祓詞は、神主学校に入った学生が祝詞を暗記するなら、まずこれでしょうし、たいていどんな祭事でも奏上されますので、知っている人も多いかと思われます。


 暗記してしまって、書いたものを持たずに奏上するのは実は略式なのですが、それはまた別な話。

 それで今日は、この祓詞の内容について、お話したいと思います。


 まずは神社新報社『祝詞例文集 上巻』より原文となるものを。

 祓詞は他の祝詞と同様、宣命体(せんみょうたい)で書かれています。大ざっぱにいうと、カッコ内の助詞や活用語尾に相当する部分を他の字より小さく、右に寄せて書くのが宣命体です。


掛<介麻久母>畏<伎>伊邪那岐大神
筑紫<乃>日向<乃>橘小門<乃>阿波岐原<爾>
御禊祓<閉>給<布>時<爾>生<里>坐<世留>祓戸<乃>大神等
諸<乃>禍事罪穢有<良牟乎婆>祓<閉>給<比>清<米>給<閉止>白<須>事<乎>聞食<世登>恐<美>恐<美母>白<須>


 『祝詞例文集 上巻』では、フリガナが全部の語に振られています。ちょっとうるさいですが、フリガナをカッコ内に入れて以下に読みをあげましょう。


掛(か)けまくも畏(かしこき)き伊邪那岐大神(いざなぎのおほかみ)
筑紫(つくし)の日向(ひむか)の橘(たちばなの)小門(をど)の阿波岐原(あはぎはらに)に
御(み)禊(そぎ)祓(はら)へ給(たま)ふ時(とき)に
生(な)り坐(ま)せる祓戸(はらへど)の大神(おほかみ)等(たち)
諸(もろもろ)の禍事(まがごと)罪(つみ)穢(けがれ)有(あ)らむをば
祓(はら)へ給(たま)ひ清(きよ)め給(たま)へと白(まを)す事(こと)を
聞(きこし)食(め)せと恐(かしこ)み恐(かしこ)みも白(まを)す


 もちろん、歴史的仮名遣いです。


 生<里>坐<世留>は、「なりませる」であって「あれませる」「うまれませる」ではありません。この「みそぎ祓」は古事記にある話をもとにしています。イザナギノ大神が黄泉国を訪問して、その後、命からがら逃げ帰ったあたりです。
 それでまず、水に入りますから身につけているものを脱ぎます。すると、その冠や服などから、神様が現れます。水に入って、黄泉国のケガレを落すときにもそのケガレから、神様が現れます(しかも、重要な神様ばっかりです)。このように、色々なものから神様が現れたので「うまれませる」ではなく「なりませる」です。
 このときに現れた神様をみんな合せて「祓戸の大神等」と言っているわけです。


 また、祓<閉>給<比>は「はらへたまひ」であって、「はらひたまひ」ではありません。ですから、読むときはハラエタマイが自然です。どちらでも実は読むのですが、「はらへたまひ」の方がより古い読みです。それに、ここでは紛れもなく「はらへたまひ」と書いてあります。
 でも、読みは「絶対古代の音でなければならない!」と決まってなんかいません。そもそも分っていないことも多いんですし。中庸を心がける、つまり極端に走るなと神社本庁刊行の解説本にあります。

 
 長くなったので、あすに続きます。