今から、約6年前でした。
発症は、そこから遡る事さらに6年・・・
もう12年か・・・。
そこは、とある「警察署の中の留置場」
トイレで用が足せない。「しゃがめない・・・」
どこが、どうなってるのか「わからない」
とにかく「しゃがめない」
そんな日々が続きながら「長い服役」をする。
何度も何度も「塀の中」行ったり来たりの人生。「もう、慣れてるし・・・」が「撲」のお決まりの常套句。
本当は毎回、毎回・・「いつ、死のう・・」「どうやって死のう・・・」ばかりでした。
成人になり、当時の監獄法の中での暮らしは「少年法」で擁護された暮らしとは「異次元」の世界。
「更生」から「矯正」へ・・・。
「股関節が壊死」と診断を受けた。「高くそびえる塀の中で・・・」
何も出来ない。「雑居房」の掃除も出来なくなる。
「のろ、のろするんじゃねーよ」
誰も口にしてない。けれど「6人」の「目」はそう言ってる・・・。「妄想」
過去、自分がそうして「いじめてきた」 「弱者をからかう」 「ないがしろにする」 「言葉巧みに・・・」
「独房」に逃げた。
復帰した。6年以上も留守にした・・・けれど「懐かしさ」を感じるような「感傷」さもなく・・・狂いだした。 対して時間は要らない。
右足がだんだん「外を向き、痛みも尋常じゃない」:
身体、全てが音もなく「壊れていく」
「注射器」も扱えない。 右手が動かない・・・自由には・・・。
反対の手では、上手く打てない・・・。でも「打ちたい」 「身体にこいつが入れば薔薇色に・・・」
ほんの少し身体に入れるのにたくさんの「くすり」 「時間」 「金」 を溶かした。
もう「限界」でした。
45歳・・・「市民病院の、O先生と出会います」
何度かの診察後「手術」を決めました。 「人工股関節」 への 「手術」 です。
「20年しか持たないからな・・・。」
あれから、6年・・・「痛みを減らす」 「杖を使わなくてもよくする」 それだけの「置き換え」です。
それが、「フルマラソン」を走り切り・・・「人の世話をする仕事」に就いている。
たくさんの場面が「奇跡」でした。
事実は変えられる訳ではなく・・・
「耐久年数」・・・は日に日に近くなる。「この足も・・・」 「人生も・・・」
どれだけ、奇跡的に・・・こんなにも走れたり・・・満たされた生き方に変わっても・・・
又、いつか歩けなくなり・・・この身体もお返しする日が来ます。
8月で、52歳・・・
新しい「足」も「生き方」も・・・・「酷使」してる。 「あせってるんです」
「まだいける・・・」 もっと・・・もっと・・・・。
それは、耐久年数を縮めてるんでしょう。
自分のやり方では「生きれない」・・・もう「無理」
「おやまの大将」の時代は・・・もう最後の「獄中生活」で「白旗を上げ降参・・・」だったんです。
20年分をつかってしまえば「燃え尽きる」
その前に「あせるな」 「くらべるな」
やれることをやれ・・・
その声が早く届いてほしい・・・
でも待っていては聞こえない。
それも「奇跡」だから。
「奇跡」おきる・・・そうではなかった。
行動したのは、「撲」でした。