荒川静香

トリノ五輪で金メダルをとった荒川静香




ある雑誌で、テリー伊藤がトリノ五輪で金メダルに輝いた「荒川静香」 の記事を書いていたので、僕もそれに乗っかって「荒川静香」 について考えてみた。





彼女は金メダルを取った。



しかし、大本命のスルツカヤ の技の精度や、安藤美姫 の四回転ジャンプなどの武器がなかった。




一般的に、スポーツの世界(もちろん、仕事でも言えると思うが)では、誰にも負けないような武器を持った人が明らかに有利であるし、優勢だという概念がある。




もちろん、僕もそう思う。



小学三年生で三回転ジャンプを跳び、天才少女と呼ばれ、十六歳で長野五輪に出場した荒川は、まぎれもなく天才だと言えるし、才能というとんでもない「武器」があったのだと思う。



しかし、その後の伸び悩みと他選手の才能の開花から、自身の才能が才能でなくなってしまった。




では、こういった「武器」がなくなった荒川が、どのようにしてこの栄光をつかむことに成功したのだろうか!?




答えは至ってシンプルである。



荒川は、スルツカヤの技の精度や安藤美姫の四回転ジャンプに、負けるとも劣らない「武器」があったことに気づいたのだ。




それは「優雅さ」と「つなぎ」である。




・スルツカヤの技の精度には負けるが、長い手足を生かして優雅に滑ることでは負けない。

・安藤美姫の四回転ジャンプのような技のキレはないが、技と技のつなぐ技術なら勝てる。




上記のように考え、採点の対象にはならない「イナバウアー」 を組み込んだ。




技と技のジョイントの時間を優雅に見せるためには、最高のパフォーマンスだったからである。




前評判では決して高い評価ではなかった荒川が、自分の長所を発見し生かすことによって、最大の結果を残すことができたのだ。






「強いヤツが勝つんじゃない!!勝ったヤツが強いんだ!!!」






そんな、高校時代のハンドボールの先生の言葉を思い出した。



また、フィギュアスケートを継続して行うためには、年間数百万の投資が必要だという。



経済的に恵まれているとは言えない荒川は、演技に使用する衣装をすべて自分の母親に作ってもらい、それをずっと愛用していたそうだ。



これには非常に心を打たれた。




環境を言い訳することなく「No.1」という結果を残した荒川を、心から賞賛したい。