30代後半のころ。

ちょうどその頃、職に悩んでいた。

 

派遣で働いても、ミスが多くて更新されず

続かなかった。

 

私は始めてハローワークに相談した。

 

年齢も含めた話になり、

事務の経験もないならば、派遣を続けるのは厳しいとのことで

介護職を進められた。

 

失業保険を受給しながら、実務者研修を半年間受講。

修了すると、ある都内の病院に看護助手て就職した。

 

病院内で働くのは、初めてだった。

緊張した。

慣れない仕事にも慣れようと

必死にがむしゃらにやっていた気がする。

 

食事の配膳や、服薬介助、

オムツ交換や入浴介助。

 

体力的にも過酷な仕事だった。

 

 

私の勤務先は、終末期医療の病院だったので

患者さんを看取ることもあったので、日々緊張した。

 

自分の夜勤に看取ることがあると、本当に大変だった。

看護士さんも、ピリピリしているし

私は例のごとく、天然の対応をしてしまうので…

イライラさせたこともあったと思う。

 

過去を振り返ると、苦い経験が山ほどあるのだ…。

(ADHDとの関連した話は、また別の日にするとして)

 

話は変わり、

シフトは、早番や遅番もあるマルチシフト。

 

その頃の私は、その直前に派遣の雇い止めの苦い経験をしていたことと

ハローワークで年齢的にも介護職くらいしかないと言われたことで

頭がいっぱいだった。

 

収入を得るには、どんなにつらくても

この仕事を続けるしかないと思っていた。

 

そんな矢先のこと。

 

 

働き始めて半年くらいした頃に、全身の痛みを感じた。

「足底腱膜炎」…足の裏、かかとなどの痛み。

他、首や肩や腰、整形外科に鎮痛剤を出してもらったが

結局体調不良で退職をした。

 

休日は、全身のけだるさで起き上がれない状態で

とにかく身体が重かった。

 

今考えると、更年期障害の自律神経の不調だったのではないかと思う。

その頃は休むこともなく、働き続けていたが

とてもつらいものだった。

 

私がかかりつけたのは、整形外科だった。

更年期障害と気づけていたら、婦人科に行くこともできたはずなのに

その予備知識がなかったことで、あんなに苦しい思いをするなんて…

早めに対処していれば、生活も違っていたのではないかと思う。

 

それに、失業保険、傷病手当。

制度についての内容も最低限知っておかなければ

苦しい思いを引きずることになると

そこでやっと認識した自分だった。

 

頭も身体も、現実についてこれていなかった。

 

今は、無理がきかないことが

やっとわかったので、身体を正直に向き合おうと思っています。

 

女性も30代から40代にさしかかったら、体調の異変に

敏感にならないといけないなと感じました。

 

あと、発達障害、ADHD、うつ病などの症状がある場合

更年期障害のつらさは増すことが考えられるので

やはり早めの対応が必要だと思いました。