1972年1月5日 尾崎、進藤、小嶋、加藤の死体を埋めなおす |   連合赤軍事件スクラップブック (あさま山荘事件、リンチ殺人事件、新聞記事)

(榛名ベースは「大久保清連続殺人事件」の遺体埋葬地の近くに設定されていた連合赤軍事件スクラップブック (あさま山荘事件、リンチ殺人事件、新聞記事)-榛名ベース


■メンバーの状況(1月5日・榛名ベース)
【中央委員会(CC:Central Committee】
森恒夫  (赤軍)独創的イデオロギーを繰り出す理論的リーダー。
永田洋子 (革左)学級委員長的にメンバーを摘発、鼓舞。
坂口弘  (革左)永田と夫婦関係。暴力に疑問を持つが言い出せない。
山田孝  (赤軍)暴力に否定的な考えを表明するもはねかえされる。
坂東国男 (赤軍)森の懐刀として指示を冷酷・忠実に実行。
寺岡恒一 (革左)小嶋の死体を皆に殴らせたことを批判される。
吉野雅邦 (革左)暴力に積極的に関わることで必死についていく。


【被指導部】
金子みちよ(革左)会計係。吉野の子供を妊娠中。
大槻節子 (革左)おしゃれ(パンタロン)や男性関係を批判される。
杉崎ミサ子(革左)革命戦士を目指して寺岡との離婚を宣言。
前沢虎義 (革左)断固とした態度で暴力に加わる。
岩田平治 (革左)言動が森に評価される。
山本順一 (革左)運転手役。山岳ベースに理想郷を夢みて合流。
山本保子 (革左)山本夫人。子連れ(頼良ちゃん)
中村愛子 (革左)永田のお気に入りといわれる。
寺林喜久江(革左)
伊藤和子 (革左)

加藤倫教 (革左)次男。指導部に疑問もついていくしかないと決意
加藤三男 (革左)三男。兄の死に「誰も助からなかったじゃないか!」
遠山美枝子(赤軍)★緊縛中★ 自分の顔を殴らされ、丸刈りにされた。
行方正時 (赤軍)★緊縛中★ オドオドした態度を批判された。
植垣康博 (赤軍)次第にベースの雰囲気になれる。
山崎順  (赤軍)雰囲気に圧倒されてオドオドしている。
青砥幹夫 (赤軍)合法部との連絡役でそつなく立ち回る。


【死亡者】
尾崎充男 (革左) 敗北死(12月31日・暴力による衰弱、凍死)
進藤隆三郎(赤軍) 敗北死(1月1日・内臓破裂)
小嶋和子 (革左) 敗北死(1月1日・凍死)
加藤能敬 (革左) 敗北死(1月4日・凍死or衰弱死)


■「青砥、明治公園ではビビったんだろう」(森恒夫)

 森氏は、党員にする人についてあれこれ言い始め、「青砥に総括させねばならん。こっちのほうが重要だ」といって、青砥氏を中央委員用のこたつに呼び、主に71年の6・17明治公園爆弾闘争 に関して追求した。


 森氏は酒井隆樹氏が手りゅう弾を投げたのに、青砥氏が投げなかったのはビビる気持ちがあったからだろうと繰り返し問うた。しかし、青砥氏は否定し続けた。そのため、険悪な雰囲気になってしまった。


 それで私は、「同じことを繰り返しても仕方ないし、青砥君に問題があるわけではないのだから、もういいでしょう」といったあと、青砥死に、「もう、あっちに行きなさい」といった。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 森は不満そうであり、後に森は、「青砥を党員にするのは、当面やめる」といった。しかし、青砥は合法部との連絡役を担っており、その後も任務を与えられた。


■「風呂をわかさない?」(永田洋子)

 昼食の時、永田さんが、土間に来て、「風呂をわかさない?」というと、女性たちが、一斉に、「賛成!」といったので、風呂をわかすことになった。風呂は、廃屋となった温泉旅館にあるもので、その風呂に川の水をくんできてわかすのである。
(植垣康博・「兵士たちの連合赤軍」)


 永田が風呂をわかすことを提案したのは、死臭を消すためであった。


 彼らは、当初、死臭が気になり、風呂に入ったり、洗濯したりしていた。だが、ジャンパーなどの上着は着替えがなく、そのまま着続けたので、とんでもない悪臭を放つようになっていく。


 この悪臭によってアシがついて、逃亡の過程で逮捕されたり、あさま山荘事件につながっていくのである。


 午後、森氏が土間に来て、私と山崎氏に、「おい、いいかげんにせえよ。行方を縛ってあるロープがゆるんじゃってるやないか。何度言ったらわかるんだ」といって、行方氏をもっときつくしばるように指示し、その際、「納得できなくても、決定した党の方針には従え」と付け加えた。
(植垣康博・「兵士たちの連合赤軍」)


 森は、植垣と山崎が暴力的総括にまだ納得していないことを観察していたようだ。前日にも行方を縛りなおしていた植垣と山崎は、再びきつく縛りなおした。そのとき、行方はされるがままだった。


■「なんだか墓堀人夫みたいだなあ」(植垣康博)

 夜9時ごろから、尾崎、進藤、小嶋、加藤の4人の死体の埋めなおし作業が始まった。これは前日、森が提案したことによるが、なぜ埋めなおす必要があったのか、よくわからない。


 私は、なんだってわざわざこんなことをするのかと思いながら、坂東氏のあとについていった。(中略)
 交代で掘ったが、夜中に死体を掘り出している自分たちの姿を思うとこっけいに見えてきた。「なんだか墓堀人夫みたいだなあ」というと、坂東氏は笑っていた。
(植垣康博・「兵士たちの連合赤軍」)


■「山田さんは非常に問題だ」(寺岡恒一)

 4人の死体を埋めなおした場所は、前年におきた、「大久保清連続殺人事件」 で、女性の遺体が埋められた穴のほど近くであった。といっても、これは偶然ではない。榛名ベースは、人が近づかないだろうという理由で、この場所に設定されたのである。


 山田氏たちは6日の早朝に戻ってきた。彼らが戻ってきた時、寺岡氏が、「山田さんは非常に問題だ。死体を車に乗せ出発しようとした時、山田さんが人影がある、ふせろといったが、人影なんかなかった。必要のない警戒心だったのだ」と山田氏を批判した。
 しかし、森氏はほとんど何もいわずに聞き流した。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 森は、このときは、聞き流したものの、しっかり覚えていて、後に山田の批判材料にするのである。


■榛名ベースでは楽しい食事はできなくなっていた

 このころの食事というと、革命左派レシピによる、中国産アヒルの缶詰かサバの缶詰を入れた押麦の雑炊であった。たまの贅沢が、即席ラーメンだったようだ。


 かつて赤軍派は比較的贅沢な食生活だったため、物足りなかったはずだが、誰も文句を言わなかった。M作戦 によって、資金は潤沢にあったはずだが、厳しく管理され、ストイックな食生活をおくっていた。


 しかも、緊縛されているメンバーには、ほとんど食事が与えられなかったため、気まずい雰囲気になり、楽しく食事というわけにはいかなかったようである。


 さて、この日は比較的おだやかな一日で、事件は起きなかったものの、森の頭の中では、いろいろなことを考えていたことが窺える。


 私は自分が狂気の世界にいたことは事実だと思うし自分がそういう世界をつくりだしたと思っているが、常軌を逸する程前後の見境いがつかなくなっていたとか、物事を判断する能力を失っていたとか思わない。逆に非常に多くのことを考え、判断し処理したのである。
(森恒夫・「自己批判書」)


 そして、さらなる「判断」と「処理」が行われていくのである。