初回です。

海ほたるに行った時の話をします。

 

 

 

 

その前に、今どの話をするにも避けては通れない問題についてあらかじめお話しておく必要があります。私の「旅行」という趣味も、例外なく縛りを受け続けているからです。

この問題は根深いと申しますか、そう簡単に忘れさせてはくれないでしょう。両者にとって生き残りをかけた文字通りの戦争ですし、それは人間が恒温動物である限り解決しないのは自明です。私もこれまで通りの日常を過ごすことについては、順応というか、諦めている節があります。

しかし、だからといって好きをやめるのは別の話だと思っています。先ほどお話したように、これは歴史の教科書や年表でさえかなりの紙幅を割くはずの長期戦ですから、徹底した我慢は現実的ではないでしょう。旅行についても同様です。

 

まぁつまり、上手く付き合っていけばいいじゃないという立場です。

 

だから自粛警察の方とは馬が合いませんし、会食勢のみなさまとはそっと距離を置きます。(マッチポンプ派は以ての外です。)

 

余談はさておき、結論として、

私はこれまでもこれからも趣味としての旅行を続けようと思っています。

もちろん丸裸で、というわけではなく、世界的に日々更新される疫学知識を文字通りアップデートし、反省と対策をしながら飄々とこの趣味を続けていこうと思っています。それでも引っかかってしまったらその時はその時です。元から人生は死の際限ない先延ばしの連続だと思っていましたし、旅行もそのための「ぶら下げた人参」なのですから。

 

 

 

 

お待たせしました。海ほたるの話です。

 

時は出発日の前日まで遡ります。

高校時代の先輩が「え?萩上くんも海ほたる来る?」と言ってきたことが全ての始まりです。

 

不思議にも、ここ一年の旅行で、動機が私の自由意志によるそれは半数を割ります。

ではどうして出かけているのかと言えば、誰かのノリに乗って、あるいは巻き込まれて旅行が決定することが多いわけです。

ここで断っておかなければならないのは、もちろんそれらが嫌々に強制させられているハラスメントではないということです。

萩上の自由意志によらないとはいっても、もちろん最終判断は私自身に委ねられていますし、私自身が喜んで火にガソリンを注ぐこともあります。ちなみにガソリンの発火点は灯油と同等で約260℃です。

今回も同様、「奇跡的に明日は休みなんですよね」と匂わせ、トントン拍子で話は進み、前日の夕方4時に「じゃあ、明日のお昼に海ほたる集合で。」と決まったのでした。

 

さて、海ほたる集合はいいのですが、問題は移動手段です。

確かに萩上家に自家用車はあります。が、おそらくは使えないでしょう。実際、私以外の萩上家族の思想は自粛警察に振り切っており、例えば高速バスでの移動でさえも反対されるほどだったからです。仮に黙って車を持ち出したとしても、それはそれで来月のETCカードの請求にきっちりと「東京湾アクアライン」と印刷されるわけで何の解決にもなりません。まして非常事態宣言が発令されていた当時ですから家族の許可は絶望視してもいいでしょう。

 

しかし、家の車が世にある車の全てではありません。そこまで逡巡しうっかりお気持ちになりかけた私は電話を手に取り、駅前のレンタカー屋に電話をかけました。

空車あり。ETCカードの貸し出しもやっています。それでは明日の8時から12時間貸し出しでお願いできますか。困難を金で解決できた数少ない事例です。

ところで、この極めてスムーズな手続きから、実は計画的犯行だったんじゃないかと怪しむ声があるかもしれません。もちろん裏で打ち合わせてたとかそういうことはなくて、単に前科があるからです。

 

 

さて日付変わって翌日。

朝8時の駅前を登校する高校生たちをかき分け、予報外れの寒空の中を大失敗の春コーデで闊歩し、命からがらレンタカー屋に飛び込みます。

チェックインを済ませて、ぺたりとパールホワイトの車体に初心者マークを貼りつけます。トヨタ・カローラアクシオ。教習車にも使われるオールマイティさで、誰からも愛されるベストセラーです。ハンドルも持ちやすい。高めの運転席からの視界は良好で、泣く子も黙る4WDです。

 

 

は?

 

 

慌てて説明書を読んでみると確かに4WDです。四輪駆動。

通常の車が二輪駆動なのに対し、四駆は燃費を犠牲にして得たその倍以上のパワーが売りのワイルド設計です。坂道山道はお手のもの。もしどこかのタイヤがスリップ(空転)しても、他の3輪が自動で踏ん張ってくれるので雪道だって止まらずに進めます。チェーンを巻きながら同乗人にリフトが混んじゃいますヨォと急かされる心配はありません。ところで今日の行程はなんだっけ。高速道路で海ほたる。およそ400kmの道のりです。

 

 

は?

 

 

ああ、最悪です。ここまで四駆が裏目に祟るドライブがあるでしょうか。

平坦な道での動きはズブズブ。加速の鈍重さは思わず左足でクラッチペダルを探すほどです。若隆景も苦笑いするほどの車重と四駆の力強さに裏打ちされたエンブレは、高速であればあるほど強くはたらきます。惰行ってなんだ。ひとたびアクセルを離せば、それまで投入したなけなしのガソリンを嘲笑うかのように急減速していきます。長旅のすえ成層圏にたどり着き、いままさに地上に降り立たんとパラシュートを開け放った惑星探査機のようです。

ヒューストン、あなたは間違ってる。どう考えても人選ミスです。なにも俺はカプセルを回収しに落下予測地点のネバダ砂漠を走り回りに来たんじゃない、ただ海ほたるに行きたいだけなんだ。確かにこのアクシオは優秀な4WDですが、100km/h台の定速走行を求められる高速道路では明らかにやりすぎです。言うなれば中堅の会社役員にスーパーの惣菜コーナーに吊るす「おかあさんのにがおえ」を描いてくださいと頼むようなものです。できなくはないだろうけどそれは幼稚園児に言ってくれ。

 

とはいえ今更どうにでもなるはずがありません。確かにアクアだのプリウスだのといったミサイル系エコカーも在籍はしているのですが、いかんせん予約が遅すぎました。前日の夕方4時に電話したのではこれの他には黄色ナンバーしか残っていなかったのです。当然の結果です。もういい!私海ほたる辞める!いやいやそういうわけにはいかないってば。

つまり、頼れるのはこいつしかない。ここまできたら一蓮托生、この癖強めなムラ馬と心中するしかありません。

もしかしたらアップダウンの激しい首都高で4WDの走破性が生きるのかもしれない。きっとそうに違いない。ああ、でもそういえばこのタイヤってスタッドレスだったよな。SAのエネオス、リッター145円の現実を横目に、萩上は一路東京湾を目指します。

 

 

 

後編に続く。