「2列目 11番」
初めは少し違和感を覚えた。
主観だが、
久保史緒里にこの位置は見合ってないんじゃないか?
と思ったからだ。
ダンスの表現力が特段良くなったわけでもなければ、ルックスレベルが上がったわけでもない。
メディアでの活躍が著しいわけでもない。
けれども、23rdシングルの概要が公になってきたことでその違和感は払拭されていった。
タイトルである「Sing Out!」は
『大声で歌う』
『叫ぶ』
などの意味を持つ。
コンセプトも
“みんなで歌う喜び”
“クラップをして曲を楽しむ”
となっている。
これらのことから「歌」というワードが今作の中心にいることは間違いない。
そして、この「歌」というワードが「久保史緒里」と結びついて、私が初めに抱いていた違和感を払拭したのだ。
まず、久保史緒里を語る上で欠かせないのは「3人のプリンシパル」であろう。
彼女はこの舞台で、その素晴らしい演技で多くの人を魅了した。
しかし、演技だけではない。
劇中では数曲の歌唱シーンもあり、その歌声でも観る人を魅了した。
つい数ヶ月前まで素人だったとは思えないほどの堂々とした姿勢と声量。
何より、彼女が歌にのせて言葉を紡ぐことで歌詞の一つ一つが舞台の内容と沿った意味として、観る側の心に突きつけてくる。
まさに心が揺さぶられるとはこのことだと当時の私も観客の一人として実感した。
その後の活動でも彼女は「歌」の力で大勢の人の心を掴んでいく。
特に3期生単独ライブでの歌声に魅せられた人は多いのではないだろうか。
生音のピアノとストリングスで奏でられる「何度目の青空か?」の落ちサビを彼女がソロパートで歌い上げるシーン。
特に初夏の夕暮れ時の青空の下、日比谷野外音楽堂でのパフォーマンスはその空間全てが彼女の歌声に味方をしていたほど。
堂々とした強い歌声の中にある、温かい優しさや儚さが本当に魅力的だ。
その後も生田絵梨花とのユニット曲や、テレビ番組などの歌唱ユニットでもその歌声を活かしてきた。
音楽番組で生田絵梨花・衛藤美彩とともに披露した「さらばシベリア鉄道」は先輩メンバーに全く引けを取らず、抜群の安定感で歌い上げていたのも印象的だ。
21st期間は体調を考慮して活動を制限していたが、そのブランクも感じさせないほど22nd期間の彼女もその「歌」で魅せてくれた。
活動制限解除後初の活動は舞台版「ザンビ」
ザンビプロジェクトとして打ち出された企画の第1弾として注目されたが、そのプレッシャーを物ともせずに彼女は期待を超えてきた。
舞台自体も彼女の歌声から幕が上がる(ダブルキャストではあるが)。
幕開けの劇中歌は劇中に3回歌われるのだが、その3回とも歌い方を変えて表現している。
もちろんそれはシナリオ通りではあるのだが、注目すべきは“歌い方”の変化ではなく“感情”の変化である。
1回目にはなかった感情が2回目に出てきて、さらには3回目で別の感情が溢れてくる。
それも含めて演技なのである。
彼女の演技は演じていることを忘れてしまう。
というのも、発言や行動が計算されたものではなく、本当に感情のままに自然発生的に出てきたもののように感じられるからだ。
そしてその延長線上に歌もある。
その歌詞が彼女の言葉のように錯覚してしまう。
その錯覚はライブでも同様に感じられる。
22ndアンダーメンバーとして参加した彼女自身初となるアンダーライブ。
このライブでも彼女の歌声の力は遺憾無く発揮された。
伊藤かりん・伊藤純奈とともに披露した「私のために 誰かのために」
力強い歌声、心地いいハモり、そして初挑戦となったフェイク。
久保史緒里の歌唱力がなければ成立しない繊細な表現。
実際あの場にいた人ならわかると思うが、その瞬間だけライブの空気が違っていた。
息を呑むほどパフォーマンス。
アウトロのメロディーが終わる前に食い気味で拍手が起こったほど、観客全員が賞賛した。
そして、今年開催された「7th YEAR BIRTHDAY LIVE」でもその歌唱力は必要不可欠なものとなった。
「ここじゃないどこか」での生田絵梨花の代打は、代打という言葉を使うのがもったいないほど、久保史緒里の存在が大きかった。
「私のために 誰かのために」ではオリジナルのお姉さんメンバーに並んでの披露。
その姿はまさに乃木坂46の風格。
決して現存する「乃木坂らしさ」を崩さずに、尚且つ新しい風を運んでくる。
久保史緒里の代打はそんな感覚に陥る。
新ボーカルとして「乃木團」の披露も彼女の器用さが伺えるパフォーマンスとなっていた。
と思ったからだ。
ダンスの表現力が特段良くなったわけでもなければ、ルックスレベルが上がったわけでもない。
メディアでの活躍が著しいわけでもない。
けれども、23rdシングルの概要が公になってきたことでその違和感は払拭されていった。
タイトルである「Sing Out!」は
『大声で歌う』
『叫ぶ』
などの意味を持つ。
コンセプトも
“みんなで歌う喜び”
“クラップをして曲を楽しむ”
となっている。
これらのことから「歌」というワードが今作の中心にいることは間違いない。
そして、この「歌」というワードが「久保史緒里」と結びついて、私が初めに抱いていた違和感を払拭したのだ。
まず、久保史緒里を語る上で欠かせないのは「3人のプリンシパル」であろう。
彼女はこの舞台で、その素晴らしい演技で多くの人を魅了した。
しかし、演技だけではない。
劇中では数曲の歌唱シーンもあり、その歌声でも観る人を魅了した。
つい数ヶ月前まで素人だったとは思えないほどの堂々とした姿勢と声量。
何より、彼女が歌にのせて言葉を紡ぐことで歌詞の一つ一つが舞台の内容と沿った意味として、観る側の心に突きつけてくる。
まさに心が揺さぶられるとはこのことだと当時の私も観客の一人として実感した。
その後の活動でも彼女は「歌」の力で大勢の人の心を掴んでいく。
特に3期生単独ライブでの歌声に魅せられた人は多いのではないだろうか。
生音のピアノとストリングスで奏でられる「何度目の青空か?」の落ちサビを彼女がソロパートで歌い上げるシーン。
特に初夏の夕暮れ時の青空の下、日比谷野外音楽堂でのパフォーマンスはその空間全てが彼女の歌声に味方をしていたほど。
堂々とした強い歌声の中にある、温かい優しさや儚さが本当に魅力的だ。
その後も生田絵梨花とのユニット曲や、テレビ番組などの歌唱ユニットでもその歌声を活かしてきた。
音楽番組で生田絵梨花・衛藤美彩とともに披露した「さらばシベリア鉄道」は先輩メンバーに全く引けを取らず、抜群の安定感で歌い上げていたのも印象的だ。
21st期間は体調を考慮して活動を制限していたが、そのブランクも感じさせないほど22nd期間の彼女もその「歌」で魅せてくれた。
活動制限解除後初の活動は舞台版「ザンビ」
ザンビプロジェクトとして打ち出された企画の第1弾として注目されたが、そのプレッシャーを物ともせずに彼女は期待を超えてきた。
舞台自体も彼女の歌声から幕が上がる(ダブルキャストではあるが)。
幕開けの劇中歌は劇中に3回歌われるのだが、その3回とも歌い方を変えて表現している。
もちろんそれはシナリオ通りではあるのだが、注目すべきは“歌い方”の変化ではなく“感情”の変化である。
1回目にはなかった感情が2回目に出てきて、さらには3回目で別の感情が溢れてくる。
それも含めて演技なのである。
彼女の演技は演じていることを忘れてしまう。
というのも、発言や行動が計算されたものではなく、本当に感情のままに自然発生的に出てきたもののように感じられるからだ。
そしてその延長線上に歌もある。
その歌詞が彼女の言葉のように錯覚してしまう。
その錯覚はライブでも同様に感じられる。
22ndアンダーメンバーとして参加した彼女自身初となるアンダーライブ。
このライブでも彼女の歌声の力は遺憾無く発揮された。
伊藤かりん・伊藤純奈とともに披露した「私のために 誰かのために」
力強い歌声、心地いいハモり、そして初挑戦となったフェイク。
久保史緒里の歌唱力がなければ成立しない繊細な表現。
実際あの場にいた人ならわかると思うが、その瞬間だけライブの空気が違っていた。
息を呑むほどパフォーマンス。
アウトロのメロディーが終わる前に食い気味で拍手が起こったほど、観客全員が賞賛した。
そして、今年開催された「7th YEAR BIRTHDAY LIVE」でもその歌唱力は必要不可欠なものとなった。
「ここじゃないどこか」での生田絵梨花の代打は、代打という言葉を使うのがもったいないほど、久保史緒里の存在が大きかった。
「私のために 誰かのために」ではオリジナルのお姉さんメンバーに並んでの披露。
その姿はまさに乃木坂46の風格。
決して現存する「乃木坂らしさ」を崩さずに、尚且つ新しい風を運んでくる。
久保史緒里の代打はそんな感覚に陥る。
新ボーカルとして「乃木團」の披露も彼女の器用さが伺えるパフォーマンスとなっていた。
齋藤飛鳥も自身のブログで言及していたが、曲によって、ユニットによって声色を想像を超えて変えてくる。
それはまさに彼女の演技の上手さにも比例しているものだろう。
彼女のパフォーマンスには、「代打」や「穴埋め」みたいな表現ではなく、「久保史緒里がこの場所にいるのもいいよね」という、オリジナルに対して絶対的なリスペクトを忘れない、彼女の謙虚さの中にある強さをパフォーマンスで表現しているのだと感じる。
彼女のパフォーマンスは、すごく素直に精神が反映していると思う。
だからこそ彼女が落ち込んでいたり悩んでいたりするときのパフォーマンスはキレがなかったりするのも事実。
彼女のブログやモバメを見たことがある人ならなんとなく感じているとは思うが、彼女の“言葉”はわかりづらい、文章の構成が下手とかではないが、どこか綺麗事なのでは?と思ってしまう「本心がどこにあるのかわからない」ようなことがある。
けれども彼女の“パフォーマンス”はその彼女の“言葉”を理解へと導いてくれる。
それほどまでに久保史緒里における「パフォーマンス」は彼女の魅力の大きなひとつなのである。
ここで「Sing Out!」の歌詞を見ていく。
※ LA LA LA LA LA LA…
Happy! Happy! If you wanna
bring big smiles,sing out!
世界は広すぎて見渡せない
青空はどこまで続くのか?
水平線のその向こうは晴れてるのか?
それとも土砂降りの雨か?
ここにいない誰かのために今なにができるのだろう
みんなが思えたらいい
自分のしあわせを少しずつ分け合えば笑顔は広がる
この思い届けClap your hands
風にのって飛んで行け愛の歌
一人ぼっちじゃないんだよ
Say hello! Say hello! Say hello!
※2 LA LA LA LA LA LA…
Happy! Happy! Everybody be happy!
※ 繰り返し
もし泣いてる人がどこかにいても訳なんか聞いたって意味がない
生きるってのは複雑だし
そう簡単に分かりあえるわけないだろう
ただじっと風に吹かれて同じ空見上げるように一緒にいてあげればいい
吹きさらしのその心 温もりがほしくなる
孤独は辛いよ
僕たちはここだ Stomp your feet
存在に気づくように踏み鳴らせ
仲間の声が聞こえるか?
Bring peace! Bring peace! Bring peace!
ここにいない誰かもいつか大声で歌う日が来る 知らない誰かのために...
人はみな弱いんだ お互いに支えあって前向いて行こう
この思い届け Clap your hands
風にのって飛んで行け 愛の歌
一人ぼっちじゃないんだよ
Say hello! Say hello! Say hello!
僕たちはここだ Stomp your feet
存在に気づくように踏み鳴らせ
仲間の声が聞こえるか?
Bring peace! Bring peace! Bring peace!
※ 繰り返し
※2 繰り返し ×2
また主観になってしまうが、これまでの久保史緒里の活動を振り返りこの歌詞を見てみると、とても久保史緒里的だと思えてしまう。
特に彼女のモバメを見たことある人なら
『しあわせを少しずつ分け合えば笑顔は広がる』
の部分はまさに久保史緒里的であると感じるのではないだろうか。
1番の歌詞はわかりやすく久保史緒里的であるが、本質的なのは2番の歌詞だと私は思う。
齋藤飛鳥が視聴会のインタビューで「ジメッとした部分も隠さずに伝えた方が、より明るい部分が伝わるのかなと思いました」と答えている。
ジメッとした部分とは
1番の歌詞はわかりやすく久保史緒里的であるが、本質的なのは2番の歌詞だと私は思う。
齋藤飛鳥が視聴会のインタビューで「ジメッとした部分も隠さずに伝えた方が、より明るい部分が伝わるのかなと思いました」と答えている。
ジメッとした部分とは
『もし泣いてる人がどこかにいても訳なんか聞いたって意味がない 生きるってのは複雑だし そう簡単に分かりあえるわけないだろう』
の部分である。
「笑顔」や「歌」という前向きで力強いワードが多用されるからこそ、人間の本質でもある「弱さ」を隠さずに表現している歌詞ということだろう。
この部分がまさに久保史緒里的であるのだ
綺麗事だけではどうにもならなかった活動制限前を経て、「弱さ」を隠さずに伝えていった活動制限期間とその後。
『仲間の声が聞こえるか?』
彼女が活動制限を経て気づけたこと、まさに“それ”である。
1人じゃない。
「笑顔」や「歌」という前向きで力強いワードが多用されるからこそ、人間の本質でもある「弱さ」を隠さずに表現している歌詞ということだろう。
この部分がまさに久保史緒里的であるのだ
綺麗事だけではどうにもならなかった活動制限前を経て、「弱さ」を隠さずに伝えていった活動制限期間とその後。
『仲間の声が聞こえるか?』
彼女が活動制限を経て気づけたこと、まさに“それ”である。
1人じゃない。
支えてくれる、助けてくれる仲間がいる。
活動制限を経て、改めて乃木坂への愛が強くなったと久保史緒里自身も言及している。
直近だと先月発売された「日経エンタテインメント! 乃木坂46 Special」で詳しく話しているので、見てもらいたい。
そして「愛」を知った彼女が『一人ぼっちじゃないんだよ』と『愛の歌』を届ける。
こんなにも強いメッセージがあるだろうか。
素直で正直なパフォーマンスで魅せてくれる彼女だからこそ、「Sing Out!」の歌詞が嘘偽りのない力強い言葉になるのだ。
正直、彼女の器用さは羨ましい。
「歌」というワードが中心に存在する「Sing Out!」
同じく「歌」というワードが中心に存在する久保史緒里
改めて彼女のこれまでの活動を振り返った時
「2列目11番」
今作でのこの立ち位置の意味が痛いほどわかるのではないだろうか。

最初に書いた「見合ってない違和感」というのは最近の選抜が、メンバーの単純な人気で構成されているように感じていて、作品との関連性が軽薄なのではないかと思っていたからである。
しかし、今作では立ち位置との関連性を感じることができ、「違和感」は払拭されたということだ。
最後に、
活動制限を経て、改めて乃木坂への愛が強くなったと久保史緒里自身も言及している。
直近だと先月発売された「日経エンタテインメント! 乃木坂46 Special」で詳しく話しているので、見てもらいたい。
そして「愛」を知った彼女が『一人ぼっちじゃないんだよ』と『愛の歌』を届ける。
こんなにも強いメッセージがあるだろうか。
素直で正直なパフォーマンスで魅せてくれる彼女だからこそ、「Sing Out!」の歌詞が嘘偽りのない力強い言葉になるのだ。
少し余談にはなるが、彼女はよく好きなドラマや映画の話をする。(モバメで)
特に米国ドラマの「glee」や、「表参道高校合唱部」の話題は定期的に出るほどだ。
そして上記のドラマの何れもが“歌の力”で周りの人たちに影響を与え、自らの道を切り開いていくといった内容である。
ここまで話せばわかると思うが、まさに今の彼女がその“歌の力”で夢を叶えていっていると言えるだろう。
人間、夢を見る力と叶える力は必ずしも比例しないことがある。
しかし、彼女はその両方の力を持っていると私は思う。
不器用で頑固な性格からか、よく悩んだりもするが、それすらも巻き込んで自分の経験として力にする実力を持っているとも思う。
正直、彼女の器用さは羨ましい。
けど、彼女の不器用さは愛おしい。
それは僕が彼女を応援する理由でもある。
と、余談はさておき
「歌」というワードが中心に存在する「Sing Out!」
同じく「歌」というワードが中心に存在する久保史緒里
改めて彼女のこれまでの活動を振り返った時
「2列目11番」
今作でのこの立ち位置の意味が痛いほどわかるのではないだろうか。

最初に書いた「見合ってない違和感」というのは最近の選抜が、メンバーの単純な人気で構成されているように感じていて、作品との関連性が軽薄なのではないかと思っていたからである。
しかし、今作では立ち位置との関連性を感じることができ、「違和感」は払拭されたということだ。
最後に、
MVやテレビでのパフォーマンス時、衣装のスカートの色が一人だけ異なったものであり、フォーメーションでも中心となることが多い。
視覚的にもこれほどまでに使命を課せられているのは、やはりこの曲の“中心”であるからではないかと想像してしまう。
視覚的にもこれほどまでに使命を課せられているのは、やはりこの曲の“中心”であるからではないかと想像してしまう。