ミラノから帰って来たよだから “シリアイ”の人へ

ミラノから帰って来たよだから “シリアイ”の人へ

大切な場所。気になるモノ。
何気に通り過ぎる景色を
ふと立ち止まり写真に切り撮って
心に残します。
誰か共感してくれたら嬉しいです。



餓鬼と節分の鬼とは関係あるか?

① 餓鬼とは何か
餓鬼は仏教の世界観に出てくる存在で、
生前の強欲・嫉妬・執着の報いで、死後に飢えと渇きに苦しむ霊です。
特徴:
•いつもお腹が空いている
•食べ物が炎や泥に変わってしまい食べられない
•人間のそばをうろつく
•執念・怨念・欲望のかたまり
つまり、餓鬼は**「人間の煩悩が化けた霊的存在」**です。
② 節分の鬼の正体
節分の鬼は、もともと
疫病・飢饉・不幸・争いをもたらす「目に見えない悪い気」を人格化したものです。
日本ではこれが
仏教の「地獄の鬼」+「餓鬼」+「怨霊」+「山の魔物」
と混ざって、角があって牙がある鬼の姿になりました。③ なぜ餓鬼と似ているのか
節分の鬼はよく
•欲張り
•怒りっぽい
•人のものを奪う
•飢えている
•人の家に入ってくる
という性格で描かれます。
これはまさに 餓鬼の性質そのものです。
つまり節分の鬼は
「この世に入り込んだ餓鬼や悪霊をまとめた存在」
として視覚化されたものなのです。
④ なぜ豆をぶつけるのか
豆は仏教的には
•生命の象徴
•清浄なもの
•五穀(穢れを祓うもの)
餓鬼は「清浄なもの」を嫌うため、
豆を投げることで欲と執着の霊
(=餓鬼・鬼)を追い払うという意味になります。
「鬼は外」とは
**「自分の中の餓鬼的な心を外に出す」**という意味でもあります。

結論
節分の鬼の正体の一部は、餓鬼である。
ただし
餓鬼=個人の欲の霊
鬼=それが災いとして外に現れた姿
という違いがあります。
なので節分は、
外の鬼を追い出す儀式であると同時に、内なる餓鬼(欲・怒り・妬み)を祓う行事なのです。










今日は旭区の本村神明社のお焚き上げに行ってきました。ものすごく小さなしめ飾りとミニチュアの門松。燃やしていただくのにもお金がかかったけど、とてもいい日で朝からお散歩で清々しい気持ちになりました。


玄関のしめ飾りはいつおろせば良いのでしょうか?

一般的な目安
1月7日(松の内の終わり)
または
1月15日(小正月)
このどちらかがもっとも一般的です。
地域差もありますが、
関東など多くの地域 → 1月7日まで
関西・一部地方 → 1月15日まで
という考え方が伝統的です。
しめ飾りは
年神様(お正月の神様)を迎える目印
として玄関に飾られています。
松の内が終わると年神様はお帰りになるので、
それ以降もしめ飾りを飾り続けるのは意味がなくなると考えられているのです。
外したしめ飾りは、できれば
どんど焼き
神社の「お焚き上げ」
に出すのが理想です。
難しければ
白い紙に包み、塩をふって感謝してから
可燃ごみとして出しても失礼にはなりません。