2024/08/16


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終戦から79年目

8月15日

正午

関内駅前

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79年前

玉音放送のその日

父は

幸いにも

日本郵船の船を一旦

降りていた

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そして変わり果てた
横浜に戻り
浦島の丘に立っていた
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横浜は戦時中焼け野原になり
桜木町から
関内・伊勢佐木町・野毛と見渡せた
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その向こうに拡がる海
ハマの海
生涯の仕事を港湾とした
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父はその日の

決め事を一生涯通し

足には地下足袋

首にはタオルを巻き

夏には塩を舐め

冬には腹巻きを巻き

生涯を

タンカー船の

足場から足場へと

渡った

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終戦後

父は

退廃と荒廃の街

伊勢佐木界隈で

荒くれな連中を

拾い

丸清一家を起こした

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父は親父と呼ばれ

母は姐さんと呼ばれた

そして

23年の荒浪の歳月を

泳ぎ渡った

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8月15日終戦の日

母は必ず

スイトンを作り

若い衆の茶碗に

日本酒を注ぐ

そして

正午の時報に合わせて

親父が

献杯の音頭をとる

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23年続いた丸清一家の

終戦の日だった

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🔷All of you🔷

台風の近づく本日

ハマの風も海も荒れている

一日安全に過ごす事

一日無事に過ごす事

その積み重ねこそが

生きる事

安全と無事が過ぎゆくように

平和と幸せを

《祈》

訪れる方に…やすらぎを

去りゆく方に…しあわせを

日々は愛おしく日々は奇跡

今日ある日に《感謝》一日一笑

とうこ

平和と幸せを祈ろう!

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