~新川の社務所から~-201101311156000.jpg


 『延喜式祝詞講義』の「延喜式」は、平安時代中期(1100年程前)の法律です。その八巻目に祝詞がざっと27編記されておりまして、これがこんにちの祝詞の模範となっています。もちろん宮廷の祝詞ですから、そのまま使うことはできませんけれど、今でもよく使うフレーズがたくさん詰まっています。また、現在よく奏上される「大祓詞」の原型となった「六月晦大祓」も、この八巻目にあります。


 この「六月晦大祓」についてだけは、古くから色々な解説本がありましたが、延喜式祝詞の全体についての解説本は、江戸時代の中期(だいたい300年前くらい)以降になって、どんどん出て来ました。


 名前をあげますが、忘れてけっこうです。


 まず荷田在満。そして賀茂真淵。本居宣長もちょっとだけ(ふたつ)詳しい解説をしています。


 それで今回私が買いました『延喜式祝詞講義』。これは、鈴木重胤という人が書きました。嘉永6(1853)年のことです。これはペリーの黒船が来航した年ですね。


 鈴木重胤は文化9(1812)年、淡路島に庄屋さんの子として生まれ、二十歳の頃、当時国学者として第一人者だった平田篤胤の門下に入りました。重胤自身も国学者としてだんだん知られるようになりましたが、日本書紀やこの延喜式祝詞の研究をしていくうちに、だんだん同門の人と折り合いが悪くなっていって、ついには断交してしまいました。


 それで最期、文久3(1863)年に、江戸の自宅で暗殺されたんです。


 幕末のキナ臭い頃だったんですね。


 この年、薩摩がイギリス船を、長州はアメリカ商船を砲撃、いずれも強力な反撃を受けました。京都周辺では天誅! と叫ぶ暗殺者がわらわらいて、幕府を倒そうと決起する一団もあり、朝廷では急進派のお公家さんが追放されるなど、何だかめまぐるしい年でした。


 話を本に戻すと、これまで色々な国学者が著した神道関係の本を読んで来たのですが、鈴木重胤の文が、いちばん読みやすいような気がします。年代からいっても、今に一番近い人ですから当然かもしれませんけれど、読んでいて最も理性を感じます。


 ちなみに、今回私が入手したのは四冊揃で昭和53年、国書刊行会発行の古本です。


 いろいろ鉛筆で線を引いてあるので、その分、安かったんですけれど、前の持主さんを想像したり、何を考えつつ線を引いたんだろうなと考えたりしつつ読んでいます。