今日は久しぶりに忙しいフリができた一日になりました。くったくたになったはずなのにやっぱり眠れねぇ。
今日の主な予定を振り返ると…
朝7時半就寝→11時起床→家であれこれ(旅行の荷造り確認、部屋の掃除細部、干したラグをとりこむ、トイレ掃除1階2階、猫のトイレ掃除、2階のベッド部屋の荷物を端に、ゴーヤを3階から2階へ移す、燃えるゴミ纏め、枝豆を茹でる)→注文していた商品をとりにみっつ先の駅のショッピングモールへ→歯医者→帰宅して夕食→旅行の荷物を持って二時間かけて彼氏んちへ。
以上、忙しいフリをしてたまには充実感を噛み締めるのもいいものですね!
今日のね、歯医者の治療はね、右の一番奥の歯の最終治療だったんだけどね、今回は今まで以上に虫歯進行が進んでたみたいで大きな被せものをすることになりました。噛み合わせ部分じゃなくて側面につけることになってしまったんです。だから舌で触ったときの違和感がはんぱない!いつか慣れるのだろうか。
幼い日に見たじぃちゃんの歯のひとつがなんで丸々一粒銀色に光ってるんだろう、きれい!羨ましいな…って言っていた記憶が今日よみがえりました。
私はその頃から虫歯っ子で歯医者へ行ってもおじいちゃんの歯になれないのが当時は悲しくて不思議だったんだっけな。
今では私の口にも欲しくて仕方がなかった銀色の粒が実ることとなりました。じっちゃは今は入れ歯さん。私も早くに歯がきっと無くなってしまうんだろうな。歯はほんとに大事にしないとね。
私は今でこそ毎日2回は丁寧に磨いてるものの、10代のころはほとんど歯磨きしなかったのがいけないのかなと思っています。まぁ歯磨き粉のミントが苦手なのもあったけど、なにに対しても反抗期そして自暴自棄な生活が私は長かった。だから歯を磨かなかった。風呂にも入らなかったし学校にもいかなかったし勉強もしなかったし習い事やイベント行事にも興味がなかった。そうして自分におもりを積み上げていってひたすら動かないでいたらいつのまにか私は大人になっていた。
私はずっと我慢していたんだ。本当は自分を解き放って私という人生をフルに使い込んでみたかった。心許していた施設の先生に、甘えているんだね自分がかわいくてしかたがなくて動かないんだねって言われたときはなんだか悲しかった。私は自分の考えに自信がなかったから私はそうなんだ甘えてるんだって思った。施設の先生も嫌みや叱咤で言ったようではなくて私の話を全部聞いた上で出した結論のようだった。納得しながらも、自分をさらけ出してもわかってもらえていないような違和感はそこで感じた。
あとあと思えば自分でも自分のことわかっていないのだから上手く伝えらないわけでそれを理解してもらおうと試みるのは無理があったのかと思う。
私はずっと私の理解者を求めていた。漫画の中の主人公の親友のようななにも言わなくても、あいつの考えてること俺にはわかるぜ!的なやつね。
それからもう10年くらい経つんだろうかね。ほんの少し前の最近になってようやく私は気がついたんだ。自分のことを理解できる人はほぼ100%いないのだと。だって自分はこの世に一人しかいないのだから。早い話村上春樹氏の小説の主人公を例に、文面から読み取る主人公の感情は読者の数だけあって正解はないのだし作者の意図なんて更にわからないものでしょ。これは極端だけれど、みんなそうなんだ本のように語り手に耳を傾けて聞いて想像して理解しようとしている。一般から逸れれば逸れるほど聞き手の受け取り方は語り手の求める理解の形とは違うものになっていく。だから100%じゃない。
話がそれたかな。私はずっとね、手を差しのべてくれて抱き締めてくれる空想の人物をどこかに求めていたんだ。なんでそんなにボロボロなの?かわいそう。私が助けてあげるよって泣きながら抱き締めてくれるような人を。多分、私はずっと母親の愛が欲しかったのだと思う。いまはじめて気がついた。自覚がなくずっと求めながら私は私を蔑んで追いつめていた。
ってなわけで私の正体は、私がこの世で二番目か三番目くらいに大嫌いな構ってちゃんだったのかもしれないです。あああ!!ちょっとショッキングな事実!!!
でもさ、このことに気がついたのはちょっと遅すぎたかもしれないね。歯とおんなじ。部分的に修復は可能だけど、もう真っ白で完璧な私にはなれないんだもの。ツケというやつですよ。
でも直さないよりはマシ。そう思って進むしかないね。いつか全部の歯が抜け落ちてしまうまで。
今日の主な予定を振り返ると…
朝7時半就寝→11時起床→家であれこれ(旅行の荷造り確認、部屋の掃除細部、干したラグをとりこむ、トイレ掃除1階2階、猫のトイレ掃除、2階のベッド部屋の荷物を端に、ゴーヤを3階から2階へ移す、燃えるゴミ纏め、枝豆を茹でる)→注文していた商品をとりにみっつ先の駅のショッピングモールへ→歯医者→帰宅して夕食→旅行の荷物を持って二時間かけて彼氏んちへ。
以上、忙しいフリをしてたまには充実感を噛み締めるのもいいものですね!
今日のね、歯医者の治療はね、右の一番奥の歯の最終治療だったんだけどね、今回は今まで以上に虫歯進行が進んでたみたいで大きな被せものをすることになりました。噛み合わせ部分じゃなくて側面につけることになってしまったんです。だから舌で触ったときの違和感がはんぱない!いつか慣れるのだろうか。
幼い日に見たじぃちゃんの歯のひとつがなんで丸々一粒銀色に光ってるんだろう、きれい!羨ましいな…って言っていた記憶が今日よみがえりました。
私はその頃から虫歯っ子で歯医者へ行ってもおじいちゃんの歯になれないのが当時は悲しくて不思議だったんだっけな。
今では私の口にも欲しくて仕方がなかった銀色の粒が実ることとなりました。じっちゃは今は入れ歯さん。私も早くに歯がきっと無くなってしまうんだろうな。歯はほんとに大事にしないとね。
私は今でこそ毎日2回は丁寧に磨いてるものの、10代のころはほとんど歯磨きしなかったのがいけないのかなと思っています。まぁ歯磨き粉のミントが苦手なのもあったけど、なにに対しても反抗期そして自暴自棄な生活が私は長かった。だから歯を磨かなかった。風呂にも入らなかったし学校にもいかなかったし勉強もしなかったし習い事やイベント行事にも興味がなかった。そうして自分におもりを積み上げていってひたすら動かないでいたらいつのまにか私は大人になっていた。
私はずっと我慢していたんだ。本当は自分を解き放って私という人生をフルに使い込んでみたかった。心許していた施設の先生に、甘えているんだね自分がかわいくてしかたがなくて動かないんだねって言われたときはなんだか悲しかった。私は自分の考えに自信がなかったから私はそうなんだ甘えてるんだって思った。施設の先生も嫌みや叱咤で言ったようではなくて私の話を全部聞いた上で出した結論のようだった。納得しながらも、自分をさらけ出してもわかってもらえていないような違和感はそこで感じた。
あとあと思えば自分でも自分のことわかっていないのだから上手く伝えらないわけでそれを理解してもらおうと試みるのは無理があったのかと思う。
私はずっと私の理解者を求めていた。漫画の中の主人公の親友のようななにも言わなくても、あいつの考えてること俺にはわかるぜ!的なやつね。
それからもう10年くらい経つんだろうかね。ほんの少し前の最近になってようやく私は気がついたんだ。自分のことを理解できる人はほぼ100%いないのだと。だって自分はこの世に一人しかいないのだから。早い話村上春樹氏の小説の主人公を例に、文面から読み取る主人公の感情は読者の数だけあって正解はないのだし作者の意図なんて更にわからないものでしょ。これは極端だけれど、みんなそうなんだ本のように語り手に耳を傾けて聞いて想像して理解しようとしている。一般から逸れれば逸れるほど聞き手の受け取り方は語り手の求める理解の形とは違うものになっていく。だから100%じゃない。
話がそれたかな。私はずっとね、手を差しのべてくれて抱き締めてくれる空想の人物をどこかに求めていたんだ。なんでそんなにボロボロなの?かわいそう。私が助けてあげるよって泣きながら抱き締めてくれるような人を。多分、私はずっと母親の愛が欲しかったのだと思う。いまはじめて気がついた。自覚がなくずっと求めながら私は私を蔑んで追いつめていた。
ってなわけで私の正体は、私がこの世で二番目か三番目くらいに大嫌いな構ってちゃんだったのかもしれないです。あああ!!ちょっとショッキングな事実!!!
でもさ、このことに気がついたのはちょっと遅すぎたかもしれないね。歯とおんなじ。部分的に修復は可能だけど、もう真っ白で完璧な私にはなれないんだもの。ツケというやつですよ。
でも直さないよりはマシ。そう思って進むしかないね。いつか全部の歯が抜け落ちてしまうまで。