※完全なフィクションです(#^.^#)
「本当に退職するの?」、総合病院の警備担当の上司が高木に声をかける。「はい、5年間お世話になりました。警備の仕事って本当に大変でしたが、勉強になりました」そういうと俊介は朝日警備会社の社員証と制服を返した。5年間お世話になった警備服は少し色あせている。「君は最後まで真面目だね」上司はそういうと、小さな紙袋を手渡した。「君が今後どういう人生を歩むのかわからないけど、俺からのエールだ」少し髭の生えた口が動いた。中には小さな額の絵と入社時に渡した履歴書が入っていた。「また、仕事頑張ってさがせよ、幸せにな、体にきをつけてな、」よくしてくれた上司の心遣いにあたたかいものがこみあげた。
「本当にありがとうございました、お世話ににりました。熊野さんもお体に気を付けてがんばってください」俊介はそういうと「警備室」とかかれた透明の大きなドアをあとにした。
車にのりこみ、向日葵の絵を眺めながら履歴書をひらけた。学歴詐称か・・・現役国立大学医学部卒業の俊介だったが、履歴書には高卒、となっている。警備会社の面接をうけたのはちょうど5年前。40歳を目前にしたころだった。大学卒業後、研修医として勤務し、精神科医として毎日毎日、業務をこなしていた。決して優秀とはいえなかったかもしれないが、患者さんからの信頼は厚く、予約は取れないほどだった。大学病院の精神科医局、最近は大学病院でも経営力が問われる。薬の投与やベッドをいかにうめるか、優秀といわれる同期の医師たちはどんどん数字をあげていった。俊介は医局の教授から時々プレッシャーをかけられることもあるほど、経営には協力できていないことは周囲の精神科医師も知っていた。15年以上勤務する中で孤立感は高まり、同時に医師をやめるきっかけになる患者との出会いもこの頃、重なった。
俊介は母子家庭で育った。その頃は、大切な母を病気で亡くし、共に幼い時に暴力をうけていた弟の長期精神科入院、そして兄として毎週面会にいくという生活をおくっていた。弟は思春期に精神病を発症し、かれこれ入院も20年以上になる。自身が精神科医師を目指したきっかけにもなった身内の病気や父のDV、いつしか俊介は生きることの意味を見つけ出さないといけない思いにかられるようになっていた。狂ったように書籍を読みあさり、必死に不安から逃げ出そうと試みていた。しかし、現実はアリジゴクのように足をふい入れるほど心は苦しくなっていった。自分が精神科医師でありながら、結局は弟を治すこともできず、引き取る勇気もない、自分の医師になったことを心から喜んでくれた大好きな母親も死去。日々、時間に追われる業務に生きる実感が持てなかったのも事実かもしれない。
つづく・・
