発行: 2017年

著者:ポール・オースター

訳者:柴田元幸

ポール・オースターは、「ニューヨーク三部作」(『ガラスの街』『幽霊たち』『鍵のかかった部屋』)で小説家として世界的に注目を集めた作家。1947年、ニュージャージー州ニューアーク生まれ。コロンビア大学で英文学と比較文学を専攻、大学院中退後にフランスに渡り、詩、評論、翻訳からスタートしている。帰国後、小説家として活躍。

『冬の日誌』『内面からの報告書』は、70歳になった現在の彼が、過去の自分の様々なシーンを断片的に語る回顧録の形。過去の自分に対して「君は××だったね」という形式で記されている。

老人の思い出話と思いきや、各シーンの景の再現力に圧倒的な筆力をつきつけられる。しかも、さすが詩人。言葉のリズムが心地よい。と、これは日本語で読んでいるので訳者の力でもある。

 

『内面からの報告書』は、アメリカ生まれ、アメリカ育ちの自分が、ある日、実はユダヤ人であることを知る衝撃、その事実を受け入れていくまでの時々のシーンが記されている。

『冬の日誌』は、幼年、少年、青年、壮年、各年代のごく普通の男が、ごく普通に悩むであろう、身体や心の傷、性的な成長と失敗などの事柄が繊細に記されている。

オースターの作品を読んだことがある人には、作品を書いた時の生活環境や精神状態が分かり、腑におちなかったことがらが、すとんと納まる感じが得られると思う。オースター作品を読んだことがなくても、読み物として十分読み応えのある2冊だ。

 

時系列もテーマもばらばらな、断片的なシーンの語り口に、1、2行でがっと引きづりこまれてしまうところに、やはり筆力、景の再現力を痛感する。やっぱ具体的描写だ。そこをそう表現するか!という具体的な景の切り取り。俳句もこれなのだ。

そういえば第三者的語り口、客観視した表現も俳句のそれだ。

 

内容に関して触れると、

アメリカ人だと思っていたら、実はユダヤ人だったという衝撃、病巣のように心に巣食ったユダヤ人という事実、というのはいったいどんなものなのか、単一民族の日本人には皆目見当がつかない。

本当の両親だと思っていた親に、ある日「あなたは拾った子よ」と言われたようなショックなのか、それも経験がないので思いが寄り添えない。

寄り添うために少ない経験を絞り出すと、テキサス州に住んだことがあるので、人種差別的扱いを受けた経験は数回ある。ただ、怒りは社会や国家に向けてではなく、差別扱いをした個人の程度が低いのだというところで終わった。「日本はもっとメジャーにならなければならない!」と悔しがったのは覚えている。なんせ、1ドル=360円の時代だったもので。