不安 | ゲイで「HIV」「うつ病」共に生きる。信哲です!
最近は寂しく思うことばかりでね、ライブとか行って生で、清水翔太にソナーポケット見れて念願叶った感はあるんだけど心からイマイチ乗り切れていない自分が必ずいてさ。       全て1人で見に行くから自由がきくといえば、そうなんだけどね、どこか空しく感じちゃうと思えば「1人でいたい」という、どこか矛盾した感じ。       1人部屋に帰れば楽しみなのはテレビを見ること…        オリンピックでハラハラしたっけか。                    もともとなんだか、僕が気付かないと思うけど性格的なんだか「友達」がいないんだよね。   知り合いになったかと思えば離れて行ってしまったり…                         2000年に佐渡で知り合った僕にとって未だに忘れることの出来ない大切な人たちがいるんだけどね、2010年の10月。僕が、AIDSになって… まさか… まさか…  で当時は、「死んでしまうんだ」と落ち込み倒していてね、佐渡で知り合った人たちで作ったメーリングリストに、告白をしたんだ。自暴自棄に当時はなってた。 けど僕にとって大切な人たちだったから伝えた。            「僕は後天的免疫機能不全症候群。AIDSに感染して今、治療しています。AIDSと聞いて驚かれていると思います。本当は隠さなければいけないと思いました、しかし僕にとって大切皆さんへ正直に公表しました。この先どうなるか分かりません。  僕から離れていってしまうのであれば離れてしまっても構いません。  神奈川県の横浜にある大学病院で専門医で診てもらいます。いつまでの入院になるか分かりませんが、AIDSと戦います。」と、書きました。            その後、大学病院の看護師さんに話したら怒られてしまいました。      僕は書いてスッキリしたかもしれないけれどメールを読んだ人たちの気持ちを考えたことあるの?   戸惑っていると思いますよ! 実の親にでさえ隠しているんですよ。 AIDSに関してはまだ一般的に知識がないから様々な差別や偏見があるのが現実です。と。                僕の両親は他界しているから、どうすることにも最初からならなかったけど、唯一知っているのが姉貴です。姉貴きらも、怒られました。  佐渡で知り合った人たちは僕にどう人生が関わっているの? いわば赤の他人でしょ? 同情してもらいたいの?             って。                 実際そうではなかったんだけど自分勝手だったんかな。   けど当時は絶望的だった。                   大学病院で入院中、佐渡で知り合った人から直メをくれた人がいたんだ、AIDSに関しては触れてなかったけど、見舞いに行くよって。だけど仕事が忙しくてね、その前に退院が決まって退院をしたから会えなかったけど、嬉しかった。    大学病院は転院でね、最初は大和にある病院に入院をしてたの、AIDSと告知される前で当初、肺炎だった。その時も別の人だけど自宅が近いからと佐渡で知り合った人が突然、見舞いに来てくれた。                     嬉しかったな。                             これは仕方ないんかもしれないのかな?    佐渡で知り合った人がね、暑中見舞いに年賀状を10年近く送ってくれていた人がいたんだけど、AIDSを公表後、年賀状から途絶えてしまいました。       その方は、看護師をしていて海外ボランティアで2年、活動した人で今も看護師はしているんじゃないかな?         その方にも驚かしてしまったんかな?     看護師という職業上、理解者であって欲しかった、でもこれも僕の勝手な気持ちかな?    けど何だか空しかった…
                      ごめんなさい疲れてしまいました。不安な気持ちを綴ろうと思いスマホを手にして、ここに来たけど書けなかった。                   僕って勝手ばかりで、しょうもないやっちゃ!                  1人、HIVと鬱…           辛いや。             けんども《今を生きる》


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