4月14日

東村山は古代からの歴史を持つ町です。
鎌倉時代、幕府は重要な基盤である関東地方を統治するため、鎌倉を基点として四方の街道を整備しました。東村山には市を南北に貫いて上野国に向かう上ツ道という重要な道が通り、日蓮上人の佐渡流刑、新田義貞の鎌倉攻めなどの道として重要な役割を果たしました。
 
鎌倉古街道
 
久米川辻~旧久米川村の中心で、南北方面の府中街道を軸に6本もの道が複雑に走っています。北に延びる道は志木や所沢へ、西に延びる道は廻田町や青梅方面、南へ延びる何本かは、府中や東京へと続いています
 
 
 
梅岩寺~1651年開山とされています。ケヤキとカヤが山門の左右にあり、それぞれ樹齢が約700年、600年と言われています。市内で現存する最古の庚申搭や、四国霊場巡りと同じ功徳が得られるという新四国石仏もあります。