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小舟になりたい

沈雪梅

  青い山が連なり、澄んだ川が周りを流れ、白い雲の下で牛や羊がのんびり草を食べています。牛飼いの少年の気持ちを込めて吹く笛の音が、涼しい空気の中を漂ってきます。どの家の煙突そよ風に揺れ、夕方の村はどこも涼しいです。これは、私が祖父と一緒に何回も見た故郷の風景です。美しい風景は変わっていませんが、一番親しかった祖父は永遠に私の傍からいなくなりました。人生のだった祖父でしたが、日本語に出会たのも祖父のおかげでした。

  祖父は日本語が少しできました。子供の私はいつも祖父の横に座って昔の話を聞きました。そして、時々日本語についても話してもらいました。初めて日本語を聞き、意味は全然分かりませんでしたが、祖父の口から出るものが音楽のように美しく聞こえました。

  大学に入って私は日本語を専門に選びました。どうして日本語学科に入ったか理解してくれなかった人もいました。歴史の問題で日本誤解していたからで。でも、私は日本語を勉強することができて本当によかったと思います。

私が初めて深く接した日本人は大学の八坂先生です。八坂先生は一年生の後期に内の大学の先生になり、私たちに会話と作文を教えてくれました。八坂先生は中国語が全然できなくて私たちは日本語でしかコミュニケーションをとることができませんでした。それは最初の授業のことでした。新しい先生が来るので、どんな先生かという好奇心もあり、私たちはいつもより」早く教室へ行きました。しかし、二人のクラスメート遅刻してしまいました。走ってきた彼に話した先生の言葉は今でも忘れられません。「今度は遅刻しそうになっても走らないで、危ないからね。」と言いました。こんなに優しい先生もいるかと思いました。八坂先生は日本で30小学校の先生をして退職後ボランティアで中国に来て日本語を教えることになったのです。先生の授業はいつも面白くて覚え易かったです。

  今年の8月、私はある企業で通訳のアルバイトをしました。その企業は日本人の専門家がいましたが、とても優しくて親切な方でした。専門語が分からない私に「なにあったらいつでも聞いてください。」と言ってくれました。そして、その方日本へ一時帰国しましたが、中国へ再び来る時、私に本を7冊も持ってきてくれました。その方に日本の本が中国ではなかなか買えないという話をしたことがありましたが、まさか買ってきてくれるとは。「お金を払います」と私が言いましたが、彼は「とんでもない、これは出世払いであげます。」と言ました。とてもありがたくて私はありがとうし言えなかったです。

  そして、今年の9月私はやっと日本に来ることができました。原のような青空、そしてそこに浮かんだ白い雲、心の深いところまで漂う新鮮な空気、気持ち落ち着く緑、飛行機から降りた私はこんな美しい絵のような世界に囲まれていました。ですが、囲まれているのはこんな美し環境にだけではなく、人の心の温かさです。いつも学生の立場に立って考えてくださる優しい 先生たち、迷子になった私を駅まで送てくれた親切なおばさん、家族のように日本での生活を心配してくれたホームステイ先のお父さん、お母さん、いつも笑顔でお客さんを迎えるスーパーの店員さん、このような人々に出会って私はいつも感動させられています。

  日本に来たばかりの私に、日本のことがまだまだよく分かってないかもしれませんが、日本は本当に不思議な国だと思います。その歴史も文化も。

中日両国の国民はともに善良であって、罪はないと思います。歴史問題は両国関係を妨げるものではないと思います。そして両国の交流はもっと盛んになると思います。民間の正式の貿易、文化、芸能交流を通じて、両国の国民は互いに理解を深めると思います。

私は日本語を専門にしたおかげで、「針の穴から天を覗く」程度ことかもしれませんが、日本と日本人に対する見方が変わりました。これからは、日本語を勉強すると同時に、私の周りの人に、自分が経験したことを微力ながら、伝えてこうと思います。

そして小船になりたいです。中日両国の友誼を運び、中日両国の間をひっきりなしに行ったり来たりしうと思います。両国の友好の山が高くても、道が遠くても私たちが力を尽くせば、きっと両国の睦まじい暁を迎える日がくるだろうと思います。みなさん、一緒に小舟になりませんか。