後で気づきました。

写真や下の記事(スキャナーで撮ったもので写真同等)の上にカーソルを乗せて「拡大する」という文字が出るものは、クリックするとボケた写真も文字も鮮明になることが分かりました。早く分かっていれば文字を書き写す必要がなかったことになります。

何しろ見よう見真似で始めた初心者ですので、分からないことがいろいろありますのでご容赦ください。


⑤1段

《鈴木星風》 七段・師範、杉並第一支部長、本部常任幹事 ②東京都杉並区神明町… ③出身は東京と云うから純粋の江戸っ子である。未だ33才の若人でありながら早稲田大学商業部を卒業して三井不動産に入り、今では不動産の会計課長代理を勤めている。若くて三井の台所を預かっているのであるから、如何に有望な士であるかが伺える。詩吟の方は三井尚和倶楽部詩吟部が戦前より続行していて、22年再発足の際に入会しているが、25年には教士免状を貰っている。業務の傍ら詩歌をよく研究していて、適切な詩歌の解説には会員一同感心するばかりである。会計業務に明るい氏は特に本部大会等の会計業務に手腕を揮って頂いて立派な成果を上げている。その熱心な研究が実を結び、尚和倶楽部と神風会本部の常任幹事の位置にある。氏は詩吟の他に謡曲、仕舞がお得意の由歳には見えない若さでよくもアプレならずとは奥様の御幸せと云うべきか


神風流本部発行の教本「古今名吟集」 171ページに《秋日尋泉境偶成》という4行詩がある。これの作者が「鈴木星風」となっている。この教本の漢詩の最後に(琵琶行の後に)何故この4行詩が追加付録のように有るのか、疑問に思っていましたが未だに理由が解りません。


⑤2段


《堀 男風》 七段・範士、千葉支部長、本部常任幹事 ②船橋市宮元町…

③本名は誠六、群馬県前橋の出身で帝国銀行本店証券部に勤務している。当年54才であるが意気若者を凌ぐものあり。昭和22年入会以来不自由な足にもよく欠かさず稽古を積み詩吟を通じて特に人格の完成に日夜精進されている人である。氏の所信を伺うと (1)家族、近隣、道行く人は固より私の音声の到達する一切の天地自然を相手として精一杯の吟詠を念願している。 (2)他に書道、南画にも精進し、特に耕作によって自然の尊さを学ばんと努力している。

と云う譯で只々頭が下がる。特に書道が熟達して居られるところから平常書記の役をお願いしていて会員諸士にはよく御馴染みの事である。眞に忠実な人と云うべく仕事の上にも、詩吟の上にもよく現れている神風会の欠くべからざる人である。


云わずと知れた《堀 神州》先生である。神風流会員の中で唯一「十段」を授与された貢献者である。「詩吟の心」という著書がありエッセイ集であるが名文が多い。父神國とは親交が深く毛筆の手紙や掛け軸などが我が家に沢山ある。書家としても詩人としても有能で、神風流の教本にも「堀 男風 作」「堀 神州 作」の詩が幾つか載っている。


⑤3段

  

《小林心風》 七段・範士、日本橋支部長、本部常任幹事 ②東京都中央区日本橋浜町… ③長野県出身で本部の近くで印刷業をやっている人である。本名は庄松と云っても小僧さんではない、立派な大僧さんである。戦後の入会者であるが入会以来神風先生もあきれるばかりの器用で、努力もさる事ながら吟風を次々と巧みに会得して本年(26年)1月教士となって支部長となった。地の利と器用と努力が物を云っての上達振りは、先輩者は悉く驚いたものである。本年5月には七段範士となり最近は吼山会等に出吟して好評を博している戦後の逸材で、大会の度毎に業務を抛うって努力して呉れていることは誠に感激に堪えない。趣味はスポーツで戦前長野県選出陸上競技選手となり、一万米で明治神宮で活躍したそうだが、成程詩吟上達も仲々早い筈。


父神國とは親交が深く(先生は早く神風会を退会し吟道館を設立)独立した後も我が家を訪ねて来られ、父が先生に吟じてもらい録音したテープが残っている。何年に独立したか不明だったがUチューブ見ていて昭和32年だということが判明した。

小林心風先生が創設した会は現在も《吟道館流》として受け継がれていている。初代が他界されご長男が二代目を継いだが若くして亡くなられたようで、二代目の奥さまが三代目を継がれたが、お気の毒に亡くなられ現在はお孫さんが四代目として活躍されている。

Uチューブに沢山動画が公開されているが、初代、二代目、三代目、四代目の顔写真などが見られる大きな大会の動画を紹介しますので、下の 「URL」 をクリックしてご覧ください。


吟道館流100回記念詩吟大会

https://www.youtube.com/results?search_query=%E5%90%9F%E9%81%93%E9%A4%A8%E6%B5%81


これは無断掲載で訴えられたりしませんよね!昔神風流の幹部として父と共に活躍された大先輩の育て残した会が、大きく発展して活躍していることを他人ごとではなく親しみを込めて喜んでいるのだから気分を害することはないと思っていますが…。

そもそも Uチューブ なろものは大勢に見てもらうために公開するものですから。

吟道館流の本部が神風流浜町本部の直ぐ近くに在り、私が詩吟を始めた頃本部の前を通る度に、お互い友人だった親の二代目同志として会って話がしたかったが、亡くなられたことを知りその機会を逃してしまった思いがあります。


⑥1段


《佐川陽風》 ・範士、壽支部長、本部常任幹事 ②神奈川県藤沢市鵠沼… 

③本名は富美子、麹町に生れた江戸っ子である。帝国女子専門学校から櫻井女塾研究所を出て、勅使河原和風先生の新日本華道を卒業されている

立派な講師である。白木屋本店に勤務中で詩吟の方は昭和12年5月入門、間もなく白木屋に詩吟部を創設し、昭和15年には女子寄宿舎全員の指導に当った。その後百貨店詩吟聯盟に加入し、石島長風氏らと共に詩吟を百貨店に普及したその功績は大である。女子ながら終始一貫、白木朗詠会の為め又神風会の為め男子に負けぬ努力は感服の至りである。平素白木屋の女子部に対しては、詩吟のみならず修養方面に盡力されている女子の偉い處である。華道は前述の如く先生で、現在神奈川県庁華道部の指導に当たっている由、女子の育英には白木屋としても神風会としても欠くべからざる女教師である。


云わずと知れた《佐川神光》先生である。堀 神州先生と並んで神風流の教本には先生の詩が幾つかある。墨堤秋望(佐川陽風)、神風流婦人部之詩(佐川神光)などがある。幹部としてここに紹介された16名の中では唯一6段範士であるのも、如何に功績があったかが伺える。因みに他の方は8段師範(11名)、7段師範(1名)、7段範士(3名)である。佐川先生とはお話する機会はなかったが、父の後を受けて手紙や年賀状はお亡くなりになるまで続いた。


⑥2段


《佐々木一風》 ①八段・師範詩吟神風会新潟県総支部長 

②新潟市旭町通り2番町… ③氏は昭和10年神風会高弟「田中雷風」先生に師事し本会に入門、忽ち力量を認められ翌11年教士となり、昭和16年夏までの間、県下主要地へ18支部を設立。

詩吟研究会の設立、詩吟研究機関誌の発行、新潟詩吟聯盟の設立、吟詠講習会詩吟大会を開催、横浜八聖殿全国大会に出吟すること8回等、氏は眞に血みどろの詩吟普及を續け同年7月応召となり復員する21年迄の戰時生活に於ても詩吟普及を計り、部隊科目に加えて部隊指導に当った程である。

復員後今日迄詩吟再建を怠らず、25年に県総支部を再結集し、東京に於ける毎年詩吟大会に上京出吟し、昨年11月の安達先生追悼全国大会出吟する等、遂に(昨年)11月3日本部より初の八段師範の免状が授與された。

尚本年5月神風先生を招聘して終戦後初の詩吟講習会を開催した。このやうに氏の詩吟普及の功績は誠に偉大と云うべく、氏の人格のしからしむる処であって、神風会員随一の功労者である。


⑥3段


上記紹介文の中に昭和16年7月応召となり復員する21年迄の戰時生活に於ても詩吟普及を計り、部隊科目に加えて部隊指導に当った程である。とあるが、その昭和16年7月に出征記念として撮影したのが下の写真である。この時父は38才であった。


出征記念


流儀の草創期に30代でこれだけの活躍をして《氏の詩吟普及の功績は誠に偉大であり、神風会員随一の功労者である》と称賛された父神國の偉業は新潟県の誇りであり、(子供として)後世まで語り継ぐべき義務を自覚して、私はこのブログを立ち上げた次第であります。

県内の神風流会員で「神國会」「佐々木神國」を知らない者は「モグリ」だと云われた時代は遠い昔の語り草となりました。

新潟県の神風流をゼロから詩吟王国に築き上げた先駆者、功労者を敬う精神は、先祖を敬うことと同じで詩吟道に通じるものが有ります。

3回に分けて神風流草創期の「幹部の横顔」16名を紹介しましたが、父佐々木一風(神國)を最後にして終了致します。


次号から又神風流の歴史など紹介していきます。

                   詩吟神風流 神國会 会長 佐々木神國