか」患者さんに突き返されることもまさに試行錯誤の日々


転機が訪れたのは6年後義足でスポ—ツするアメリカ人の記事を読み衝撃受けました。

当時の日本では義足で運動はおろかスポ—ツ義足職人さえ皆無でした。

2年後陸上クラブ設立。数名の患者さん集ってくれたものの皆足を失ったことで自信なくし、「走れるわけない」と初めから諦めモード

ところが装着し走ることできると、笑顔、泣いて喜ぶ・・・この方々にもう一度自信と夢を取戻してあげられる自分の仕事に誇りとやり甲斐を実感していきました。


思い出深いのは2000年シド二ーパラリンピックに日本人として初出場鈴木君のスポーツ義足です。


30年の職人人生を通じて思うのは、義足は単なる物ではない

機械で精巧な義足を作っても満足しません。

患者さんはその方の生活習慣、クセさらには人生、夢までも織り込んで初めて「まるで自分の足のようだ」と言って頂ける血の通った義足ができるのです。

これからも一人多くの方に喜んで頂ける義足を目指し生涯現役を貫いて行きたいと思います          (うすい ふみお 義肢装具士)


信念、岩おも通す。利他の精神、神に通じる