そういうわけで、私のペットロスはこれからも果てしなく続くのです。
昨年度ウロコインコのモモちゃんが突然虹の橋に渡り、ペットロス癒えぬまま2ヶ月後には9年一緒に居たコザクラインコのポポちゃんまでが…という立て続けに起きてしまった事が原因なのもありますね…
鳥って犬や猫と比べるとかなり小さいけれど、鳥の可愛さは飼った人にしかわからない何とも言えない愛らしさがあり、人間の気持ちを読み取ったり言葉を覚えたり、とても頭の良い生き物なんです。
どんなに小さい生き物でも、その家族にとってはかけがえのない家族。
病気をしてから精一杯の最善を尽くしたとしても、亡くなってしまえばあの時こうしていれば…のタラレバの後悔だらけ…
ずっとずっと先の未来では何百万もお金は掛かるけど「天国に居るペットにひと目だけ逢える」っていうのが叶わないかなぁって、ボソッとまた子供みたいな事を言い出す私。
そんな私に娘が「ママ、ひと目でももし逢えることが叶ってしまったら、人間は大切なペットが亡くなっても悲しくなくなってしまうよ」と…
娘の方が大人じゃないか!
ほんとそうなのだ。亡くなってしまって辛くて泣いてても「お金払ったらまた逢えるか」ってどこかで考えてしまって、人間は悲しむという感情が軽くなってしまう。
人間でもそう。もしそんな事が叶う未来が来たら愛する家族が亡くなっても「またね!」って軽いものになっちゃうや。
なんで悲しいかって、天国が本当にあるのかなんて立証されてないし、自分が死んてもその人と会える保証なんてどこにもない。
もう会えない、触れられない、声も聴けないからこそあんなに泣くんだ…
自分がいつか死んだら、天国で亡くなった父や友達のKくんにも会えて、虹の橋では鳥さん達が待ってくれてる保証なんてどこにもない。辛くて会いたい気持ちがつのるばかり…
そんな中でも1つだけ救いがあって、父やKくん、鳥さん達が夢に出てきてくれる事がある。
夢では逢える。毎日見たいけどほんのほんのたまーに。父なんて何年かに1回レベル。
それでもいい。夢の中での再会は本当に逢いに来てくれてるという不思議な感覚がある。
ペットロスは辛いけれど、そのごくたまーに出てきてくれるあの子達を楽しみに、今日もなんとか乗り越えよう。ずっと大好きだよ。