目玉焼きは醤油派です。

白菊です。

日々の更新もないブログに、しかもいきなり汚い写真ですみません。

ブログの更新頻度はじめ何から何まですみません。

ビジュアルまったく無視の、自分流目玉焼きです。

トーストと卵にコーヒーの朝食の方々も多いと思いますが、

この様に黄味を潰す方はおいでにならないと思います。

この潰れ目玉焼きは、わたくしにとって内面的な豊かさを思わせるものなのです。

おおげさに言いますと、わび・さびの「わび」のような感じでしょうか。

 

卵は安くて良質なたんぱく質で、優秀な食品です。

わたくしが自分に作る目玉焼きは、下をカリッカリに焼き、

黄味は潰すという美意識のカケラもないものです。

醤油でびたびたになった卵を、熱々のご飯の上にのせ、カマカマかき混ぜて食べるのです。

「あー--醤油の国に生まれて良かったぁ」と思える時です。

だから2個頂きます(?)

ただ、ちょっと後ろめたいのは、卵はひとり一個と言われて育ったからです。

わたくしが4~5歳位の時は、鶏も数羽飼育していました。

肉など貴重で、魚は時々しか食べられない中、卵は大事な栄養源でした。

祖母は、子供に生卵は食べさせませんでしたので、いつも目玉焼きでした。

そのなごりから、わたくしは生卵が少し苦手です。

祖母のつくる目玉焼きはいつもカリカリで、黄味を潰したものでした。

潰すのは火の通りが早いからだったと思います。

カリッカリなのは、忙しくて鍋についていられなかったからだと思います。

その頃はまだ、祖母も父母もおりましたが、生活は楽ではなかったのです。

昔の田舎では、田畑を持たない一家は、財産がない「みじめ」な家族という立ち位置でした。

家の周りの、猫のひたいほどの場所に野菜を植え、自分たちが食べるだけの収穫だけでした。

葉物の捨てる部分を、兄と一緒に鶏に与えにいった記憶があります。

卵を産まなくなった鶏を、祖母が絞めていた記憶もあります。

植物や動物は生きています。

命を頂き、命をつなぐ。

おぎゃーと産まれる者は、等しく命を頂きます。

乳も血からつくられているのです。

はるか遠い昔から、肉体を持つものの唯一不変のものが「食」なのです。

日本人は自然や命に敬意を示し、生きることをかみしめ、そして愉しんで生きてきました。

四季折々の懐石料理や和菓子、着物の色や柄などに自然を取り入れ、

日本は移ろいゆくものや心から派生する想いを味わう文化です。

四季のある日本の風土や祭事に合っている旧暦の、その感覚が大好きですが、

世界と並ぶには、現在の暦が一番便利でわかりやすいですね。

一番初めの節季の「立春」を迎え、心やからだが少しほぐれるようです。

旧暦では一年の始まりは立春からですね。

立春が一年の始まりなら、目玉焼きはわたくしの「食」の始まりの様なものなのです。

心を患っていた父にかわり、農家の日雇いに出ていた母です。

あの頃、母にかわって子育てをしていたのが祖母なのです。

味噌を油で炒めて、砂糖や黒ゴマを入れた油みそや、潰れた目玉焼きは、

寂しさとおいしさが一緒になった魂の味。

わたくしにとってはまさに、想いを味わう食べものです。