平成29年、12月。

 母が石垣に戻ってから、早一年以上が経過。知ってるだけで3回は短期入院の事態あり。

1度目はヘリを呼ぶ事態なのでさすがに隠しきれないと思ったのか、父からメールでの連絡はあったが、2度目3度目は音沙汰なし。3度目はつい最近で、これは妹に連絡はあった。

 私、入院中の母と電話で話す。

 

 あれから一年が経った、あっという間だろう?2、3年だってあっという間に過ぎるだろう?東京にいれば前に入院した病院も日帰りで行けるし、他の病院もあるし、人目を気にせず断酒会にも参加できるし、娘や孫にも会えるし、美術館や博物館も山ほどあるし、同世代で文化的活動?をしている人は星の数だし、何かの集まりに顔を出せばすぐに知り合いも増えるし、芝居も見れるし、映画館も沢山あるし、大きな図書館もあるし、何より父の為にもなるだろうし、期間限定で離れることに何の問題があるのだ?

 母の口調は緩やかだが、確かではあった。しかしその内容はやはり、酒に逃げる私が悪いのだ、という感じになるのだ。妹にもそのように話している。

 私は、アウトプットできない環境が問題なのだ、父といたら自分の考えを出せないだろ?人間吸収ばかりで、吐き出さないと精神が腐るのだ、今そんな状態だろ?東京にきて、時間をかけて自分の感情を整理整頓、アウトプットして、その上でやはり戻るというならその時はもう何も言わないよ、と言い、母は納得はしても、そうねえ、とか、でもねえ、とかいつもの返事に戻るのだ。が、一年前と比べるとやや客観的に話をしている感じがあったので、これはもしかしたら、父に、少し離れて暮らしてみようか、と提案してくれるのではないかと、私はほんの少し思った。

 無論、浅はかな期待に終わった。

 

 日本人女性の平均寿命からすれば、あと二十年ほど母は生きる。

 もうこのままいくのだろうか?

 先月、石垣に帰省した妹曰く、母はすごく痩せていた、とのこと。

 写メで母を見ても悲しくなるばかり。昔は綺麗だったのだ。

 私は東京の街中で、品の良い老夫婦を見るたびに怒りと悔しさと羨望が沸き起こる。

 父は母を食いつくし、残りかすに吸い付かれている状態なのだろうか?

 ほんとに、このまま、いくのだろうか?

 

 父と電話で話そうと思うが、話す内容が浮かばない。