今年も無事に過ぎました。

我が家は、一応被災地です。
発生直後、停電断水が起こりました。
そして、計画停電の地区に指定されていましたが外された地区でもあります。
奇跡的に無事でしたが、道路を1本、挟んだ地区は停電断水の復旧に結構かかりました

スーパーからミネラルウォーターが無くなり、母子手帳開示による支給を受けました
幸いにがっつり共働きだったのでほぼ自炊しておらず、ウォーターサーバーの水が6箱ほどあったので、飲み物には困らずすみました。

都内に住む友達や中部地方に住む伯母が当時10か月のシロさんのためにオムツなどを送ってくれました
人の優しさが身に染みる、とはこの事だと思います。

私は阪神大震災の被災者でもあります
どちらも幸い知人に亡くなった方はいませんが、家屋倒壊等の被害を受けている人はいます
どちらも中心部にはいませんが外縁部で被害が大きい地区でした。
阪神大震災の時はまだケータイが普及してない時代だし、中学生だから友達の安否確認が出来ず、連絡が取れなくなっていた我が家は死亡説が流れており、登校したとき友達に泣かれました。

3.11当時
私は仕事をしてました
目の前の客の安全確認に奔走して、家族を思い出したのは半泣きになった女王様が休みでパチンコ店に居るはずの王様に連絡が取れない!!と半狂乱になってるのを見てからでした。
そしてその時にはもうケータイは繋がらなくなってました。
当時の課長は既に姿を消しており(客と一緒に既に避難してた)
退職した元課長(当時係長)の指揮の下、機器の安全確認、取り残されたお客様の誘導を分担し、その最中、1人取り残された迷子を後輩がレスキューばりに救い出したりすることもあり、ビルの中に誰も残ってないことを確認しスタッフも避難。
最後に自分達セクションが避難し、最後の最後に当時の部長と元課長が避難。
避難して上司達がどうするか話あってる最中もケータイは繋がらず、パートやバイトは直ぐ帰宅させ(主婦も多かった)
その隙に、女王様も私も連絡を取ろうと試みるが取れない
この時の女王様は凄く弱々しかった、私にもどうしようどうしよう言ってたくらい(その反動でかその後メキメキと強くなっていった)

結果、解散になりとりあえず実家へ
そしてそこにシロさんを連れたパパが居ました。

仕事がビル復旧のため休みになり、有休にするか、出勤して復旧を手伝うかの選択を迫られ
私は迷わず有休を選びました

そして、シロさんに『こんな出ない乳など要らねぇ!』と卒乳されたのです。

当時、シロさんは10か月でした。
そして今、あおちゃんが11か月になります

私は目の前に居る物を大切にしてしまうようです。
これが、もし3人で外出していたとしても、救える範囲を拡げようとするでしょう。
でも、その結果が自分を傷付ける、自分のみならず子ども等を傷付けるようにならないように選択はしないといけないと、毎年この日は考えさせられ、反省させられます。
私は発生当時目の前の子どもを守ろうと自分の身を守らず行動しました。
我が子を何より優先する母親にとっさの状態の私はなれなかった。
いかに仕事に出ていて離れていようと、パパが居るからと信じていたんだとしても、思い出したのが発生1時間以上後は遅すぎる。
ちゃんと、意識しないと母親として機能しない、無意識下だと目の前に反応して動く、そういう事実を受け止めて向き合わないといけない。
そう反省する日です。