人類最強の捕食者(プレデター)集団


あなたの母方の祖先は、3万~5万年前に発生したハプログループAに遡ります。

ハプログループAは全世界に広く分布しており、発生地と考えられている東アジアの人々の他、シベリアの人々、アメリカ先住民にも見られます。


このグループは、旧石器時代のシベリアのマンモスハンターの子孫であると考えられており、北東シベリアや北シベリアの先住民の大半が、このグループに属しています。


このグループに属する人々は、朝鮮半島、華中・中国東北部、華南を経由して、日本に移住したと考えられています。また、ハプログループは先史時代の縄文人でも確認されています。


移住者の一部はアメリカへ向かったため、ハプログループAは、北アメリカや中央アメリカの先住民にもよく見られます。


ハプログループAは、ロシア、シベリア、中国、朝鮮半島、日本、ミャンマー、タイ、インド、チベット、グリーンランド、カナダ、アメリカ、アリューシャン列島、メキシコなどに住む集団に共通して見られますが、その頻度は中等度以下とされています。


このハプログループは、縄文人と関連があるとされています。


1920年代にナスカで発見されたミイラの調査から、約1,300年前のハプログループAとの関連が明らかになりました。


【マンモスハンターと呼ばれた狩猟民】


Aグループは、約3万~2万年前にバイカル湖周辺で誕生したグループで、日本人の約7%が属しています。 朝鮮半島、中国中央~東北、中国南部を移動し日本に入ってきたと考えられます。

主に北方に多く分布しており、北側で多数派を占めるグループです。最終氷期の最寒期以降に、北方へ進出した集団が拡大し、Aグループが確立したと言われています。

北東シベリアと北中米の先住民の過半数がこのグループに属しています。最初にAグループが発見されたのも北米先住民からでした。


マンモスハンター

旧石器時代にのシベリアでは、優れた狩猟技術を持つ人々により、マンモス猟が行われていたことが知られています。Aグループはこの狩猟民の末裔だと考えられています。

日本に入ってきたグループは、マンモスを追いながら朝鮮半島を一直線に南下し、縄文時代に到達したと言われています。日本でも比較的古い部類のハプログループです。


歴史研究の過程で、大昔の遺骨からもグループAが発見されています。有名な話では、ナスカの少年ミイラや江戸時代の日本画家の名門狩野家の九代目養信が 知られています。

ナスカでは1920年代~30年代にかけて、数百体のミイラが発見されました。その中の保存状態の良い一体の少年のミイラを調べたところ、Aグループのミトコンドリア遺伝子を持っていました。 このミイラは、約1 300年前のナスカに生きたと考えられ、グループAの分布が明らかになった例の1つです。


狩野養信のハプログループは、日蓮宗池上本門寺の墓地改葬の際に、出土した遺骨を調べた結果明らかになりました。 この狩野養信は、日本のハプログループの研究において名前の解っている数少ない人物の一人です。

彼の作品は現在でも保管展示されている博物館や美術館があるので、一度見てみるのも良いかもしれません。


グループAの祖先達

Aグループの著名人で、作家・石川淳の孫で写真家の「石川直樹」氏、女優・歌手の「新垣結衣」さんがいます。


『GeneLifeより転載』


https://genelife.jp/gene-dictionary/genesis2/constitution_others-949_a.html


(ここまで転載です)


北方民族の強さの源とは何なのかを考えてみたいと思います。


北方民族というと騎馬民族のイメージがありますが、それよりももっと古い時代からそこに居た集団。


それはマンモスを狩る人類最強の捕食者集団です。教科書等にもマンモスを狩る人々の挿し絵がありましたが、まさにそれです。体の小さい人類が巨大なマンモスを狩る。これが北方民族の強さの源ではないかと推察しました。


日常的に巨大なマンモスを捕食し命を繋いできた集団。それを洗練させてきた集団。


明確な役割分担。入念な段取り。

全員が一丸となって目的を達する集団行動。一人一人が最善を尽さなければ生きていけない過酷な環境。その環境を生き抜いていく中で集団戦術が洗練されてきた。


北方民族の強さの源は、

粗野、粗暴、暴力的、残忍、残酷ではなく、そこに古くから居た人々のもたらす秩序。戦術。戦略。協力。役割分担です。


僕らは古くからそこに居た人々の末裔です。その強さの源は『真面目さ』。

後にそこへ入り込んできた人々との壮絶な闘いの中でその息吹は騎馬民族にも受け継がれていきました。







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