観察と妄想の日々。 -75ページ目

観察と妄想の日々。

つれづれ。
時々、ヲタ。
ぃや…ヲタ、時々つれづれ。

※気持ち悪いっすヨ

行ってきま。
整理券の抽選てなんだ\(^O^)/
アルバム発売&ツアー終了後初のイベントなので、どの曲を歌ってくれるのかしら…というわくわく半分、喉の調子はどうなのかしらという心配半分。更に月到来のハライタも加わってなかなか大変な1日になりそうな予感…。
でもいいんだ、独りじゃないから(´∀`)ノ

ぴきたま元気かな~今日も白いかな~←


大丈夫か?更新スピードが早いぞ(失礼な)
更新がなくてもありすぎてもそわそわするぴきヲタ1ぴき…

遅くなりましたが、せっかく参加したし、ほんまに行ってよかったなぁと思えたので、メモをもとに記憶を掘り起こし掘り起こし(捏造とも言う)。
詳しくはぽんずさんを始め他の素敵blog様でお楽しみくださいませ(ペコリ)












結構な雨の中、千駄ヶ谷から御茶ノ水、明治大学駿河台キャンパスへ。二人とも会社帰りですが何か(^^)

すでに何人も待っている…おくんblogスゲーな、やはり。着いた途端席の心配です(笑)
何だか微妙な立ち位置に移動してしまって、結局入場は結構後の方。
のわりには超☆良席を確保。わほーい(゚∀゚)ノ 相方さんには進んで行く背中が頼もしかった、と笑われましたが、せっかくの機会、ちゃんと座ってじっくり聴きたいではないか!
…えぇ、ただ座りたかっただけです(おばあちゃん)
電車の席探すのも得意です。『絶対座るねん(`・ω・)』と思って進みます(威張るな)


さて、ワンドリンク注文してそわそわと席にもどり、早速おくんを観察(失礼だ)。
スタッフさん達がいそいそ準備をしていて、おくむーはレジュメを確認したりPCを触ったり。マイクの調子が良くないのと、混雑でドリンク注文がなかなか終わらずに開始時間押し気味。
マイクテストで『ドゥンッ』とボイパを。オォ…。

奥『皆さん2杯目を飲んでお待ちくださーい☆』
ナイスフォローです奥村さん。

結局、マイクは調子悪いまま、今日はたくさんの方にお越しいただきありがとうございます的なご挨拶からスタート。おくん生声だーわふわふ☆
奥『立見の方もいらっしゃって、なかなかゆっくりはしていただけないかもしれませんが、どうぞ楽しんでください。』

出演者やスタッフさんの紹介もちらり。そして自己紹介。

奥『~。普段はRAG FAIRというグループで歌ってるんですが、今日は気象サイエンスカフェということで、予報士としてお話させてもらうことに~』

普段歌って…ぅ、うん(失礼な)

さて、まず最初は奥村気象予報士による天気予報の歴史からスタート。

(※暫くメモをそのまま書きます)

<海外では>
紀元前350.
アリストテレスが初めて天気を本に著す(○○雲の翌日は雨、とか夕焼けの次の日は晴れ、とか)。その後、アリストテレスの弟子が天気に関する諺などを記した本を作る。

↓ 以後約1800年間は、誰も科学の目で天気を捉えようとはしなかった。

16~17c.
気温計、気圧計の発明により、空気を読む、天気を科学の目で捉える、ということが可能になった。

大航海時代の終わり頃には、空気の性質(暖まると膨脹する、など)を発見。
風を利用する帆船がほぼ唯一の交通手段であったため、アリストテレス時代からの言い伝え予報を卒業し、科学的な目で天気をみるようになる。

1820. 史上初の天気図を記した本が誕生。しかしこれは40年前、1780年の資料をもとに作られたものだった。


1850.
リアルタイム天気予報ができるようになる(1833年の電信技術の発明による)
※クリミア戦争時に、ナポレオンの暴風警報要請により実践的な予報が開始された

<日本では>
1872(明治5).
気象予報は函館から始まった。

1883.
ドイツ人クニッピングによる日本初の天気図が遺っている。大変おおざっぱなものだったが、新橋や横浜の駅でかわら版的に配布されていた。

大正13年には新聞で、14年にはラジオでの天気予報が流れるように。

※これも大変おおざっぱで、『日本の東の方では晴れ後くもり、ところにより雨…』といった、『どっちでもどうにでも捕れるやんけ!予報ちゃうやん!』ていう感じの予報だったらしい(笑)


世界大戦中は天気が機密情報として扱われたので、ラジオなどでの予報は放送中断。

昭和28年
TVで天気予報開始。


ここでおくむーのワンポイント☆レッスン(☆がウザイとか言わないで)

予報で使われている以下の用語は、かみ砕いてお医者さんで例えるとこんな感じ⇒

・レーダー…聴診器
・PC導入/数値予報…脱経験と勘の予報
・富士山レーダー…巨大聴診器
・アメダス…望診(患者=天気の状態を目で観察)
・気象衛星ひまわり…レントゲン
・降水確率予報…新型インフル判定キット


おぉ、そう説明されるとちょっとイメージしやすいかも。GJおくん☆
…アメダスってテトリスのイメージがあったけど(それはお前だけだよ)


1946年
電話天気相談開始。オペレーターが対応していて、地域によって案内の電話番号が違っていたが、1964年に自動音声に切り替え、番号も『177』に統一された。
電話での天気予報はピーク時年間4億回、1日110万アクセスもあった。



と、ここまでがお勉強の時間。
この後休憩を挟んで、ゲストスピーカーの下山紀夫さん、斎藤恭紀さんのお話があり、観客からの質問の際に予報士森田さん、テレ朝平井さん、森さんも加わって、あとおくんの大学の時の教授もいらしてて、ものっそい贅沢なお天気講義の時間を過ごしたのでした。

カフェスタッフ『奥村さん、飲み物…(は何になさいますか?と続けたかったらしい)』
奥『ビール!!(即答)』
というやりとりが笑えました(ぷすぷす)

そして講義後のビールの減り方が早い早い(笑)
『ごきゅごきゅ』という擬音語はおくむーのためにあるんだぜきっと(`・ω・)


いや、思わぬ伏兵下山センセイだったね!天気図の権威だそうですが、話し方がゆっくりでとても素直に耳に入ってくるように話してくださるので、おもしろかった。ええキャラをお持ちでした(笑)
天気予報というのは、『自分の目で直接』『観測すること』が何よりも大切なんです、と何度もおっしゃってました。
PCが弾き出す数値予報で8割は予報できるけれど、残りの2割を、人の感覚や経験値で補うことが重要。『天気予報は命を護る(防災)ことに直結するのですから』という言葉が印象に遺りました。


斎藤さんは『伝える』プロやな、と感動したほど観客を引き込む力がすごかった。
御本人もおっしゃってましたが、TV、番組制作の本質は、情報を伝えることによって『視聴率を上げる』ことにあるんだ、と(笑)
東北放送時代の番組制作と進行についてお話してくださったんですが、視聴者にどうやって興味を持ってもらうか、そのためにどんなことを仕掛けていったかを、生き生きと。
話がおもしろ過ぎて、おくむーの観察が疎かになりました(笑)申し訳ありまてん☆


質疑応答の時間になるともう、きゃわきゃわしながら予報士さんたちが喋っていて、楽しかったです。
先日の台風の話とか、天気予報のマークの見方や信頼度の話とか。
週間天気の下にちっちゃくでてるアルファベットは、
『A…明日の予報と同じくらい当たる自信あり』
『B…3~4日先だからねぇ、A程は自信ないけどまぁ当たるでしょ』
『C…あんまり当てにならんよ』くらいな感じらしいっす(笑)

あと、竜巻雲については、メモにこんな絵が残ってまして
観察と妄想の日々。-Image038.jpg
横に流れてる飛行機雲が、気流(?)の影響で縦になっちゃう現象らしい。ほほぉ…初めて聞いたぞな。

なんの話だったか忘れましたが、
『あぁ~!!わかるわかる!!』と膝をたしたし叩くおくむーが最強に可愛かったです(`・_・)☆…結局(笑)



最近自分が仕事についていろいろ考えているから余計そう思えるのかもしれませんが、この日のゲストの方はどなたも皆さん、自分の仕事や、お天気というものがすごくすごく好きで、面白くて堪らんのだろうなってことが、とっても伝わってきて、なんかそういう方達と同じ時間を共有させてもらえたことがとても嬉しかったし、素敵でした。

参加する前は、お天気とか今までまったくスルーしてきた分野やし、質問とか全然思い浮かばんしどうしようかな~と思ってたんやけど、自分でもびっくりするほど、内容が面白くて、12月も(ライブと被らん限り)おくむー不在でも絶対行ってみたいと思えました。

最初の目的は、らぐへあじゃない奥村さんはどんな人ぞや?が知りたいという、大変不純な動機でしたが(笑)思わぬ収穫、新たな世界に足を踏み入れた感じ。

『あなたが好きなあの人の、好きな物を あなたは好きですか?』は、興味をもつ第一歩ですねぇ。

相方さま、会場でお話できた方、どうもありがとうございました(ペコリ)


…小変態祭へ続く…(笑)また明日明後日でもいいですか(疲れた(笑))