日本は今サッカーW杯により話題を支配されている、支配というのはあまり良い言い方に聞こえないが試合の前後でエピソードを入れたがる報道の仕方に少々うんざりする。当方サッカーに興味が無いわけではないし、便乗するところは便乗すればいいと思っている。ただし、メディアには伝えることが他にあるだろうと言いたい。


 当ブログは音楽主体なので一応メインは音楽の話。ここまで来れば言わずとも予想がつくだろうが今回はW杯のテーマソングについて。公共放送と民放各局になるがわざわざ全てを紹介する気はないのでそこは各々確認してもらいたい。

 まず公共放送、今年開催された冬季オリンピックの時もそうだったが何かインパクトが弱い。起用されたアーティストに勢いがあることは認めるが、それ以上に公共放送の投げっぱなし感が否めない。要求となると少し傲慢だが、せめてもう少しコンセプトを要望しておくべきではなかったか。

 オリンピックも含めこういうスポーツイベントに強いのが8チャンネル。今回は某有名バンドを起用し、W杯関連の話になる度に流す。先週述べたのだが、このシングル曲のカップリング(c/w)で歌詞が物議を醸した。無論そんなことに TV局が1mmも触れる気はない。

 運が悪いというか因果応報というか何とも全面に出しづらい4チャンネル。某アイドルグループに託したまでは良かったが、決まった後に問題が次々と発覚。危機管理として関与できない部分があったにせよ問題がこれ以上大きくならないと見たのか、出演タレントも含めて何も変えなかった。この辺が図太いのか見通しが甘いのか。TV局のためを思うならもう少し痛い目に遭った方が良い、まるで懲りていない。

 ただ、中継本編も含めるとやはり安定しているのは公共放送。民放は解説がうるさかったり、スタジオの出演ゲストに〈卑しさ〉と〈稚拙さ〉が出ていてほとんど観る気にならない。そもそも試合の前フリ放送は1時間も必要ない。


 『タマシイレボリューション』(Superfly)くらいのインパクトを求めるのは酷だが、公共放送には何というかもう少しバリッとしたテーマソングを求めていたのは正直な感想。過去の楽曲を調べてみると余計にそう思えてくる。繰り返しになるが今回はアーティストのせいではなく依頼した側の責任、ここ最近続いているイマイチ加減は何なのだろうか。(完)


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《余談》
 音楽から完全に話がズレるので余談とした。浮かれている日本で今一番の懸念は日本代表前監督の解任問題。コミュニケーション不足などと選手との距離感の問題をメディアは挙げているが、そんなことで1円の慰謝料を含めた裁判など起こすはずがない。能無しのTV局は既に過去の人として忘れさせようとしたり、変人扱いしているがそれは明らかな印象操作。日本サッカー界の腐った部分を表面化させようとして犠牲になった事を誰もが言おうとしない。

 詳しく言うと長くなるので割愛するが、ヒントとしては日本代表のユニフォームは当然統一しているが使用シューズに関してはメーカーも含めて個人の自由であるという点。そして代表ユニフォームとシューズのメーカーが同じ選手は誰でしょうかという話。代表ユニフォームの製作を任されているということは当然サッカー協会のタニマチ的存在、代表の動きを監視するが如く逐一見ている。《10番の呪い》などとオカルトのような話もあるが、実際には歴とした理由があって「呪われる」のである。

 こういう話を池上彰や林修が分かりやすく説明してくれれば最も良いのだが、まぁ絶対に取り上げないだろうなと嘆く。にわかファンが騒ぎ立てる今の雰囲気をほくそ笑みながら、その裏で都合の悪い話を知らないうちに皆で小さくしてしまおうとするサッカー協会とメディアの結託が働いている。こんなことを言うのも申し訳ないがTVに出演しているサッカー解説者やスポーツコメンテーターのほとんどはただの操り人形でしかない、この問題を知っているにしてもそれを封印してまで稼げるときに稼ぎたいのは理解できなくもないが。


 ジャーナリスト気取りでモノを言っているように見えたのならその段階で恐れ多い、これはあくまで1サポーターとしての意見。この問題が存在しなかったら、たられば無しに代表はもう少し強い。〈完〉