2013年UTMF ウルトラトレイルマウントフジ開催の方向 | ウルトラランナーへの道

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2011年に立てたサブスリー、サブナイン、UTMF完走の目標は2012年サロマをもってすべて達成しました。陸上経験がなく40才から走り始めたランナーでも練習の仕方で速くなれることを実証しました。練習、栄養、ケア、グッズ、レース戦略について書いたブログです。

今でも夢に見るUTMF。。

悪夢じゃないよ 笑

それと、レース中は夢を見られなかったけど 笑

夢を見られなかったのは物理的な意味では二晩で45分しか寝てないから。精神的な意味では、あまりにも不条理(と思えた)コース(特に天子山塊終盤)にもう絶対でないと思ったから。 
 
今は出たいです。

レース前にいろんな方(関係者含む)から自然環境の問題等で今年一回で終わる可能性が高いから完走を狙いましょうね。と言われてました。が来年も無事開催の方向性で動いているようで安心しました。 

以下大会公式ホームページより抜粋。

「ウルトラトレイル・マウントフジ」2013年開催について 「ウルトラトレイル・マウントフジ」2013年開催について

第2回大会開催のために開催日・コース設定の最終調整を行っています。 自然保護団体の方々からご意見やアドバイスをいただき、 動植物の繁殖時期である5月~6月を外して開催する予定です。 また、舗装路区間を減らしトレイル率を増やすよう関係省庁へ申請しています。 開催日・コースの発表は改めてお知らせいたします、しばらくお待ちください。 なお、2013年度UTMFおよびSTYの参加資格は以下のように変更する予定です。 UTMF 大会当日に18歳以上の男女で、コースを迷うことなく制限時間内に完走できること。 2010年1月1日以降に、100km以上のトレイルランニングレースを1回以上完走、 あるいは70km以上のトレイルランニングレースを2回以上完走していること。 STY 大会当日に18歳以上の男女で、コースを迷うことなく制限時間内に完走できること。 2010年1月1日以降に、70km以上のトレイルランニングレースを1回以上完走、 あるいは40km以上のトレイルランニングレースを2回以上完走していること。 両クラスとも、エントリーの際に、完走した大会の名称、開催年月日、レースナンバー、タイムなどの申告 必要とします。

大会時期が5~6月でないとすると何月なのか?

積雪の可能性が高い天子山塊を外すのであれば4月も可能だけど天子山塊は外さないでしょう。

6月はサロマに出るから外れてラッキーです。

7~8月は暑いけど私的には問題ない。特にトレイル率を高めれば日差しを遮ってくれるしね。ただ只でさえ過酷な100マイルレースを酷暑の中でやるのは相当厳しい。でも標高上がれば涼しいですけどね。

私は9月がベストと思ってます。ただ信越五岳と被ってしまう。。。

10月以降になるとフルマラソンのレースとの兼ね合いが出てくるが、10月開催ならもちろんエントリーします。

あと変更点は参加資格が厳しくなったことです。と言うより前が甘すぎたのだと思います。

ちなみに2013年のUTMF参加資格は

100キロ以上のトレイルレース完走

もしくは

70キロ以上のトレイルレース二回完走

ですが、
 
2012年は、

100キロ以上のレース完走

もしくは

50キロ以上のレース二回完走。

でした。

2012年参加資格なら例えば荒川50Kのような50キロロードレースを二回完走すれば出れたわけです。。。

当時から甘いな~って思ってました。そう言う私も2013年基準だと参加資格を満たしてませんでした。100キロ以上のロードレースは何回も出てましたがトレイルはハセツネが最長でした。ただ24時間走で178キロを走っていたので距離に関しては不安はなかった。

ただ一回走って感じたのは、156キロと言う距離ではありますが、累積標高が8500mある山岳レースであることからロードのウルトラで換算すると(実際勘案は難しい)最低でも50%増の234キロ以上先のゴールに辿り着ける力がないと危険だと思いました。

今回私は天子山塊に入る前の西富士中学校のエイドまでの102キロは余裕で行かないと完走が出来ないどころか、生死にかかわるような事故にあう危険性を感じました。しかし序盤の難所である杓子山はじめ102キロまでも相当厳しいことが容易に想像できました。

そこで私がとった作戦は走れても走らない。もちろん全部歩いてるわけではないけど、身体への負荷が大きいと判断した場所は早歩きで通しました。

そのかいあって余裕とは言えないけど余力を残して天子山塊に向かうことができました。それでも毛無山以降から本栖湖まではきつかった(__;)

天子山塊に入る時点で余裕のないかたは、想像を絶する厳しさだったと思います。

そんなことを考えると今回の参加資格改定は当然だと思います。

またコースがかなり変わりそうですが希望とすると天子山塊の毛無山以降はコースが変わるといいなと思います。あの粘土質の急傾斜を降りるのは危険過ぎます。トップランナーはまだ道が荒れてないし、ランナーが詰まってないから走っておりれば転びにくい。でもそれ以降になるとみんなが滑るから磨いたアイスバーンのようにツルツルになってて、気をつけても転ける。もちろん数珠繋ぎになってるから走ってなんて下りれない。滑って人を巻き込むことも巻き込まれることもありました。

怖かったのは米俵くらいある岩に足をかけたら岩には根はなく岩が滑り落ちた。幸い前に人はいなかったけど、あたりの空気は固まりました。

参加者の多くが願ってるのは、苦しく厳しいコースはいいけど、危険なコースは避けたいってことです。

もし来年も参加できるなら今年の忘れ物をとりに行きます。

それはあまりに終盤頭にきていたので、笑顔でゴール出来なかったこと。またその時はコース設計者の鏑木さんが憎かったので出迎えて戴いたのに不機嫌な顔であったこと。

来年は満面の笑みでゴールしたい。