AstroAgeda において、
新しく物事をはじめる事が、
とてもよい日とされている日です。
来年には40歳を迎えるにあたり、
いままで生きてきた39年の過去を、
振り返っていました。
成人までの20年は、
どんな生き方をしてきたのか?
成人から現在までの20年は、
どんな生き方ができたのか?
来年40歳を迎える日からの
20年の過ごし方は、
何に挑戦したら自分がしあわせを
感じられる生き方なのか?
大阪を拠点として、
飛行機を通勤に使うような日々、
毎日が時間に追われている日々。
時には、クールダウンがとても必要。
孤独な時間を敢えて確保する事によって、
アイディアも浮かんで来るし、
自分のミスや反省すべきこと。
たくさんの気付きが得られてくる気がします。
治療家として4代目の家庭に生まれ、
最初は弁護士を目指して法律を勉強したけど、
普段強がっていた父親が、ある日突然。
「跡取りが欲しい。」という男泣きを見て、
治療家の跡を継ぐ事にした。
思い返してみると、
やはり人間を支配している大きなルールは、
確実にそこにあって…
私が弁護士を選んでいれば
「 法律 」という
人間の作ったルールに従う生き方を
大事にする人間になっていたと思う。
私は治療家を選んだのだが、
自然のルールから離れる事で
問題が起きるという
大自然のルールである
「 無為自然 」に従う生き方を
大事にする人間になっている。
宿命が人間ひとりひとりに与えられた
避けることができないモノだとしたら、
私にとっての宿命は、
「 ルールに従う生き方 」だろう。
これが私の本質にとても合っている。
運命が人間の自由選択において、
進む道を決めるモノであるならば、
「 何に従うのか? 」の部分を、
過去の私は、
きちんと自分の責任で選んでいた事になる。
私の友人からは、
「 しんやの書く BLOG は難しいわっ!! 」
とよくツッコミをいただく。
でも…これも、わたし。笑
いままでの治療家になったのは、
父親の男泣きを見たから。
果たして私は、
本当の意味で治療家を選択したのか?
こういう疑問を自分に投げかけてみる。
きっと私は父親のように
「 人助け 」をする生き方を、
視覚情報で見て憧れていたのだと思う。
たくさんの人に囲まれる父親を見て、
たくさんの人から感謝される父親を見た。
しかし、私の本質は…
父親の人生のコピーで本当に満足しているのか?
その問いに対しては、否。
としか導き出せない。
たくさんの人に囲まれる生き方をしているが、
私は静寂な時間の方が好き。
時間の経過を味わう、
哲学思考に耽る時間を味わいたくなる。
「 これはどうしてなのか? 」と、
自分に自問自答する。
そうすると、
「 いまの世の中に興味がない 」
という難解な答え。
人に喜んでもらえる生き方を、
長年やって来てしまって、
それも普通にうまくいってしまったので…
もう人の期待に応える
ピエロのような生き方は飽きたようです。
では…
「 残りの20年、どう生きてみたいか? 」
と、ずっと考えていた。
考えてもわからないことは、
悩んではいけない。
しかし考えてもわからないことを、
なかった事にするのは、ただの逃げ。
わからないことは、考えられるべきである。
人との出逢いで人生は彩られる。
と私は感じているのです。
最近あった出来事、たくさんある。
そういう日々の出逢いが、
実は神様達からのギフトで!
自分のステップアップが進められていく。
今後の20年は、
みんなの期待に応える生き方ではなく!
みんなの予想の斜め上を行く、
期待を裏切る生き方を提供したい。と感じる。
いままで宇宙の手助けなど、
たくさんの恩恵を受けてきました。
最近は血筋の恩恵を、
強く受けるようになりました。
残念ながら…
私の出身地である広島県呉市は、
戦時下の呉大空襲によって先祖過去帳など
すべて失われてしまっています。
しかし血筋、先祖霊の導きとは、
本当に神妙で不思議なもの。
何年か前から、
小田原城に何度も足を運び
行ったことがないのに懐かしく感じる。
そんな時間を過ごしていました。笑
私は本名「 木村 」を名乗っていますが、
血筋はどうも…
竹原小早川からの蒲刈小早川の流れのようです。
文献などで調べてみると…
相模国を本拠地とする桓武平氏土肥氏の分枝で、鎌倉時代初期、源頼朝に仕えた土肥実平の子・遠平が土肥郷の北部・小早川(現在の神奈川県小田原市早川付近)によって小早川の名字を称したのが始まりの一つと伝わる。
遠平は平家討伐の恩賞として平家家人沼田氏の旧領であった安芸国沼田荘(ぬたのしょう、現在の広島県三原市本郷町付近)の地頭職を拝領し、これを譲られた養子・景平(清和源氏流平賀氏の平賀義信の子)が、安芸国に移住した。
建永元年(1206年)、景平は長男の茂平に沼田本荘を与え、次男の季平には沼田新庄を与えた。
茂平は承久の乱で戦功を挙げ、安芸国の都宇荘(つうのしょう)・竹原荘(たけはらのしょう)の地頭職を加えられた。
竹原小早川
茂平の四男・政景が、都宇・竹原荘、沼田荘梨子羽郷の一部を分与され、木村城を本拠としたのが始まりである。
呉大空襲によって、
すべての記録は失われてしまっていますが、
調べてみると「 木村城 」という遺跡が、
広島空港近くに残っていました。
いま私達が名乗っている
「 木村 」の苗字も、
もしかしたら小早川家の分家となった
一族が名乗りはじめた名前なのかもです。
私は生まれ持っての体質から、
時空間を超えて子孫を応援してくださる
祖霊達の意識エネルギーを感じています。
「 血族意識 」とか「 一門意識 」が、
いま生きている人間の運勢にまで、
影響すると言えばいいのでしょうか?
過去の時代に生きてきた人達の哲学が、
「 子孫繁栄へと導く方向 」として感じます。
これからは大きな渦を、
私に注いでくださる
「 小早川 」の先祖の苗字を頂戴して!
みんなの予想の斜め上を行く、
期待を裏切る生き方を提供する
「 生き方革命家 小早川真也 」
として活動をしていきたいと思います。
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