このブログの機能が使いこなせていない私でも、よく利用するのが「検索ワード」です。これは、どんな言葉を検索して、このブログにたどりつかれたかが分るもので、最近こんなのがありました。


 見奉り給ふ 補助動詞


 どこかで私、こんな文章を書いたんでしょうね。


 「見奉り給ふ、で、補助動詞はどれか」ということでしょうか。

 「補助動詞」はそのまま「補助する役目の動詞」。脇役です。それに対する呼び方に「本動詞」がありまして、こちらはいわば主役の動詞。

 「見奉り給ふ」では「見」が本動詞、「奉り」「給ふ」が補助動詞です。
 かんたんですね。日本語は、付け加えたいモノを後ろに後ろにどんどんくっつけていく言葉で、主役が前、脇役が後に来ます。


 見る

 見・分ける

 見・分け・られる

 見・分け・られ・ない

 見・分け・られ・なかっ・た


 ……このへんで止めて置きましょうか。


 もう少し詳しくみますと、前後の文がないので正確ではないですが、まず間違いなく「奉り」謙譲語、「給ふ」は尊敬語です。

 ここで、謙譲はへりくだって、尊敬はうやまって、なんてやって上げて下げてを考えると分らなくなります。どちらも誰かを敬っているのには、変りありません。


 謙譲語は動作の受け手への敬意で、ここでは「見られた人」を敬っています。
 尊敬語は動作の仕手への敬意で、ここでは「見た人」を敬っているのです。
 それで、少なくとも高校から大学受験などで問題を解く上では、「見られた人」「見た人」の上下関係を考える必要はありません。


 さて、仮に以下のような文だったとしましょう。
 
 女院、幼帝を見奉り給ふ


 「奉り」「給ふ」は誰への敬意か、分りますか。


 「見られている人」は幼帝で、「見ている人」は女院ですから、「奉り」は幼帝への、「給ふ」は女院への敬意です。
 
 最後に、じゃあ「誰からの敬意か」なのですが、これはこの言葉を発した人に決まっています。会話文でしたら、その話者からの、それ以外では筆者からの敬意、ということになります。