『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』の“歌”こと喜多川歌麿はなかなか厳しい人生を生きてきた。
蔦屋重三郎との出逢いにより当たり前の暮らしを送れるようにはなった歌だが、いちばん好きな人へも想いを告げられないでいた。
ところが、気持ちの合う女性と出逢い、その女性を妻として2人でささやかながらどうやら人並みの幸せにはなれそうだと視聴者に思わせておいて、洗濯女をしながら時には身体を売っていた妻は梅毒に罹ってしまい、看病の甲斐もなく他界。
歌は再び1人ぼっちに…。大きな喪失感の中から蔦重への想いが甦った歌。でも、それだけは絶対に伝えられない。しかも朴念仁の蔦重は全く何も気づかず歌の所へ仕事を持って足繁く通って来る。
切な苦しい気持ちに堪えられなくなった歌は絶縁を一方的に告げる。
しかし、一橋治済退治のための平賀源内復活作戦に参加する。その中で恋敵とも言える蔦重の妻・ていが誰よりも歌の気持ちを汲んでくれていることにより本当の笑顔を取り戻した。
とんでもなく私見なのだが、『幸せカナコの殺し屋生活』の殺し屋・細美との『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』の歌麿が私の中で時々重なる。
もっともドラマの歌は最後は幸せ掴んだ…と言うか心の平安を得ることが出来たのだけど。
そもそも歌は町場の遊女の子として生まれ、たぶん父親が誰かも分からない。母親が何故そのような状況に陥ったかは不明だが、当時の江戸庶民の生活は楽ではなく、武家の妻でも時には夜鷹として生きていくための金を稼がざるを得ないことも多々あったそうだ。
あくまでも推察だが、歌麿の母親も元々はそれほど悪くはない立場の女性だったのかもしれないが、不運や不幸が重なり身を落とさざるを得なかったのやも知れない。
そんな母の元で育った、蔦屋重三郎と出逢う前の歌麿は相手は男女関係なく母親の命で身を売らされていたというのが『べらぼう』での設定である。
しかし、蔦重と出逢い、将来の絵師として鍛練を積み、一旦は不幸な出来事で離れてしまうが、再会後、歌麿の本当の身の上を知った蔦重が【人別】という現在の戸籍のような、その人物の身元保証にもなるものを歌のために入手する。
言ってみれば、【人別】を得たことで日本(江戸)に生きている人間として初めて認められたようなものである。当時は【人別】すら無かった人が数多いたものと思われる。
【人別】を得て絵の仕事を始めた当初は有名作家の誰々風のものを書かされていたが、やがては喜多川歌麿の名前でも書けるようになり(その時点でも誰々風を書いたりもしていた)、蔦重への想いは伝えられないものの、蔦重との暮らしは楽しく充実もしていた。
ところが、蔦重は吉原を出て日本橋に店を構えるためもあり妻を迎えた。当初は形だけの夫婦であったはずが時間経過と共に何だか息が合ってきていて、版元店の立派な夫婦に見えるようになってくる。
それは歌にとってはあまり面白い話ではない、だからと言って自分の気持ちを蔦重に伝えることはしない歌。だんだんと同じ屋根の下に居るのもツラくなってきた。
そこで、最初の絵の師匠である鳥山石燕との再会を機に蔦屋の店の耕書堂を出て石燕の元で再度絵を学びつつ暮らすことにする。そして、石燕亡き後に、気の優しい洗濯女(この仕事も洗濯だけをするのではなく身を売ることが多々あったようだ)と出逢い、彼女は聾ではあったが、言葉を交わさずとも心が通じ合い慎ましいながらも明るく楽しい夫婦生活を始めた。
一方、《細美》はそもそもその名前からして、最高の腕利き殺し屋Kこと西野カナコを標的にすべく、男が殺した彼女の引っ越し先の隣家の住人の名前。
カナコと殺し屋・細美は何度か遭遇しているのにマスクをしていたこと、互いに殺し合おうとした状況だったため顔を明確に確認していないことを良いことに先の住人を殺害し細美と名乗りフレンドリーな隣人を装う。
ここで殺し屋・細美の今日までを考えてみる。
幼い時から殺し屋になるべく厳しい訓練を強要され、結果、最上級の殺し屋に育ったが、訓練の過酷さなのか、ただいたぶられていただけなのか、美しい顔と前から見ると均整の取れた美しい身体に似合わず背中には目を背けたくなるほどに激しく大きな傷がある。
まるで、この傷が有るのだからお前は組織から逃げることは出来ないと上の者が細美の心を縛っているかのようだ。また、その傷から細美の哀しみやツラさ、さらに彼の世界が閉ざされていることが伝わってくる。
また、あくまで想像であるが、性的にも慰み者にされていた可能性は高い。ここは男女構わず売春の相手にさせられていた歌麿と共通するのかもしれない。
ここで、細美の出自も考えてみよう。
幼くして殺し屋教育を受けたことから、幾つかの経緯が考えられる。
1つは、そもそも捨てられた赤ん坊で殺し屋組織に拾われてしまった。故に無戸籍児。
次に幼少期に親は失踪、あるいは他界し、子供はこの場合も殺し屋組織に囲われたかして死亡扱いになり、やはり戸籍は無い。そんなところか。
そういう経緯ならば、後に殺し屋でありながら普通の若い女性としてイキイキと生活をするカナコに憧れた殺し屋・細美は、結婚を口にするが、彼には戸籍すら無かったのではないかとも考えられる。
全うに生きるため蔦重が歌麿に【人別】を用意したのに対して、細美が所属していた組織としては殺し屋に戸籍なんか無い方が都合が良いはずだから。
そのことは殺し屋・細美自身も知っていただろうが、誰かしらの戸籍を買ったり偽造したりすることは容易い。なので、新たな戸籍で殺し屋であった過去など微塵も分からないように生きることは不可能ではない。
ただし、組織がそんな自分勝手な幸せを掴むことは許すはずがない。
細美はまず直接指示を命じていたTATTOOだらけの仲間が自分を差し置いてカナコに接触しようとしたこともあり抹殺。離れた所からの銃撃だが相手の眉間の真ん真ん中を1発で撃ち抜いた。しかしながら、留目を射すことも忘れないどころか しつこいくらいに近づきながら何発も放ち、自身も返り血を浴びたほど。
そして、カナコの引っ越しの手伝いや映画館デートを通して距離を詰め、交際を申し込み、細美が自分を狙っていた殺し屋と気付いていないカナコはもちろん有頂天気味に承諾。
しかし、カナコを細美の部屋に招いた際に買い忘れた食品を細美1人で買いに行っている間に、好きな男の部屋をこっそり物色していたカナコは銃を見つけ細美が自分を狙っていた殺し屋とようやく気づく。
視聴者は何故にあんなに分かりやすい場所に鍵も掛けずに銃を置いていたのかと訝るかも知れない。だが、私は細美は敢えて見つけてもらいやすい所に銃を仕舞い。自身の正体をカナコに察知させようとしたのだと感じた。
そう考えれば、買い忘れもワザとであったのだろう。
細美の正体を知ったカナコに彼は殺し屋稼業から足を洗い、2人結婚して普通の人として暮らし生きていこうと提案する。普通の職業に就き、普通に働き、普通に結婚し、普通に暮らし、そして普通に子供ももうけ、親として普通に子育てもする。細美の話す普通の人生は彼にとっては今まで手に入らなかった憧れが詰まった夢の生活だ。
しかしながら、ブラック企業を退職後に殺し屋になったカナコは普通の生活をよく知っている。普通がどれほど大変で苦痛が多くストレスフルであり、ほんのちょっとの転倒で殺し屋になる人生と紙一重か、普通とは細美が想い描いているような夢の暮らしではないと告げる。
しかも、殺し屋であるカナコと細美が普通になれるはずがない。組織や警察などが放って置くはずもない。端から不可能なことである。
だが、細美は自分とカナコならそれが出来ると自信満々に言い切る。それは何故か、もちろんカナコの言うような普通の難しさを細美は全く知らないからでもある。
加えて、私見ではあるが、そもそも細美はリアルに普通の生活を実現しようとは思っていないのではないか。ただ一瞬の夢を見たかっただけなのでは…と感じた。その理由は後で述べる。
また、細美のカナコへの気持ちは恋かもしれないが、結婚までも考える愛なのかは疑わしい。
繰り返しになるが、細美は平常は普通のOL風の明るい生活を送るカナコに憧れた。殺し屋なのに闇や裏側で生きている感が全く無いそんなカナコに興味を強く持っただけ。そんなカナコの強さたくましさに惹かれただけ。細美の夢は普通に生きるだったから。
冷静に考えてみると女性としてのカナコに惹かれ愛情が湧いてきた訳では無さそうに思える。細美自身はそれを"愛"と信じ込んでいるのだろうか。それも違うような気がする。
細美はほんの一瞬夢を見てみたかっただけなのではないか。これまでの人生に明るいものや夢や希望と呼べるものが全く無かったから。
殺し屋の世界しか知らない細美でも、たとえカナコと2人駆け落ちのように逃亡し、名前を変え、場合によっては顔も変えたとしても、100%間違いなく殺し屋の組織には見つかる。そのことは容易に想像できたはずである。カナコよりも細美の方が厳しく非情な殺し屋の世界はよく知っている。イヤになるほど知っている。
何故に私がそう考えるか。
カナコが細美の結婚の提案をリアルな過酷な普通について述べて拒否した時に、カナコを撃った細美だが、至近距離に在りながら致命傷を負わせてはいない。加えて、留目も射してはいない。指示を下していた仲間を殺した時には的確に撃ち抜き、きとんと留目を射した細美がである。
細美の夢は普通に生きること。そう自身で言いながら叶わぬ夢と熟知している彼は、カナコに掛けた…ほんのひと時でもそんな日々を送れるかもしれないと。
だが、カナコが同意したとしても、それはほんの一瞬の幸せで すぐに破綻する…そんなことは分かっている。また、カナコが拒否した時には銃を放ち、カナコにきっかけを与える…そこまでが細美の企てではなかったのか。
なんのきっかけかって…カナコが自分を消してくれるきっかけだ。途中変更の殺し屋ながら本質は真性の殺し屋のカナコなら細美が撃てば絶対に反撃に出て自分を殺してくれると彼は知っていた。だから、カナコに致命傷を与えず、その後は隙だらけで側に立ち尽くしていた。
つまり、細美は殺し屋の生活から抜け出したかっただけなのではないか。
もちろん出来得ることならば普通の幸せな生き方へ進みたかっただろうが、殺し屋として育てられ強制的であったとしても、これまで大勢の人間の命を手にかけ葬っているわけで、そんな自分が当たり前の幸せなど手に入れられるなんて虫の良い話はないだろうことは推測できたはず。
ならば、一瞬だけ夢見て自身の人生で最も興味を持ったカナコに殺されること…それが最期に細美と名乗っていた男の2番目の、だが実現性としては最有力の夢だったのだろう…と私は感じた。
さらにもう1つ、カナコは細美と名乗っていた男の遺体の処理を社長に依頼している。裏社会で生きた男を闇で葬るのだから墓なぞ建てられるはずもない。その遺体だって山奥に埋められる、海に捨てられる、バラバラにされ廃棄処分される、どれも哀れで悲劇的だが、そういう風になるとしか考えられない。
おそらく戸籍も無く、墓も無い、もちろん死亡届など提出されるはずもない人間。彼が生きた証しは何処に有る? 何処にも無い。つまり、最期に細美と名乗っていた、そんな男は何処にもいなかった、生きてはいなかったのである。
僅かに出逢った人たちの心に想い出として残るかも知れないが、おそらく関わった人間は細美自身が抹殺した仲間と組織の一部の人間とカナコ、桜井だけであろう。
元の組織の者たちはいつの間にか居なくなった者を当初は裏切りかと考え探すだろうが、生きている痕跡が見付からなければ、ドジを踏んだか、身バレして抹殺されたか、自死したと判断しすぐに忘れ去る。
1度だけ交戦した桜井もカナコを気遣い細美のことは口にしないだろうし、桜井のタイプからすればもしかしたら邂逅の回数は少なくとも忘れないかもしれないものの一生口に出すことはない。
カナコは最初は哀しんだが思いっきり声を出すことと仕事=殺しを重ねることで心の、あるいは脳の奥の奥の方に細美を追いやり やはり口にすることはない。
なので、やはり最期に細美と名乗った男は存在しなかったことになるのだ。
結論。最期に細美と名乗っていた男は幼少期から殺しを【強育】され、そのために腕利きの殺し屋になっただけで【普通】の、極々【普通】の男、人間だった。
それに対し西野カナコはブラック企業勤めをきっかけに目覚めた真性の[PSYCHOPATH]だったのだ。
そもそも細美が敵う相手ではなかった。
歌麿と細美と名乗った男、どちらも言語に尽くし難いツラい人生を送った人間ではあるが、出逢う人と持ち得た才能の種類により大きく道は違っていた。
殺し屋男の場合は不可抗力の部分が大きいけれど、人間は生きる上においての人との出逢い…それが最も大切な要因なのだと痛切に感じた。
人間、世に生まれ出て、生きたからには有名などにはならずとも、誰かの記憶にほんの少しでも残り、そう言えばこんな人がいたねぇ…と語ってもらえる存在でありたい。

