離婚後の新生活
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思い出の地へ

家族がいなくなり一人暮らしが始まった。
 大学時代は一人で生活していたので、特に困ることはない。料理もまずまずできるし、掃除洗濯も私にとってはおっくではない。
 ただ、朝起きても一人、帰宅しても一人。これはやはり寂しいものがある。今までは、子供達が騒いでいたり、一緒にテレビを見たりしていたが、普段はそういうことができなくなった。
 その反面、自分の自由時間ができたのも事実である。子供達が遊びに来ない週末はゆっくりできる。ゆっくりといっても、掃除をしたり、かたずけものしていることが多い。
 この現状を嘆いていても仕方がないので、これをチャンスにかえて楽しく生きていこうと思った。何をしようか考えて、まず、自分が昔すんでいたところを見たいと思った。小学校の5年生まで私は、愛知県の尾張旭に住んでいた。田んぼと池ばかりのところだった。そこが、現在はどのようになっているのか見てみたくなった。30年前へタイムスリップである。
 車に自転車を積み込み出かけた。東名高速を走り、昼前にはつき図書館の駐車場に車を止めた。まず、小学校へ行ってみた。
 この小学校は、たしか3年生くらいのときに新しく建てられた校舎だった。それまでの校舎は、とても味のあるふるいものだったが、老朽化のため近くに新しい校舎を建てたのである。引越しは自分の椅子、机を持っていったのを覚えている。校舎へ入るには階段を下りていってそこに下駄箱があったのを覚えていた。そのとおりのつくりになっているのかどうか楽しみにしていた。ところが、校舎はあったが、自分が覚えていたところに校門がなかった。そこには、体育館がたって、校門が移動したようである。別の校門から入って、グラウンドを歩いていくと覚えていた階段があった。思っていたより幅がせまかった。他のものもそうだが、子供のころに覚えていたものは今見るとたいてい小さく見える。きっと子供ころは体が小さかったので、もっと大きく感じていたのであろう。
 自分の住んでいた家は、新しい家が建っており面影はなかったが、隣の家はそのままあった。兄弟で石を打って野球をしていて、その家の玄関のガラスを割って起こられた記憶がある。家の裏は池があり、池はそのまま残っていた。蛙や亀が今でもすんでいるのに驚いた。
 お昼はぜひとも行ってみたい中華料理屋があった。子供のころによく行った近所のお店である。自転車を走らせそこへ向かった。しかし、発見できなかった。どうやらお店はなくなったようである。もう一軒スーパーの中にあるラーメン屋にもよく行っていたのでそこへ行ってみた。スーパーはあったが、ラーメンを食べれるところはなかった。
 駅の周りはやはりぜんぜん違っていた。子供のころは無人駅で、駅前の売店で切符を売っており、降りるときは車掌さんが切符を回収していた。ところが、階段を上ったところに改札がある立派な駅舎になっていた。
 駅前に新しいスーパーができており、そこに、昔よくいったラーメンのブランドのお店があった。期待して、野菜ラーメンを注文した。出来上がり食べてみてぜんぜんおいしくないので驚いた。とても残念だった。

今日はここまで。

はじめに

 2004年7月に調停離婚が成立し、今は一人で暮らしています。
子供は10才、7才、3才の女の子がいます。子供の親権は母方にあります。
お互い離婚は合意していましたが、親権を争ったため協議離婚となりました。
子供達の学校のこともあり、8月末に元妻の実家の近くに引っ越していきました。週末は家へ泊まりで遊びに来ています。思ったより子供達は平気なようです。

 離婚原因は、お互いの性格の不一致ですが、昨年の6月に元妻の態度がおかしいので問いただしたところ離婚したいと言い出しました。勝手なことを言うなといい、関係を修復しようと何度も言いましたが、決めたことだとといい、結局離婚になりました。初めは、自分の身勝手とわかっていたようで、元妻が家を出て行き子供は置いていき、時々会いにくるといっていましたが、結局小さい子供がいるので、子供は元妻の方で暮らすこととしました。

 現在はみながいなくなったマンションに一人で住んでいます。

とりあえづ今日はここまで。