新村享也の元気のミナモト

新村享也の元気のミナモト

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主演短編リモート映画「カイブツはいない」
https://www.youtube.com/watch?v=KgFtpFFUpyY&feature=youtu.be

母の一周忌でした。





母はすぐにお墓にははいらず、


実家の寝室で生活していました。


でも、ずっとそれを続けるのもアレなので、


一周忌の今日、お寺に納骨してきました。


早かった


あっという間の1年でした。





昨年のあの日の記憶は鮮明に残っていて、


この記事を投稿する頃はずっと母の手を握っていたと思います。


まだ感染症の問題があり、病院内は関係者の方でも泊まれない決まりの中、


看護師さんが気を利かせて、


「そばに居てあげてください」


と優しく話してくれました。


本当に有難かったです。




今、思い返すとこの時間帯の時は、


きっと治る、回復する、と信じていました。


言葉を語りかけても返事は無い、


手を握っていても反応は無い、


でも、


呼びかけ続けていると、次第に母の目に溜まる涙


ああ、聞こえているんだ、それならきっと良くなる、母さん頑張ろう、今この時を乗り越えよう、一緒にいるから。


きっと大丈夫


そう思っていたんです。



父も仕事終わりに合流し、現状を確認、明日も早かったので家で休んでもらいました。



午前4時30分


体温、脈拍、心拍が少し落ち着いてきました。


きっと大丈夫だ


そう思い、僕はそばにある待合室で少し仮眠を取る事にしました。


30分だったかそれ以上だったか


看護師さんに起こされる自分




容態が急変


お父さんを呼んで欲しいとの声


急いで病室に駆け込む


駆け込んでから数秒


母の心音は止まりました。









叫びました


叫んでました


母さん、と







すぐに父に連絡しました。


早朝から仕事だった父は既に現場に向かうところで起きていました。


父が急いで病院に到着




間に合いませんでした。




2023年 2月28日 5時28分


母は旅立ちました。



その後のことはあまり記憶がありません。


親戚、母の友人、事務所の社長、エトセトラ


沢山の方に連絡して、


その度に涙して、


涙止まらねえよ母さんと母に泣き笑いで話したような気がします


一緒に家に帰って、


一泊


翌日すぐに葬儀場へ移動


通夜


ずっと母といてあまり記憶が無いです


葬儀


100名以上の方が参




うーーーーーん


ここまで書いていてアレですが、本当にハッキリしていません、曖昧です。


親戚への連絡とかご挨拶とか、沢山したはずなのですが、あまりにもやり過ぎて何が何だかわからなくなっていた気がします。




この時分かったことがあります。




新村家の家計のやりくりや、大切なことは全て母がやっていたんだということ。


父と息子はノータッチすぎて無知だったということ。


母は守られているようで、僕ら家族を護ってくれていたんだということ。


母は偉大でした。


ある時から酸素吸入のチューブを付けて生活しなくてはならなくなった母


塩分の関係で食事を自由に取れなくなった母


医療給食は美味しかったけど、


きっと毎日は飽きちゃうよなぁ。




火葬が終わり、遺骨になって家に帰ってきた母


父が


「母さんずっと入院していたから、暫くは家にいてもらおうと思うんだ、どう?」


僕も賛成でした。


このままお墓に入ってもらうのは、どうにもいい気分じゃなかった。


父の言葉に少し救われた気がしました。



それから1ヶ月


仕事の日々


母が亡くなってもうひとつ心配だったことが出来ました。


父の存在。




新村享也は一人っ子です。


母は元々子供を産める体ではなかったのに、


無理して(言葉通り死ぬ気で)子供を産みました、


帝王切開でした。



つまり、新村享也は奇跡の子なんです、マジで。


父に、赤ん坊の頃から耳にタコができるくらい言われていた言葉


「母さんをまもってな」


という言葉


父は本当に母が大好きだったんだと今でも分かります。




だからこそ、


父のことが心配になりました。


母という存在が居なくなって、


父は本当に大丈夫なのだろうか。



事務所とも相談して、


1ヶ月に1度、実家に帰ってOKと許可を頂きました。


これはどちらかと言えば、


母に逢いに行くと同時に、父の様子が気になる方が強かったです。



3月、4月、5月


実家に帰っては、母が残してくれたことや僕らだけで処理しなければならないこと、


そして父が元気かどうか


毎月名古屋に帰っては話をしました。


どんどん母さんの思い出で溢れてきました。


楽しいことだったり面白いことだったり、


同じ話を繰り返して話しても楽しくて、


あれ、新村家ってこんなに笑う家族だっけ?と戸惑ってしまうほどでした。


秋には3人で思い出の地を巡りながら旅行にも行きました。


最後の3人旅


楽しかった。


ホテルの内装は全く変わってしまっていたし、部屋も違う部屋だったけど、


ラスト家族旅行を楽しく終わらせられて良かったです。


父は強かったです。


僕なんかよりもずっと長く母と一緒にいたから


何度も何度も覚悟して、


最後まであの人をみてくれていました。


父も偉大でした。



あ、そうそう


旅行の心残りがひとつ


ドライブ中はドラえもんの歌かウルトラマンの歌を流せばよかったなぁ。






そして今日


亡くなった日から、


母さんは1年間、家にいてもらおう


と決めていた僕らにとって、


またお別れの日になりました。



1時間の読経


ありがたいお話


遺骨の骨壺を移動


そして読経


感想


僕も父も少し力が抜けてしまいました。


分かっていたのに、


もう母とは会話できないし、手を握ることも出来ないし、見つめ合うことも出来ない、


涙をためることもない


あるのは遺骨だけ


でも、


それでも母はここにいたんだ、家にいたんだ。


今日からはもういない、お寺さんにいる


もっと言うと、どこかで見ていてくれてる


わかっちゃいるんですけど、


ひとつの終わりのようなそんな感覚が今支配しています。





2度目のお別れの日だったんだなぁと


今思い返しているところです。




母さん


1年前、本当に立ち上がれなくなるくらいしんどかったよ。


きっと父さんもそう


でも、時間って残酷というか、


それでも忘れていくんだよね、


母さんとの事が想い出になっていくんだよ。


でも、


母さんの声も顔も姿も、鮮明に覚えていてさ、多分忘れることなんてないんだと思う。


父さんなんてもっとだと思う。


強いよあの人は


でも支えていくって決めたよ


新村家は2人になっちゃったけど、きっと大丈夫、心配しないでいいよ。


まだ父さんも僕もそっちに行くのにかなり時間がかかると思うから


しばらくゆっくりしていてください。


また3人で旅行に行こうね。


本当にありがとう。


そして仏様になって1年、おめでとう。































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車は愛知県を抜けて静岡県へと向かう


うちは1年に1、2度、近場でもいいから泊まりで旅行に行こうという決まりのようなものがあった。


勿論、子供の頃の話だ。


三重、静岡、岐阜、長野


そして、僕が石川や香川でパフォーマンスをしている時はそこに旅行代わりに行ったりもしていた。


空は快晴


流れる風が気持ち良い


秋と言うよりは少し初夏じみた気温だった。


高速を降りて、ホテルへと向かう


僕が小学生くらいの頃に何度か泊まったホテル


来年の3月に名前が変わるらしい。


それなら最後にこのホテルに泊まるのもいいんじゃないかと思った。


膝の上には四角い箱


少しの重みが生きている




「あのさ」


ん?


父からの言葉


「思うんだけどさ」


なに?


「やっぱ新村家の主役って母さんだったんだなって」


わかる


わかるわー


天才だわー


僕ら脇役だよね


「笑」


何をやるにも母さんが中心だった


「あれが食べたいーとか、あそこいきたいーとか、享也のお芝居みたいーとか」


父と僕はここに行きたいとか、あれをしたいとかをあまり言わない人間だったから、


母さんが喜ぶなら


それが一番だったのだ


「それで良かったんだよな」



新村家にとって主人公がいなくなったから


残りの時間はエピローグで、カーテンコールで、アフターストーリーでしかない


DLCなんて販売もしない


あとはゆっくりした落ち着いた世界が流れるだけだ。


父には父の物語があるし


僕には僕の物語がある


でも


新村家の物語はここでもう幕引き


寂しいけど、


それが僕と父の共通認識だった。



ねえねえ、今度はさ


北海道の父さんの家族に会いに行こうよ


「それはなぁ、時間がかかるぞ」


元気なうちに行こう


どうせ終わりなんだ


僕らが好きなことをやればいい


母さんも喜んでくれるさ


「まぁ、時間があったらな」


ありがとう。


最後の幕引き後のカーテンコールは


ちょっと豪華にさせてくださいな。


『なんで私がいる時に考えないの!?』


って怒られる、きっとぶつくさいってる。


でも、


それくらい許してよね、母さん。


2023年は色んなことがありました。


本当にはやかったです。


母のことも、

周りのことも、

自分のことも、

年末はコントロールも難しいぜとなりました。


喪中なので新年のご挨拶は控えさせていただきます。

来年、また会いに来てください。


本年もありがとうございました。🙇‍♂️



年末年始は台本にずっと向き合います。


たかや






アメブロの使い方どうした。


ということで舞台もあっという間に終わりまして、


ご観劇頂いた皆様ありがとうございました。🙇‍♂️


3年ぶりの舞台はとても勉強になることが多かったです。




色々あるのですが、


この1枚は残しておきたいので。


仲宗根久乃さん

芹香ナノさん


すっごい頑張ってました。

見習うことばかりでした。


そう、見習わなきゃあかんのですよ。


もっと頑張れ自分。





ほんで、


どこまで宣伝していたのか分からないのでいくつかまとめておきます。



①ザ!世界仰天ニュース


https://x.com/takayashin/status/1712089435721093202?s=46&t=sSmdmYt8NwC85KXl09jHwQ



②日本冷凍食品協会


https://x.com/takayashin/status/1714938552117825695?s=46&t=sSmdmYt8NwC85KXl09jHwQ



③パナソニックホームズ




もうひとつありますが、それはまたの機会に

画像沢山ありますので。👍































アマプラで既に何回も見ました。


最高すぎて好き


なんだろうこの2時間。