宇宙の真理を独自の切り口で解説

宇宙の真理を独自の切り口で解説

齢70年、人生いろいろな事を体験しました。
豊富な体験と、長年にわたり取得した知識を独特な切り口で書きます。

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豊かになるにも、愛されるにも、まずは自分から与えることが

大切です。

なぜなら、欲しい、欲しいと思っていると、その欲しいという

状態がずっと続くからです。(引き寄せの法則)

 

与えるといづれ還ってきます。

最初は欲しいから与える、でいいのです。

優しい気持ちで。

 

次はその還ってきたもので、自分を満たしてあげましょう。

それも自分に与えている事になるので、いづれ還ってきます。

そして余裕が出てきたら、自分を満たしたものを、周囲に

与えてみてください。

 

与えるというよりは、親切とか、表現とか、そんな言葉が

適切かなと思います。

 

それは例えば学んだもの、創ったもの、知識や方法

それがたとえ、どんなに小さいと感じるものでも

自分がやっていて、幸せと感じるものを、周囲に伝えたり

教えたりするだけでいいのです。

 

周囲の感謝によって、ありがとう、と言う言葉によって

自分の価値を知ることができます。

 

そしてまた

自分の中にある才能が、洗練される事の喜びを感じる事が出来ます。

その才能が人を幸せにしたり、喜ばせたりする事が分かります。

 

しばらくすると、その価値を欲しいと言ってくれる人が現れます。

 

その頃になると、あなたが必要ないと言っても、

対価がどこからともなくやってくるようになります。

 

その対価を受け取ることは、自分を満たすことになり、

受け取ることで、相手も満たされます。

 

それは、あなたがあなたの循環を、創り出したと言う事です。

 

この循環を繰り返し

人は愛や、豊かさを大きくしていきます。

そしてその循環の中で過ごし、それが当たり前になってくると

自分と言う存在の可能性に、集中し始めます。

 

与えるという感覚も、受け取るという感覚も、ゆっくりと失われ

必要としてくれる人がいるからこそ、自分がしたい事が出来る

と言う事に、感謝の念がわいてきます。

 

したい事をすればいい

そのしたい事を、受け取ってくれる人がいるという

その軌跡に、感謝せずにいられなくなります。

 

受け取りたいと言ってくれる人が現れるほどに

自分と向き合ってくれた自分を愛さずにはいられなくなります。

 

すると、ただ自分が自分であるだけで豊かである、と言う事や

愛と言う存在そのものであるという、気づきに至ります。

 

その気づきは、あなたの人生で起きた、欠乏が

豊かさや、愛と言う恩恵へ変化し始めた証です。

 

あなたそのものが、愛や豊かさと言う存在そのものに

なったと言う事です。

最初はビジネスでも、お金儲けでも、恋愛でも何でもいいのです。

いずれは愛へと向かう大切な原動力となっていきます。

 

*スピリチュアルカウンセラー

  佐藤 友美さんのブログより

 

 

 

 

私たち人間には個性があります。

その個性は、好きな事、喜びを感じる事、悲しい事、怒りを感じる事

苦手と感じる事、そういったあらゆる感情と呼ばれる、外界に対する

自分の反応から見つける事が出来ます。

 

好きな事や、喜びを感じることは、自分の可能性を秘めたものに

繋がります。

悲しい事や、怒りを感じることは、自分が何が嫌いで、何を苦手として

いるかにつながります。

 

感情は、自分を知るセンサーなので、素直に自分に従って行けば

自分の向かいたい世界へと行けるようになっています。

 

ですが、この感情はとても繊細で、常識や、周りの人と調和をしたり

自分が良い人になろうとしたり、感情を抑え込むことでしか

愛されなかった経験が有ったり、耐え難いと感じるような経験が

有ったりすると、どんどん鈍くなっていきます。

 

自分のしたいことが解らなくなっていき、自分の価値や尊厳を

感じることが出来なくなり、無力感や空虚感が全身を満たして

行きます。

 

そうなると、人は自分を取り戻そうとするため、過去の行動を

繰り返し、間違いを見つけ出そうとします。

 

それはどういうことかと言うと

幼少期の在り方をもう一度、体験しようとするのです。

無意識に、自分の人生を検証し始めます。

 

頑張ることでしか評価されなかった人は、地位、名誉、経済、評価

など外界にあるもので、自分を感じようとします。

 

感情を支配された人は、あらゆる場面で

被害者と加害者を繰り返し、居場所を探します。

 

否定され続けた人は、自分を否定し続け、身体や、経済を蝕み

なんとか愛されようと試みます。

 

そしてそれらを繰り返し、現実が破たんした時に

その人は再生を始めます。

 

その再生は、決意に満ち、その後の人生をギフトに

変えていきます。

 

誰かのせいではなく

自分の人生は、自分で変えなければ、変わらないことに

気付いた瞬間から変わります。

 

人の変化は、ゆっくりとではありますが、

その体験は大きなギフトへと変化します。

 

人はそのままで愛されると言う事、

自分と言う存在が、ただいるだけで、必要とされていると言う事

そんな価値ある自分を、一番大切にしなければいけないと言う事

 

それらに気づき始め、そしてその気づきは

あらゆる事が、その気づきの為にあったことと、

この人生で、本当に体験したかった幸せや喜びへとつながります。

 

気付きは、いずれ形となり

どのような体験も、それ以上のギフトに包まれていきます。

 

それは、使命とも、魂の役割ともいえるものですが

その頃には、そんな言葉はもうどうでもいいものになっていきます。

 

その、幸せや、喜び、と言う体験は

すべての人が、まったく異なる形になります。

ただ、中心に愛がある事だけが同じです。

 

その中心にある愛が拡大し始めると、

人は愛と言うものが、なんなのか分からなくなっていきますが、

あらゆる物を肯定する力として、感じることが出来るようになります。

 

誰かと比べることもなく、すべてを肯定し

ただ、自分を生きるようになります。

 

*スピリチュアルカウンセラー

  佐藤 友美さんのブログより

 

 

八正道の正業について考えます。

正業とは、愛から湧き出る、善行を行うことです。

相手を傷つけないと同時に、自分も傷つけないと言う事です。

 

具体的には次の5つの戒めがあります。

1、不殺生 生き物をむやみに殺してはいけない。

       *人間や動物は、生きてゆくために、他者の命を

        頂いています。

        その事に感謝ながら頂くのです。

2、不偸盗 他人の物を盗んではならない。

 

3、不邪淫 みだらな事をしてはいけない。

 

4、不妄語 嘘をついてはいけない。

 

5、不飲酒 酒を飲んではいけない。

       *酒については、百薬の長とも言われており、飲み過ぎず

        適量を楽しむと言う事だと思います。

        ある高僧に「仏陀の教えに不飲酒と言うのがあるが、どう

        思われるか。」と尋ねた所

        「酒は飲む、たばこは吸うでは良くないから、酒は嗜む

        程度に頂いているが、たばこは吸いません。」答えた

        そうである。

 

月瞑想では

行為、行いと言った意味合いとし、振る舞いと解釈します。

因縁生起と言う考え方があります。

種をまいて、そこに縁という条件が整うと、結果が生ずる。

と言う事は、先にどんどん良い事をやれば、後で、良い事がどんどん

生じると言う事です。

 

ところが、人間の性として、どうしても善行とは程遠い、悪行、

怠惰な行いとか、他人を不愉快にする行動とか、取ってしまいます。

(これは、自分が満たされていないからですが。)

 

このブロックを外す事により、良い因縁を積むことが、自然にできる

様になります。

月瞑想では、このブロックを解除するワークがあります。

八正道の正語について考えます。

言葉を発するとその波動エネルギーが、外と内(自分自身)

に影響を与えます。

良い言葉を発すれば、良い波動が生じ、良いことが起こります。

悪い言葉を発すれば、悪いことが起こります。

それが自分に内と外から還ってきます。

ダブルパンチですね。

 

例えば、ワインとかコーヒーをコップに入れ

 

「有難う、美味しくなってね。」

  と言うと、安いワインや、インスタントコーヒーがまろやかで美味し

  くなります。

 

「バカヤロー、まずくなってしまえ。」

  と言うと本当にまずくなってしまいます。

 

*これ、誰でもできます。やってみてください。

 料理を作るときも同じですから、まろやかな心で、

 「美味しくなーれ」 と言って作ると良いですよ。

 間違っても、くそっ!コノヤローなんて思わないでね。!

 

対人関係が一番分かりやすいですよね。

初対面の人にいきなり

「バカヤロー」なんて言ったら殴られてしまいます。

 

「有難うございます。お陰様で助かります。」

なんて言ったら、お店屋さんだったら、おまけしてくれるかも。?!!

 

それだけ言葉は大切です。

だから

相手への思いやりを持った言葉を使いましょう。

悪口雑言を慎みましょう。

と言うのが、正語の意味です。

 

で、月瞑想ではこの様に考えています。

観念は言葉と行為が原因となりできます。

幼いころ、親とか周りから言われた事が記憶に残ります。

色々な経験も記憶に残ります。

先祖から受け継いだ記憶や前世から引き継いだ記憶はDNAに記録

されます。

 

これらのネガティブ観念が、どんどん積み重なると、これがブロック

となり、罪悪感となります。

罪悪感が出来るとこれが厄介です。

ネガティブ観念を発生しやすくなる環境を、作ってしまいます。

 

このネガティブ観念を発生させる環境が出来ると、ほんの些細な

事でも、ネガティブ観念になってしまいます。

「においは元から絶たなきゃダメ」

というCMが有りましたが、罪悪感を取り除く事が肝要です。

 

月瞑想では、この罪悪感を取り除き、ネガティブ観念の発生を

押さえます。

 

 

八正道の一つ、正思について考えます。

私欲を無くし、愛の心を持つことです。

慈愛や人の幸せを願う心です。

 

月瞑想では一歩進めて次のように考えます。

何かを思うとそれは波動となります。

波動はエネルギーです。念力なんてありますね。

この波動エネルギーが観念を作ります。

 

世の中良い事より、嫌な事の方が多いですよね。

*余談ですが、嫌な事の方が多いと感ずるのは、あなたの(私の)

 心が満たされていないからですが。・・・・

 

心の中で感じた不快な思いが、深層心理の奥底まで到達し、

積み重なり、ネガティブな観念となります。

ネガティブな観念は、肯定的な思考や、願いを打ち消します。

 

人の真我は仏様(又は神様)の分身であり、光り輝いた愛の心です。

ネガティブな観念が曇らせています。

この曇りを取り払えば、真我の光が輝き、融通無碍の状態となり

すべての事が思うがままとなります。

 

月瞑想ではこの障害となっている、ネガティブ観念を取り除き

真我の光を発露させます。

 

仏教の基本の八正道とは、

公平な第3者の立場で、自分の心を見つめなおし、反省禅定(正定)し、心の曇りを取って(浄化)いく自立の教えです。

仏陀が提唱した、悟りへの段階を踏んだ修行方法です。

 

八正道には正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定が

あります。

ここでは、月瞑想メソッドとして現代的にアレンジして解説します。

 

正見とは、物事を偏見なく、客観的にみる事です。

物事は中立であり、それに色を付けているのは、偏見や観念です。

月瞑想ではこれを一歩進めて

あなたが興味をもって見たり聞いたりした事が未来を変えると言う事です。

 

例えば、あなたがお金持ちになりたいと考えます。

関連する本を読んだり、人に聞いたり、セミナーに通ったりします。

このようにしていると、専門知識も付き、新しい人間関係もできて

きます。この時点ですでに未来が変わったと言えます。

 

このまま実践して成功する人もいます。

ただ、成功しない人の方が、大多数です。

なぜでしょうか。

子供の頃から植え付けられた、ネガティブな観念があるからです。

 

・簡単にお金儲けができるはずがない。

・投資は失敗する方が多い。

・お金は額に汗して稼ぐものだ。

・お金は汚いものだ。

・お金が儲かると、悪い人間が寄ってきて、いい人は去っていく。

等等・・・・・・・・・・

 

ネガティブな観念がポジティブな願望を邪魔するからです。

月瞑想では、このネガティブな観念を取り除き、願望実現を

可能にします。

 

次回は正思について考えます。

 

 

 

 

 

 

月瞑想って何?!

月瞑想は2千数百年前に、お釈迦様が説いた瞑想法です。

お釈迦様は、夜空にこうこうと輝く満月を指し示しながら

「あの満月の様に、丸くやわらかな、光り輝く自分となりなさい。」

と教えていました。

 

当時バラモン教が主流を占めていましたが、カーストと言う階級制度

からの解放を説いたのが、仏教の本質だと言えます。

 

その頃のヨガは、骨と皮だけになって、死に至ることで悟るとしていました。

釈迦は、色々な宗派を遍歴したのですが、それらの宗派では真理に

到達できないと悟り、師に頼らず5人の弟子とともに、難行苦行に

打ち込んでいました。

 

骨と皮になり瀕死の状態で、菩提樹の下にたどり着きました。

このままでは死んでしまうと思っていたその時、

村娘の歌  弦の糸は強く締めれば糸は切れ

        弦の糸は弱く締めれば音色が悪い

        弦の糸は中程に締めれば音色が良い

を聞き中道に気づきました。

 

村娘に牛の乳をもらい、肉体も大事にするように、修行方針を変えました。

これを見て5人の弟子は去っていきました。

その後一人で修業を積み、悟りを開いたのです。

 

 

 

 

小学校の1,2年の頃だと思う。

秋の夕方、隣の農家の縁側で暖かい夕日に当たってうたた寝を

していた。

その内、夢とも現実とも判断できない、何かに包まれている様な

感覚になった。

 

何か暖かいものに包まれて、すべてをゆだね切った様な、安心した

感じだった。

どのくらいの時間が経ったか分らないが、涼しい風がさっとほほを

なぜて吹いた。

 

あっ!もう朝か! 学校に行かなきゃ!

目が覚めて周りを見たら、縁側の上で、太陽も朝日ではなく

暖かい夕日だった。

 

あー、まだ朝じゃないんだー、夕方だったんだー、

まだ学校に行かなくていいんだー、

なんかゆったりした気持ちで、しばらく、ボーとしていた。

何だったんだろ!

私は子供の頃、山奥に住んでいた。

山の頂上近くに3軒あり、あとは500m位離れて数軒ある、

と言うような辺鄙な所である。

 

鬱蒼とした森の中を歩くこともある。

ある時、町から帰るとき、深夜になってしまったのである。

懐中電灯は持っていなかった。月もなく晴れた夜だった。

 

いつもどうり、森の中の道を通った。

真っ暗である。どんなに目を見開いても何も見えない。

感覚で歩くしかないのである。

 

またこんなこともあった。

友達の家に行った。

田舎の平屋建てだった。

 

したたか飲んで寝たのだが、小用がしたくなり目が覚めたのだが

何も見えない。

雨戸とか、襖を閉めてあり、漆黒の闇である。

蛍光灯のスイッチとか、襖とか、雨戸の場所の見当がつかない。

 

田舎の家だったので、トイレが屋外にある。

焦りながら、なんとか外に出て、小用をしたのである。

 

今都会は光が溢れている。

昼夜問わずである。

これは動物の生理機能を狂わせるだけでなく、植物の生理機能も

狂わせているようである。

動物は移動できるから、まだ対応できるが、植物は移動できないので

対応のしようがない。

 

このストレスで、植物に大きな被害が出ると予想される。

これも公害の一つである。

 

 

 

砂を噛むような食事、と言う言葉をよく気くが、初めて体験した。

 

私は生まれが貧乏なので、大概の食事は美味しいと感じる。

何事にも安上がりに出来た人間である。

 

30代の頃、仕事にのめりこんでいた。

遅れに遅れた仕事を、毎日遅くまでやっていた。

 

私は技術屋で、電子機器の設計開発をやっていた。

趣味の延長みたいな感じで、つらいけど楽しみながらやっていた。

でも身体は限界を感じていたのかもしれない。

 

朝起きて、仕事の事を考えながら、ご飯を食べたのだが、

味がしないのだ、それに、温かいご飯なのに、ジャリジャリして

砂を噛んでいる様である。

本当に砂だと思った。

 

エエー!!こんな事もあるんだー。

砂を噛むような食事ってこんな事なんだー。

初めて知った。

でも、何か食べておかないと身体が弱ると思い、とにかく無理やり

口に押し込む感じで食べた。

 

その後こういう経験は無い。

 

後で分かったことだが、ストレスとか、病気で体が、食事を

受け付けないときは、食べない方が良いのである。

食物は波動が低いので、病気とかストレスで、身体の波動が

下がったときにさらに下げるような事はしない方が良い。

 

動物は本能的に知っていて、病気になると、食べなくなるのである。