弥生の月、穏やかに春を告げる。
冬が過ぎ、これから台湾の短い短い春の訪れです。

2015年3月より私の台湾生活は始まりました。
「3年。」
決して真っ直ぐではないものの、多くの方からのお力添えによりここまでやって来れました。

総じて見れば、「明るい方向」へ向かっている。そう感じております。皆様に感謝です。

私には大正生まれの祖母がおります。スマートフォンを操り、SNSもお手の物。

一人で飛行機、新幹線に乗って何処にでも行ってしまいます。

 

先日の祖母とのSNSでの言葉です。

「これからあなた達の時代です。あなたは台湾方々にお世話になっている日本人として、謙虚に、後世に語られるようなことをしなさい。」と。

 

祖母が生まれたのは1925年(大正14年)。

治安維持法が制定され、自由が制限されていた暗い時代へと進む頃でした。台湾も日本の統治下にありました。

 

正に、祖母の世代は昭和の全てを目の当たりにしてきた「生き証人」です。

 

祖母は加えて言います。

「やはり戦後昭和の日本人の勢いは、凄まじかった」と。

 

大戦で焦土と化した日本を戦後の混乱期を経て、平和の下、

豊かな経済の実現と高い技術力で比類なき現在の日本を築き上げた昭和を築き上げた世代の結晶で、

現在の我々は生かされているのだと改めて感じるこの頃です。

 

戦後の昭和の日本は正に「比類なき」奇跡の復興、成長の時代でした。

 

戦後の昭和とは約43年間です。

僅か6年半後には日本は戦後復興を遂げ、

11年後(1956年)に国際連合に加盟し、

13年後(1958年)に東京タワーを完成させ、

19年後(1959年)に東海道新幹線、東京オリンピックを実現させ、

23年後(1968年)に世界2位の経済大国になり(2010年迄43年間維持)

25年後(1970年)に大阪万博を開催させ、

27年後(1972年)に沖縄が復帰し、

30年後(1975年)にはG5(先進5ヵ国)に参加、

34年後(1979年)には世界初の携帯電話を開始させ、

37年後(1982年)にCDを世界に先駆け普及させ、

40年後(1985年)に青函トンネル開通。本州と北海道が結ばれる

43年後(1988年)に瀬戸大橋開通。本州と四国が結ばれる

 

と、大まかに申し上げるだけでもこれだけのことが挙げられます。

今の、日本人が同じ状況で同じことをもう1度しろと言われたら。果たして出来るでしょうか。

 

無論、日本が(敗戦国にも関わらず)、国際社会への復帰と、成長には当時の国内外の情勢と、

それを後押ししてくれた国外の援助があったことも忘れてはなりません。

(東海道新幹線は国連銀行からの借入金で成立した。等)

 

時は既に21世紀も6分の1が過ぎた2018年。

過去の栄光を知った上で、ただ、顧みるのではなく、新たな時代を築かなければ。

そう思う一人であります。

 

日本は現在100歳以上の方が6万7千人。

祖母を含めた90歳以上は206万人。

 

世界でも例を見ない、超高齢化社会です。

 

その方々がご健在の内に、再び活力ある社会が築けるよう我々の世代は頑張らねば。

そう思う次第です。