以前勤めていた会社でとてもお世話になった方を、偶然見かけました。

 

私があの会社で仕事を続けられたのも、その方のおかげだったのかもしれません。

社内で唯一私を承認し続けて下さった方だと思います。

 

 

見かけたこともあって、起業報告も兼ねて近況の連絡をメールで送りました。

その後、電話を下さり小一時間ほど話をしました。

お見かけした時少々疲れておられる感じを受けたのですが、電話の声は以前と変わりなくお元気そうで安心しました。

 

お互いの近況を話し、最後に「また今度ゆっくり飲みにでも行きましょう」と、いう感じで電話を切りました。

電話という「声」だけのツールでもあの頃と今を行き来するに十分でした。

 

 

久しぶりに話し、「おめでとう!応援するわ!」と仰って下さり、新たに元気をいただきました。

そして、ヘルプが出た時には、少しでも力になれるようまだまだ精進しなくては!と、改めて思いました。

久しく書いておりませんでした。

2月からバタバタし始め、あっという間に3月になってしまいました。

 

 

で、先日やっと事業開始届を提出いたしました。

紙1枚を提出するだけなのに、結構緊張するものなんですね(^^;)

 

まだまだ不安の多い中ではありますが、このままでは目的がブレる気がしたので

一歩踏み出してしまうことにしました。

 

 

私の両親は事業を行っていたこともあり、「働かざる者食うべからず」が当然の家庭で育ちました。

それは、私の長い人生において信念として持っていたものだと思います。

まぁ、正直働かないとお金は手に入れられないし、生活はできないですよね。

だから、親の言っていることは間違いではないんです。

ただ、働き方までは言われてなかったなぁ、と、最近になって気付きました。

言葉に縛られていたのはむしろ私自身だったようです。

 

父は最初それこそ内職をいただいく仕事をしていたようで、そこから製造数を増やすために

子内職さんを見つけて数を増やしたそうです。

そこから、機会を得て安く貸していただける場所を見つけ、機械を入れ自身の事業にしたのだと聞きました。

 

父母がよく使う言葉に「三方良し」があります。

結構当たり前に使われていたので気にもしていませんでしたが、最近この言葉が頭にピックアップされます。

ウチだけが儲かったらあかん、お得意先さんも、お客さんも得せなあかん。

そういう意味だと教えられていたように思います。

当たり前と言えば当たり前の話です。

言葉は当たり前で、言葉の説明文を読んで、「書いてる意味がよく分からない」と思われる方がおられたら申し訳ないんですが、今の社会は本当にその当たり前が出来ているのでしょうか?

ただ、これは企業の思惑、政府の施策、ネットの普及、個人の意識、などの原因を追及したいのではなく、以前から私の中で不思議に思っている事です。

 

 

私は私が知りたいと思ったこと、興味が沸いた処に、自分で赴くことができるし、聞くことができるのです。

私を縛っていた信念や価値観は今も私の中に存在します。

存在しているから自由が無いのではなく元々私は自由なのです。

 

今回の起業も、多分そんな中で進行している私自身プロジェクトなのでしょう。

悩みながら楽しんで進めていきたいと思います。

ここ最近の私は、長い年月を掛けて組み立ててきた私という家を、土台の最低限だけを残してリフォームしているような気がします。

 

 

 

建て売りの家をパーツに合わせて組み立ててたみたいなんだけど、どうも本当に住みたい家はこれじゃなかったみたいで、でも全てを壊してしまうのはもったいないし、お気に入りの部分も当然あるわけで。

じゃあリフォームすればいいやん!に、どうもたどり着いたようです(^^)

 

ここの柱は要ると思ってたけど、今はもう要らないから外してしまおう。

ここの壁って曲線の方が良いなぁ。なら、柱も曲線のモノにして、ついでに材質も気に入った物に変えちゃえ。

どうせならお風呂は露天にしよう!

 

などなどなどなど

ここ数年で結構なリフォームをしている感じです。

 

 

自身から見た自分、他者から見ての私は違うだろうし、私の何が具体的に変化しているのかは正直サッパリ解りません。

ただ、本人的には楽しいみたいなのでいいんです(^^)

自分のリフォームするなら思い通りにした方が楽しいですし、現実に家を建てるわけでは無いのですから、規制なんてありません。

設計も、材質も、形状も、大きさも、場所も、本当は自分でいつでもどのようにでもできるという事を知ってしまったので。

 

 

 

実際の家は超建て売りですけどね(^^;)

今更ですが、明けましておめでとうございます。

昨年は、色々な方に読んでいただきありがとうございました。

今年もこんなユルい感じで更新していきたいと思っておりますので、何とぞよろしくお願いいたします。

 

 

年末から大相撲のニュースが世間を騒がせておりましたね。

テレビを観れば大相撲、ネットニュースも大相撲...

当事者ではない私には、何が正しく、何が間違っているのかは全く解りません。

ただ、心の有り様というのはその人の生きている環境によって大きく左右するものなのだなぁ...と、感じました。

それは、テレビのコメンテーターのお話であったり、ネットのコメントであったり、会った人との会話であったりと。

読んだり聞いたりしてとても様々な意見を知ることができ、興味深いニュースでした。

 

 

生きてゆく上であらゆるルールがあります。

そのルールはその人の所属する状況により様々あって、そこに所属する以上、そのルールは守らないといけないことになっています。

ルールを破った場合に起こる罰則はそれぞれあるとは思いますが、それはあくまでも所属している中の話です。

そのルールを破りさえしなければ何をやっても良いのかという話になりますが、それはまた違う話だと思っています。

それは、心の有り方ではないかと私が勝手に思っているものです。

 

ルールという視点で考えれば、ルールを守ってさえいれば良くて、言葉をかえればルールを破りさえしなければ良い。酷くなるとバレなければいいんじゃないの?と、いう考え方になってしまいます。

 

会社員が会社のお金を勝手に私用で使うことは当然駄目です。

では、会社の備品である消しゴムを持ち帰って私用で使うことはどうでしょう。

ルール上は駄目ですが、それを「会社の備品を横領している」と、意識して持ち帰ってしまっている会社員の方は何人居られるのでしょう。

どこからが良くて、どこからが駄目なのか。その線の基準はどこなのか。

その基準となるのがルールなのではないのかな、と思います。

では、ルールを破っても大丈夫(と言って良いのかは解りませんが)ラインは誰が決めてるのでしょう。

それは、恐らく誰でもない自分自身ですよね。

このことに関して、良いとか悪いとかを判断するのはあらゆるルールに則って行われることであって、今私が会社の備品を盗むことが横領になるから止めておきましょうと、いう話ではないんですけどね。

 

 

心の有り様というのは人によって違うので、ある意味そこに属する場のルールから外れる場合があります。

自分が自分自身に「こうありたい」と思い、それに則って行動をするわけです。

それがその人にとって非常に大切な何かであるならばルールを破ることも厭わなくなるでしょう。

その人の信念、価値観の話になってくるわけですから、それを人に理解してもらうことはなかなか難しいのではないかと思います。

そこには受けてきた教育や育ってきた環境等あらゆるものがその人に影響を及ぼすわけですから。

 

 

 

で、結論。というか持論。

属する場のルールに自分の心が外れるのならその場から外れれば良いだろうし、場のルール内で心が存在できるのであればルールに則っ存在を主張すれば良いのだろう。と、いうこと。

人間に属し、日本人として属し、家族として属し、職場の社員として属し...縛られるのではなくあらゆる属する場の中でのルールに則りながら心の有り様を主張してゆくのではないのかな。と、何となく色々リンクすることを今回は思いつくままに書き連ねてみました。

 

 

ま、いつも思いつくままですけどね(^^;)

今年一年を振り返ってみると、本当にたくさんの学びや気付きが得られた年でした。

 

私の中であった価値観や信念の変化は、私自身の中で起こることが出来ました。

長い間ずっとモヤモヤしていた何かが晴れたり、理解したり、気付いたり、考えたり、と。

とても楽しい一年でした(^^)

なんかずっと笑ってたような気すらします(^^;)

 

それでも、私自身俯瞰して見ることをまだ出来ずにいるようです。

動き出さないことに何かの二次利得があるのでしょう。

 

 

来年はどんな年になるのでしょうか。

私はどんな年にしたいのでしょうか。

楽しみ楽しみ(^^)

 

 

ちゃんと地に足を着けて、歩いて行きたいと思います。

お世話になった色々な方に感謝して。

このブログを読んで下さってる方にも感謝です(^^)

 

 

 

皆さん良いお年を(^^)