よど号事件について金日成が語っている記事を2本紹介します。
■1970年7月5日 処置に困る赤軍派(朝日)
出版社「未来社」社長西谷龍雄、同「雄山閣」社長長坂一雄の両氏が6月2日から7月1日まで北朝鮮を訪問し、金日成首相と会見したときの様子を語っている。両者は「金日成伝」の日本語版と英語版を出版し、北朝鮮から招待を受けた。金日成首相はよど号メンバーについては以下のように語った。
彼らは招かれざる客でわが国としても実は処置に困っている。日本に返せば、逮捕と刑務所入りが待っているので、われわれは人道的立場から、そういうことはできない。彼らにも親があるだろうから、こっそり返してやりたいが、それもできない。外国に送ることも考えていたが、外交上、条約上、いろいろ難しいことがある。といって、わが国には彼らを働かせるほど労働力は不足していない。まったく迷惑な話だが、関係当局で一番いい方法を考えたい。
■1970年9月2日 金日成主席との3時間(朝日・夕刊)
(クリックすると読めます)
社会党代表団の一行が8月22日に金日成と会談したときの記事だが、よど号事件についての内容は7月5日の記事とまったく同じであり、目新しいものはない。
当事よど号メンバーは、北朝鮮当局による「学習」をさせられていた。まだ転向にはいたっていなくて「過渡期世界論」防衛のため、指導員にたびたび議論をしかけていたようだ。
「講義の先生にふっかけても正面きって反対するでもなし、賛成するでもなし、軽くいなされてしまう。『勝手にあんたたちでやってください』といった調子だ。過渡期世界論、国際根拠地論でオルグしようと意気込んでも肩透かしを食わされ、実にふがいない。これではラチがあかん。だんだん欲求不満が昂じてくる」(若林盛享)(「宿命」)
よど号メンバーの希望していた軍事訓練は「考えてみましょう」といわれただけで、1度も実現しなかったようである。