私の携帯に、義母から連絡が入ったのは、残業開始時間の17時過ぎ。
妻からの連絡かと思い電話を取ると、今までに聞いたことのない義母の叫び声が。
 
義母の叫び声から、ただ事では無いと思った私は別の社員に
「どうやら息子が大怪我をしたようだ。今から川崎に戻る。
しばらく休むことになるかもしれない」
と言い残して、自宅まで車を走らせました。
 
静岡にある会社から、川崎の自宅までは、東名高速を飛ばして車で約1時間半。
この間、自宅に居る祖母から、そして救急車に同乗している妻から、
頻繁に電話がありましたが、二人とも完全にパニック状態で、
何を話しているのか聞き取れませんでした。
 
川崎の自宅に着いたのは、夜の7時くらいだったと記憶しています。
私は目の前の光景に愕然としました。
家全体に規制線が張られ、家の窓やドアは全て開けっぱなしで、
警察の方が数名慌ただしく動いてたからです。
何がなんだか理解出来ないまま、家の中に入ろうとしましたが、
警察の方に止められました。
そこで、私がこの家の主であることを伝えると、
警察の方はこう説明してくれました。

「息子さんが、1階のトイレで毒ガスのようなものを発生させ、
先ほど救急車で病院に搬送されました。
奥様は救急車に同乗して付き添っておられます」 と。
 
私は家にも入れず、途方に暮れたまま立ち尽くしていました。
 
すると「お父さん」と、お隣の家から出てくる長男の声がしました。
長男と義母は、お隣の方が預かってくださっていました。
長男も、学校から帰ってきたときは祖母だけしかおらず、
全く事情が飲み込めていない状況です。

そうしているうちに、再び私の携帯に電話が入りました。
それは一緒に病院に付き添ってくださった、仲の良い私たちの友人からでした。

「落ち着いて聞いて。今、息子さんの死亡が確認された。病院まで来てほしい」と。

私は膝から崩れ落ちるのを、なんとか抑えるのに必死でした。
今起きている現実を受け止めることは、到底出来ませんでした。

しかしこの現実を、目の前に居る長男に隠すわけにはいきません。
長男もこの私の様子を察して、最悪の事態を予想したのかもしれません。
次男が亡くなったと伝えると、絶句して大声で泣き出してしまいました。
 
そんな長男に
「今からお母さんと次男を迎えに行ってくる。
お前はお婆ちゃんをしっかり見ててほしい。お婆ちゃんにはこのことはまだ言うな」
と言い残して、妻と息子の待つ病院に向かいました。
 
(4)につづく

妻が仕事から戻ってきたのは、夕方5時頃。


帰宅するなり、家に居る母(息子の祖母で妻の実母)から、

「あの子、ずっとトイレに入ったっきり出てこないんだよ。」と、

息子がトイレに閉じこもっていると聞かされました。


妻がトイレのドアを開けようとしますが、中から鍵がかかっており開きません。

胸騒ぎを禁じ得ない妻は、息子の名を呼び家中を探し回りますが、

どこにも息子の姿は見当たりません。

外に出ると、息子の自転車も置いてあります。

 

「あの子はトイレの中に居る」

 

と確信した妻は、ドライバーで鍵をこじ開けて

無理やりトイレのドアを開けました。

そこには、口元からうっすら血を流したまま、

眠るようにトイレの床に横たわる息子の姿が・・・


ただ事ではないことを察した妻は、

咄嗟に息子のそばに転がっていたバケツと薬品をトイレの外に放り投げ、

動かない息子をトイレから引きずり出しました。

 

でも息子はピクリとも動きません。

 

パニックになった妻は、見よう見まねで息子に

心臓マッサージを行います。

そしてすぐに救急車を呼ぶために電話をしました。

 

「何が起きているのか?これは現実のことなのか?」

妻の頭は完全なパニック状態です。

 

ただただ息子の名前を叫び、心臓マッサージを続けました。

救急車が到着まで、それはとてつもなく長い時間に感じられたそうです。

 

(3)に続く
 

2010年6月7日、月曜日。最期
前日まで、京都・奈良への修学旅行に出かけていた次男。その日は代休でした。
修学旅行から帰ってきた夜、「電話くれたら車で迎えに行くよ」
と伝えてあった妻でしたが、息子は学校に戻ったことを連絡せず、
一人で徒歩20分の夜道を、重い荷物を背負ってトボトボと歩いて帰ってきたそうです。
一番仲の良かった友人に「それじゃまたな」と言い残して。
妻の話では、一人で帰ってきた息子は、なんだか沈んでいた様子だったと聞きます。
「疲れてるのかな?」と思った妻は「また明日にでも、思い出話を聞かせてね」と、
二階に上がる息子に声をかけたそうです。これが、妻と息子の最期の会話になりました。
 
そして6月7日、最期の日の朝を迎えました。
その日は疲れていたのか、息子は母親が仕事に出る時間には、
まだ起きていませんでした。
「行ってくるね」と声をかけ、妻は仕事に出かけました。
それが母と子の永遠の別れになった瞬間です。
 
あ・・・言い忘れていましたが、私は仕事の都合で当時も今も、
静岡に単身赴任中です。
日頃は、妻、長男、次男、義母が住んでいます。
当日、私は静岡の勤務先に出勤。3歳年上の長男は高校へ出かけていました。
つまり、当日家に残ったのは、次男と義母の二人だけだったのです。
 
息子は、正午頃に義母の作ったインスタントラーメンを美味しそうに
食べたと言います。
思えば、息子がこの世で最期に食べた食事が、義母の作ってくれた
インスタントラーメンでした。
 
その後、息子は15名の友だちに向けて、最期のメッセージを、
リビングにあるパソコンからメールで送信しています。
各個人ごとに内容は少しずつ異なりますが、どの友だちにも
「今まで本当にありがとう。そしてさようなら。」
という言葉を伝えました。
 
そして午後2時頃、メッセージを送信し終えた息子は、
1階のトイレに薬品を持ち込み、中からガムテープで目張りをして、毒ガスを発生させます。
トイレのドアには
「毒ガス発生。扉を開くな! 高濃度の硫化水素が充満しています。
開けたら即死するので、絶対に扉を開けないでください」
と張り紙をして。
 
(2)へ続く