このブログは本来、バンド活動として「a little break」の名前を押し出していました。

 

しかし、ここまでの私の活動はスポーツの方のチームを設立して活動していました。

 

その流れとは関係ないのですが、コロナ禍に入り、それまでの活動を止めて解散までしました。

 

今は次の活動に向けて考案中です。

 

そこで今回、タイトルを変更して「次の活動に向けて」にしました。

 

次の活動が始まった時、ここのブログを閉鎖するつもりで、今暫くアカウントを使わせて頂こうと思います。

 

よろしくお願い致します。

かのこの活動が始まる半年前、私は身勝手な行動を取り愛犬のリッキーを失う事になりました。死んだ訳ではありませんが家から居なくなりました。

 

それが発端に一年後には人生をリセットする形で、全てを捨てる形でやり直しました。

 

かのことも疎遠になってしまいましたが、その頃にはかのこの活動が掲載されているホームページがありましたので、時々覗いていました。

 

かのこのホームページでは、捨てられたわんこやにゃんこの事は「天使達」と言われていましたが、そんな天使達が天に召される話は心が痛かったです。

 

かのこも私と同じわんこ派でしたが、人が捨てるのはにゃんこの方が多いのか、かのこも引き取っては里親を探していました。

 

稀に私の所にもメールが届き、そこでにゃんこのエイズ(FIV)の事を知りました。さすがにエイズを患っているにゃんこは、最期まで飼う事を言われていました。

 

山の中にわんこが捨てられている時は、かのこから電話が入り、見つからず凄く困っていました。ようやく見つけた時には、4匹居る内2匹は衰弱して亡くなっていたようでした。

 

そんな様子を知り、自分が愛犬を失って悲しみに暮れているのが恥しかったのですが、次第に友達を見る目ではなく、別次元の人の様に思えるようになっていました。

 

自分が情けなくなったのが本音ですが、どんどんかのことの距離を置きました。

 

再び、私がかのこに何らかのコンタクトを取るのは、私が再婚してからの事でした。

 

年賀状、メールでのやり取りも少しありましたが、それ以外は連絡を取る事もありませんでした。

 

あれから10年近く経ちましたが、この数年はかのこから音沙汰がありませんでした。

 

毎年年賀状だけは送っていましたが、今年かのこの親御さんから寒中見舞いが届きました。

 

そこでかのこが亡くなった事を知りました。

 

かのこ自身が天に召されてしまったのです。

 

私も何処かで納得の行かない所もありますが、小さな命を守る為に自分の命を削ってきたのだと思えます。

 

かのこが亡くなってから、何度か星空を見てかのこに話しかけた事は数度あったようでした。

 

ダイレクトにかのこに伝わっていたと思うと、悲しみが増しましたが、かのこに支えられた者として、一歩前に踏み出す事ができなかった足を、今こそ一歩前に踏み出します。

 

リッキー、ニッキー、カイル、かのこの事をよろしくお願いします。

 

まだまだ弱い私は何十年と生きていそうですが、残された身として頑張って前に進みます。

 

ありがとう、かのこ。

 

また何十年か先には再会しましょう。

 

See You Again!!

 

 

今、我々は色んな物を消費するが、その中には動物実験を行って製品を完成させたものもある。

あるボランティアに接触したかのこは、動物実験の実態を聞かされたが、この頃のかのこは酷く悩んでいたと思われる。
その事で、どう思うか聞かれた事があるが、その時点では私も実態を詳しくは知らなかったので、うやむやな回答しかしなかった。
どのぐらい悩んだのか忘れてしまったが、次の段階では、かのこは行動に移していた。動物実験を行っていると思われる企業に手紙をだしていた。
私は正直、それが正しい事なのか、かのこを止めた方が良いのか判断ができず、何人かの友人に相談していた。
しかし、その相談は意味を成さなかった。十中八九、動物実験は喜べる事ではないが、その恩恵を受けて今の進化があると指摘される。

時々かのこから、企業に送った手紙の事を聞かせて貰った。その度に止めた方が良いのではないかと思うが、本人の熱意に押されて、その場の話を聞き届けてしまった私が居た。

かのこと企業のやり取りは、私も詳しくは知らない。そこに何らかのやり取りがあり、かのこも苦しんでいる雰囲気だけは感じた。

そんなある日、カイルが腰の辺りで病気を患った。その病名は忘れてしまったが、かのこが自分で車の運転をして通院した話を覚えている。
そこでかのこの活動の前衛である、里親探しの話が浮上した。
通院先の病院で、捨てられた猫が居るので、里親を探して欲しいと頼まれて動き出した。

最初の1匹は、見事に里親を見つけ、また次の子の里親探しを行い始めた。
かのこの中には、一本の芯は通っており、それに背く事は絶対にしない。
それが最初の頃に聞いた「小さな命を守りたい」だった。
かのこと色んな事を話したけど、その中でも嬉しい事もあったが、悲しい事もあった。

かのこが昔憧れた男性と再会した時は、その出先からメールが届き、どうなるのかワクワクしながら、次の報告メールを待っていたものだ。

かのこが寝る前にメールが届き、憧れの男性と抱き合い共に寝た話を聞いた時は、聞いてる私の方が恥ずかしかったのを覚えている(笑)

それが、またかのこも少し嬉しいのか、少し戸惑いながらも幸せそうな文章から、私も笑みが溢れた。

それが、私の知るかのこの幸せな状況No.1ではなかろうか。

でも、それが逆の展開に変わる迄、時間はあったが、その展開が訪れた時は、かのこも残念そうだったが、同時に私も落胆した。

かのこにとって、私が一番役に立つのは、パソコンの質問を答える事。
この頃、パソコンが一般的に流行りだしたが、それでも初めて触る人には、敷居は高い。

使っているソフトのデータのバックアップの仕方など、かのこの質問は沢山飛んでくるが、唯一私がかのこの役にたてるのは、パソコンの事を教える時だ。

仕事上、使えて当たり前の立場なのに、教えている時は、かのこの先生にでもなった気分で説明していた。

この頃、30万近くするノートパソコンを手に入れて、仕事にも使えば、帰りの電車でも使うのが日課で、どれだけ仕事が忙しくても持ち歩いて楽しんでいた。

そんなノートパソコンをリッキーの散歩の時に持ち出して、山道を歩き星空の写真を撮って、それをかのこに送った。

その返事にかのこから、星空を見て私を思い出すのは素敵だと言ってくれた。
それ以来、私も大切な友人を思い出す時は、夜空の星を見ながら話しかける習慣がついた。
書いていて少し恥ずかしいが、ロマンチストなかのこならではの話だ。

この頃は、かのこも女性として恋愛も望んでいたと思われる。
それが、ある出来事で、全く変わってしまい、かのこと私の距離が開いた。
寒中見舞いが届き、20代の親友が亡くなった事を知った。

それも亡くなってから一年は経過しての事。

まだ気持ちの整理もついていないが、無性に寂しくなり、何か口にしていないと悲しみに暮れるので、ここに投稿した。

もうお互いに40代半ばになるが、20代半ばに知り合い、辛い時期を共にした友人だと私は思っている。
いや、かのこは私と離れてからも辛い時期を乗り越えていたとは想像する。

ポメラニアンが好きで、それを共通にして知り合ったが、それに留まらずお互いに離婚経験者で、その面でも支えて貰った。

何故ブログに投稿してるのか?

聞いて貰いたい事もあるが、知って貰いたい事もある。

そして何処かに残しておきたい気持ちが何より強い。

そんな事から、纏まりのない文章になるが、暫く彼女を思い出して投稿したい。

自分の悲しみを伝える所は、単に同情を得たいと思う部分からなので、あまり出さないようにはするが、少しでも彼女の良さを文章として残せたら私も嬉しい。

かのこは、私より一つ上の女性。小柄で童顔の可愛い人だ。
動物を愛して止まない彼女は、一番口にしていたのは、「小さな命を守りたい」

かのこはポメラニアンを2匹飼っていたが、私もポメラニアンを1匹飼っていた。
そこを共通点に知り合い、最初の頃は互いのポメラニアンの話をメールでやり取りした。

今、考えても不思議なのだが、うちのポメラニアンは、かのこのポメラニアン2匹足した体重と同じぐらいで、当時は私も自分の飼ってるポメラニアンは、本当にポメラニアンか疑う程。
でも愛くるしい表情から、それがポメラニアンでなくても良かったが、当時は私も自分の愛犬が凄く大切だった。

その反対にかのこのポメラニアンは、片方はポメラニアンらしい小さな子。もう片方は少し背が高い、細いポメラニアンだった。

小さい方の雌のポメラニアンはニッキー。
少し背の高い方の雄のポメラニアンはカイル。時々写真を送って貰ったが、とても愛されている二匹で、常に綺麗に手入れされていた。
つがいで飼う難しさは、かのこから教わったが、愛犬を飼うのに色んな苦労が伴う。そんな苦労も忘れ幸せに思えるのは、やはり育てた愛犬が可愛くて仕方ないから。
苦労する分、そこに可愛さが出てくる所は、生命のある全てのものに共通する。

とりあえず、今日はここまで。
書いていて思ったのは、かのこもニッキーもカイルも、私の愛犬のリッキーも、皆、天使となって、天国に召されてしまった。
天使と天国の単語は、ロマンチストだった、かのこが作った日記にも使われていた言葉。それを使わせて貰った。