あの日曜日、実は子供の用事で外にいたんですね。 たまたま時間を見ようと取り出したスマホ。10時35分。メールに気が付いて何げなくあけて本当に血の気が引いた。スマホを持つ指先からざっと凍えるようだった。
でも、目の前には子供たちがいて自分もやることがあって。ログインは無理だけど知らないままでいられなくてしばらく後にネットをさまよって何が起きたか知りました。
それでももちろん、目の前にはやらなければならない現実があって。もしかしたらあの時はそれがあってよかったのかもしれない。
家に帰ってようやくFCにログインできて、すばるの文章では泣かなかった。でもおーくらの文章を見たらダメで。ものすごくすばるへの愛にあふれてたから。会見では一番辛辣だったのにね。
号泣するわけじゃなくてでも涙があふれて仕方なかった。もうどうしようもなくてあきらめるしかない。もういい年齢になってるのでどうしようもなさも十分わかってる。泣いて惜しむことしかもうファンにはできることはない。あの日からずっとふとした時に泣けてしまう。特にスイッチがあるわけじゃないんだけど絞り出すように涙がにじんでくる。おかげでずっと頭がちょっと痛い。
旦那にもふて寝する(現実逃避) と宣言した月曜日。スポーツ新聞もワイドショーも全然見なくて、見たくないというよりもそれを求める自分がイヤだった。私キィワード録画してなくて、だから番組表からワイドショーを探して録画予約して、エイトの会見だけ編集してDVDに焼いてっていつもやってるその作業をする自分を考えるだけで嫌だった。スポーツ新聞を買いに行く自分もイヤだった。
だからウェブのメッセージもスクショしてないし、斗真のも。何年後か何か月後かわからない自分が死ぬほど後悔するかもしれないけど砕けた夢の欠片を一生懸命拾いあつめるような「残す作業」をすることができなかった。というか今もできない。きっと間違いなく後悔するだろうけど。
でも、自分のFCの「好きなタレント」だけはスクショした。変えられてしまう前に。自分のために。
WS録画しなかったけどネットで動画とか記事とかは見ました。ほぼ全部ちゃんと見たと思う。見なくちゃいけないという気持ちはあったから。目を背けたいわけじゃない。
会見のエイトは私が大好きなエイトで、大人としてちゃんと筋を通してくれてやっぱり私が惚れた男たちはかっこいいと納得できた。でももうそれが過去形になってしまうのが悲しくてやりきれない。
まだ七人で歌う姿とかバラエティとか見られなくて歌も聞けなくて、ただ最初はずっと頭の中で「Answer」が流れてた。すばるは「手つかずの夢」に気が付いたんだなって。
んで去年出るTV出るTVで「今」を歌ってたことも思い出して。「旅立つ夢を見てしまった」と繰り返し歌うことが少しでもすばるの背中を押してしまったんだろうか。とかも考えた。偶然だろうけど。同時にすばるが海外にいってどういう音楽活動するかわからないけど、きっともう「今」みたいな曲を歌って踊ることはないんだろうなってこともちょっと考えた。
エイトの歌聞けないのに頭の中に響くのはエイトの歌ばっかりで悔しくて違う曲を思い出そうとしたらなぜか中島みゆきが脳内再生されて、しかも「わかれ歌」で「恋の終わりはいつもいつも 立ち去る者だけが美しい 残されて戸惑う者たちは 追いかけて焦がれて泣き狂う」って私はどうやら自分の傷を自分でえぐるタイプだったと気が付いた。でもやっぱりまだ録画が見られない。関ジャムもジャニ勉も見ていない。
正直に言えば、この執行猶予期間というか今のこのどっちつかずの期間が苦しくて仕方ない。終わりがわかってるのに。終わることが避けられないのに。早く六人のエイトを見たいとすら思う。だってすばるはもう決めてしまった。エイトももう。私たちができるのはただ見守ることだけ。
今日のレンジャー。すばるは何を書いてくれるのか、終わらせると初めて告げた後で何を私たちに告げてくれるのか怖いような気持ちで見た。でもすばるはすばるのままで。まぁきっとそうだろうとは思ってた。
ナニスタグラムも全然更新してくれない会見でも姿も見えなかったヤスからようやくレンジャーで言葉が聞けてちょっとほっとした。ヨコのヘタクソな縦読みには泣いた。おーくらのドラマの現場が癒しになっているというのがちょっとしんどかった。全然関係ないのに謝りたい気分になった。すばるがごめんねって。ただのファンの分際で。自分勝手な判断をしたすばるのせいで、六人が今もこれからもものすごく大変な思いをすることが申し訳ない。でも負けてほしくない。関ジャニはやっぱり最高で最強だと思わせてほしい。
でもやはりもう失われてしまう七人のエイトが恋しくて仕方ない。
こんな風にぐちゃぐちゃしてるけどまぁ普通の日常は過ごしてます。