三河の田原藩士で、記録の残っている最初から三宅氏に仕えていました。

で、関ケ原では何故か宇喜多秀家についたとか…。

三宅氏と宇喜多氏が親戚関係にあるらしいことが理由かしら。



その後はずっと田原に居て、かの渡辺崋山とも親交があったと記録されています。
まぁ田原藩士なら誰でも、渡辺崋山との親交はあったでしょうが(笑)

祖父は先祖が武士だったことをとても誇りに思っていて、ことある度に『武士だったら』を連発。
テレビも背筋を伸ばして正座で見たり、『武家の当主のたしなみ』と考えていた華道に熱心に取り組んだり。

時々酔っ払って、田んぼ横の側溝に落ちてたのはご愛嬌。
いつも顔はニコニコしていたけど、眼光は鋭く、真顔になって見つめただけで押し売りを撃退したとの逸話があります(笑)

そんな田原の誇る田原城。
二の丸隅櫓。