3月18日
3月18日。この日は我々シンディ・ローパーファンにとって忘れられない日だ。2011年3月11日。東日本大震災が起こった正にその日にツアーで来日したシンディ。15時30分に成田着予定の便に搭乗中、14時46分に大震災が発生。成田空港は封鎖され、一旦横田基地に着陸。22時頃に羽田空港での入国審査を経て、交通渋滞で都内のホテルに着いたのは12日午前4時ごろだったという。大混乱の日本を目の当たりにし、日本ツアー開催を悩んだシンディだが、キッパリと宣言する。「私は歌うことが仕事。少しでも勇気を、少しでも元気を与えることができるなら、それが私の仕事」「私は何があってもステージを続けます。こんな時に日本の友人達に背を向けて逃げ出すことはできない。愛する日本のために、私にできることは歌うことだけだから」数々の外タレがイベントをキャンセルし帰国する中、米国政府からの帰国勧告も押し切ってツアーを予定通り敢行することを決断。余震も続く。原発も爆発している。それを全て日本の地で目の当たりにし、自身及びバンドメンバー、スタッフ全てが危険の渦中にある中での勇気ある決断だった。「日本は、これまで世界中の困っている人を助けてきた。だから今回はみんなで日本を助けたい」として、シンディはこう言う。「ちょうど飛行機に乗っていたので何が起こってるのかわからなかった。空港やホテルで、毛布をかぶった人たちがたくさんいて心が痛んだの。部屋でテレビをつけたら、本当に凄まじい状況になっていることがわかりとてもショックだった。でも、今、私は日本にいるんだから、何ができるかを考え、私にできることは音楽。私の歌で少しでも勇気を、少しでも元気を与えることができるなら、それが私の仕事と思っているわ。日本はRISING SUN(日の登る)の国。自分たちを信じて立ち上がりましょう。ガンバッテ!」超親日家で、阪神大震災の被災者への寄付やチャリティーにも参加したことのあるシンディ。1994年12月17日、私の初めてのシンディのライブが兵庫県の神戸国際会館で開催されたが(この日のライブも衝撃的で、一生シンディについて行こうと決意したわけだが、それはまた別の機会に)、ちょうど1ヶ月後の1995年1月17日に阪神大震災が発生(神戸国際会館は全壊)。シンディは即座に義援金を提供。直後の2月3日には震災の傷跡生々しい生田神社でチャリティーとして豆まきを行っている(大混乱のため2分で中断)。2011年3月のライブ会場には、震災の被災者、被災地への義援金の募金箱を設置することを提案、観客に自らの声で募金を呼び掛けた。節電も呼び掛け、会場の電力は1/3にまで落としたライブだった。3月16日の東京公演初日、渋谷Bunkamuraオーチャードホールでのライブは、2000人収容の会場(SOLD OUT)で参加者は1700人程だったいう。来たくても来れなくなった人がどれほどいたことか。 震災でそれどころじゃなくなってしまった人がどれほどいたことか。 亡くなったご家族の遺影を持って参加していたファンもいた。チケットを取っていても会場に来ることができなかった人には、チケットを払い戻すという決定もしている。東京最終日となった3月18日、シンディは最終曲『True Colors』に入る前にこのようなコメントを発した。「今夜会場を出る前にみんなにお願いがあります。湯川れい子さんと日本の有名な皆さんが集まってくれて(被災者の皆さんのために)募金活動を行います。一人一人がちょっとずつでもいいので、是非ご協力お願いします。一人一人の力は小さいかもしれないけど、それが集まると大きな力になるので。この曲『True Colors』はヒーリング・ソング(癒しの歌)。みんなで歌って元気を出しましょう。一緒に頑張りましょう」終演後、オーチャードホールのロビーには芸能人の方々が募金箱を持って義援金を募り、それはそれは長蛇の列に。テリー伊藤、デーブ・スペクター、京子、相川七瀬、平尾昌晃、森口博子、クミコ、イルカ、MASA(スポンテ二ア)、そしてシンディのステージで共演を果たしたTOKUといった面々が、募金を呼び掛けた。※全員純然たるシンディのファンです。自分でチケットを購入して来ています(TOKUは共演者)。そこへ、なんとシンディ自身も登場。大歓声の中迎えられての参加となった。コンサート終演後で非常に疲れていたことだろうが、募金をしてくれたオーディエンス一人一人と握手やハグを交わし、その想いを深め合った。そこには、混乱もなく非常に温かい空間が生まれることになった。この時、会場の入口は開放。つまり、チケットのない人も入れる状態だった。シンディは世界のスーパースターだ。想像できるだろうか?スーパースターが、ファン一人一人と、全員と、コミュニケーションするシーンを。 想像できるだろうか?スーパースターが、一人一人のファンの言葉にもならない声にじっと耳を傾ける姿を。 シンディの一挙手一投足を世界中が見ている。シンディがこうして動けば、少なからず世界に影響力がある。シンディはこうしたことも全て理解し、自らの使命と自覚する行動を取った。私もその中の一人になることができた。シンディにただ一言、「ありがとう」が言いたい。でもそれすら言葉にならず、シンディを目の前にして泣き崩れてしまった。そんな私をシンディはぎゅっと抱きしめてくれ、耳元で何度も「ガンバッテ!ガンバッテ!」と励ましてくれた。※順番待ちで5メートル手前で既に号泣して倒れそうだった私に、イルカさんが「大丈夫?よかったね!」と手を差し伸べてくださった。それも良き思い出。私には、ブログやmixiで知り合った沢山のシンディ大ファンの仲間がいる。みんな泣いていた。シンディと握手やハグができるなんて、熱狂的なファンの私達でも、一生あっても実現しないと思っていたことが現実となったのだ。更に話は続く。最終の大阪公演を残した日。ある日本人スタッフが「シンディ、大阪最終公演をインターネットで中継しないかい?」と提案。シンディは「それは被災地の方々も観れるの!?」と即座に賛同。最終公演はニコニコ動画で無料生中継された。ポップスターの無料生中継は生半可なことではない。マネジメント、イベント会社、スポンサー、等々、様々な利権が複雑に絡み合っている。シンディはたった1日で全ての関係者を説き伏せ、無料生中継を実現した。中継が発表されたのは最終公演当日の午前。にも関わらず、75,000人が視聴した。勇気と慈悲のある行動だった。何であんなことができるんだろう?何であそこまでできるんだろう? 彼女の器は計り知れない。シンディがいるから私はある。シンディは私にとっての「宝物」。自分より大切な人。恩人だ。いつか必ず恩返しがしたい。そんな夢を抱きながら私は生きている。3月18日を迎えると、私は涙が止まらなくなる。※最後の写真は私がシンディとハグする瞬間。奇跡的にテレビで放映されたものをシンディファンの仲間が撮ってくださった。【追記①】2012年3月来日時の、日本外国特派員協会でのシンディの記者会見より。(全文はこちら↓)http://www9.nhk.or.jp/kabun-blog/800/112997.html「皆から「なぜ留まったのですか?」と聞かれますけれど根っこにあるのは、次のような考えです。歩いていて、前の人が転んで倒れたとき、どうするか?ということです。立ち止まって、立ち上がるのを手を貸すか、それともその人を踏んで歩くのか、ということです。私は転んだ人に手をさしのべるような人間になるように育てられました」【追記②】シンディファンの仲間が作ってくれた動画↓http://m.youtube.com/watch?v=lY3eUCsRBSIシンディに日の丸国旗を渡したのも私の仲間。アメリカのアーティストが日の丸を羽織ることは簡単なことではない。彼女は即座にその意義と重みを理解し、リスクを全て受け入れ、何の躊躇いもなくその場で羽織ってくれた。