最近、真剣に年賀状を減らすことを考えている割に、なかなか減らせないけど。

 10年以上前、会社の同期の子へは、3人を残して出すのをやめてしまった。

 

 高校卒業後に働いていた会社の同期のメンバーとは、30歳くらいまで年に1度の同期会が開かれていた。

 しかし、私の次の幹事が同期会を開かなかったので、それっきりになってしまった。

 

 実はこの時、同期会がなくなって私はホッとした。

 同期の半数以上が結婚、出産し、話題と言えば、

「あそこの保育園の評判は……」

 とか、

「保育園の申し込みは……」

 とかいうことばっかりになっていたから。

 

 数の上では彼女たちが多数派だし、彼女たちにとってそのとき一番重要で、一番興味のある話題。

 だから、仕方ないってことは解かる。

 

 解かるけど、保育園の具体的な事情なんて専門的過ぎて付いて行けないし、聞いててもまったくおもしろくないし、子供のできない私にとっては、かなりストレス。

 だから、同期会に出席するのがだんだん億劫になって来てた。

 

 その後、同期会が開かれなくなっても、この多数派メンバーは何かと集まってたみたいだから、それが正解。めでたし、めでたし。

 

 それでも、その後5年くらいは、年賀状のやり取りをしてた。

 ところがこの多数派グループ、揃いも揃って印刷しただけの年賀状を送って来るんだな。

 誰から届いた、という以外は、「今年もよろしく」しか情報のない年賀状なんて、もらってうれしいと思うかね?

 

 印刷の年賀状が当たり前になっても、やはり手書きで一言くらいは、近況か何か書き添えるのが礼儀だと私は思っている。

 なので、毎年2~3行は近況を書き加えていた。

 けれどもこの多数派グループから届く年賀状、手書きの一言なんてあった試しがない。

 

 相手の近況が全く分からない状況が何年も続いてみ?

 こちらはちゃんと近況を伝えているのに、という歩み寄る気持ちを無視されているような気にもなるけど、何よりも書くことがなくなって困るんだよ。

 

 高校の同級生は、私が書いたことに1年後、

「私もそうだよ」

 って返事してくれたり、

「私は最近こうで」

 とか書いてくれるから、それに返事をすることもできるし、いろいろ書こうという気にもなる。

 

 何も書くことがないときでも、私に子供がいれば、「子供が中学生になります」とかいう一文でお茶を濁すこともできるけど、子供がいないとそれさえできないしねぇ。

 せめて向こうが、「うちの子中学生です」とか書いてくれれば、「もう中学生なんだね!」って返すだけでもその年を乗り切れるのに、そういう情報さえくれないんだからさぁ。

 

 毎日毎日変わり映えのしない生活を送ってる平凡な主婦じゃ、そうそう新しいニュースなんてあるわけない。

 そのうち年賀状に書く近況さえ思いつかなくなって来る。

 

 というか、真剣に、書くべき近況をどうやっても思いつかないから、うんうん悩んだ末に、

「いいや! もう年賀状出すの、やめちゃえ!

 元々、特に仲良かったわけでもないし、もう2度と会うこともないだろうしさ」

 ってんで、出すのをやめてしまったのだ。

 

 

 

 不思議なのはここからで、私は出すのをやめた。

 でも、向こうからの年賀状は届く。

 翌年も、私は出さなかった。

 でも、向こうからは届く。

 

 翌年も、そのまた翌年も。

 

 3年目辺りから、不思議で仕方なかった。

 特に仲が良かったわけでもないし、近況の一言さえ書かないような相手に、どうして届かなくても出し続けるのかなぁ?

 

 ……この状況が5年も続く頃には、

「もしかして、私から届いてないことにすら気づいてないの!?

 って考えちゃったよ。

 パソコンの住所録に登録してある人に毎年出してるだけ、みたいなね?

 

 結局、さすがに10年出さない状態が続いたら、ようやく誰からも届かなくなったのでホッとした。

 

 かと思うとたまーに、ぽつっと復活することがある。

 ……なぜ?

 生存確認がしたいの?

 

 だったらそれはそれで、

「最近年賀状が来ないけど、どう?」

 とかひと言書いてくれればいいのにね?