2024/08/16
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終戦から79年目
8月15日
正午
関内駅前
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79年前
玉音放送のその日
父は
幸いにも
日本郵船の船を一旦
降りていた
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そして変わり果てた
横浜に戻り
浦島の丘に立っていた
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横浜は戦時中焼け野原になり
桜木町から
関内・伊勢佐木町・野毛と見渡せた
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その向こうに拡がる海
ハマの海
生涯の仕事を港湾とした
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決め事を一生涯通し
足には地下足袋
首にはタオルを巻き
夏には塩を舐め
冬には腹巻きを巻き
生涯を
タンカー船の
足場から足場へと
渡った
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訪れる方に…やすらぎを
去りゆく方に…しあわせを
♡
日々は愛おしく日々は奇跡
今日ある日に《感謝》一日一笑
とうこ
♡
平和と幸せを祈ろう!
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