いつもならGWを過ぎると何となく浮わついたまま1ヶ月過ぎていくのだが、今年の5月ほど濃いものはない。ここ10年、いや20年~30年でも5本の指に入るのではなかろうか。まだ1週間以上日にちが残っている。

 それが喜ばしい話題ばかりなら言うことは特に無いのだが、残念ながら衝撃を与えられる方が多い。とりわけ本当に偶然でしかないにしても訃報が相次いだ。


 西城秀樹、星由里子、朝丘雪路…最盛期を観ていないにしても絶対にどこかでリアルタイムの映像をどの世代も観ている面々。そして芸能面の話題だけではなく、音楽的にも皆が関わりのある面々である。

 歌手だけではなく俳優にしても「昔の人=レコードを出している」という先入観を持たれている。そこに関して間違いはほぼ無いと思う、そして皆が最低限そこそこ巧い。ただし例えばタカラヅカ出身だから巧いのは当たり前だと思うのは100%正解ではないだろう、メロディーラインをなぞれるから巧いと考えるのは勘違いとまでは言い切れないがちょっとズレている。


 その中でも西城秀樹については各局時間をかけて報道したこともあり、代表曲や本人の凄さについてはこれでもかというくらい理解させられただろう。楽曲が相当数あるのでこの機会に音源入手しても全くもって損はない。

 問題なのは衝撃と思い出に浸りすぎて、その後の展望に何ら考察を置かなかったこと。要は本人が亡くなった後に、これから誰が《歌い継ぐ》のかという問題。

 恐らくというかほぼ間違いなく、本人に代わる存在はいないという空気が充満している。そんなことは百も承知で今述べている、ただ大きな存在を失った…で話を終わらせるべきではない。TVなどはこのまま過去の音源だけでいつまでもやり過ごそうとしている。

 この事態は音楽界にツケが回ってきている証拠。それこそ本人のように洋楽でも積極果敢にカヴァーする姿勢が見られない、偶然にも今月ナタリー・コールを取り上げたが西城秀樹はその父であるナット・キング・コールの『アンフォゲッタブル』をカヴァーしている。誰もが恐れて手を出さなかった領域にも勇敢に踏み込んでいった。

 今の状況ではそれこそ完全コピーのモノマネを生業とする人間か、力強い声が出せるミュージカル俳優でないと西城楽曲をそのままに近い表現で歌うのは難しい。如何に一流と呼ばれる歌手が歌ったところで、「何か違うな」と思われて結局カヴァーにはならない。


 最近カヴァーを行う歌手特に男性歌手の傾向として大胆さがない。確かに楽曲自体は簡単ではないので、それを歌うのは巧いからだろうと誰もが思ってしまう。しかしながらよくよく考えれば、橋を慎重に渡るが如く歌えばプロと呼ばれる人間の技量であれば難しい話ではない。従って選曲も自ずと危険な橋は渡らない。

 [MAY.J]のように流星のように現れるもよし、かつての[島谷ひとみ]のような売れ方でもモデルとしては有りと言える。ただ、今の方が相当の引っ掛かりが食い込むほどに深くなければ売れない上に長く活躍は出来ないであろう。何より音楽界が新星の出現を悠長に待つようなスタンスでは「本人以外歌えない楽曲」が今後加速して増えていく事態を招く。(完)