こんにち最古の祝詞集とされているのは延喜式の巻八ですが、「祝詞」の範囲をより広くとるなら、すでに古事記の中にも記されています。




 例えば古事記の大国主神の国譲りのところに、こんなことばが出て来ます。




 ここで大国主神は、高天原からくだった建御雷神のため、出雲国(島根県)の多芸志(たぎし)の小浜に立派な宮殿を造り、もてなすことにしました。

 そのときクシヤタマノ神は料理人として、海の底にもぐって土をとり、それで皿をつくりました。さらに、海藻やコモの茎で火鑽臼(ひきりうす)や火鑽杵(ひきりきね)という道具をつくり、火を起こします。そうして、次のような言祝ぎの詞を唱えたのです。




この我が燧(き)れる火は、高天原には、神産巣日の御祖命(みおやのみこと)の、とだる天の新巣(にひす)の凝烟(すす)の、八拳(やつか)垂るまで焼(た)きあげ、地(つち)の下は、底つ石根に焼(た)き凝(こ)らして、栲縄(たくなは)の千尋縄(ちひろなは)打ち延(は)へ、釣(つり)する海人(あま)の、口大(くちおほ)の尾翼鱸(をはたすずき)、さわさわにひき依せあげて、打竹(さきたけ)のとををとををに、天(あめ)の真魚咋(まなぐひ)献る(次田真幸『古事記』上巻 講談社学術文庫による)。




 今こうして起した火は、高天原にいらっしゃる祖神様、カミムスビノ神の新しい宮殿のススが、長く長く垂れ下がるまで焚いたような、土の下は地の底の石までも固くするかのような、神聖な火。その火をもって調理いたしますのは、長い栲縄を延ばして海人がとった、口が大きい立派なスズキ。ざわざわと海から引き寄せて上げ、運ぶときに笹竹がしなるほどの、たくさんの神聖な召し上がり物として捧げます。




 出雲では今でも火鑽の神事が行われています。

 例えば出雲国造が新たに就任すると、熊野大社に参り、そこで起した火を持ち帰ります。その火は大切に保存され、その火を食べ物の調理にも用いるのです。




 さて、どうでしょうか。こんにち言う祝詞とは違うと思いませんか。

 でも、これは寿詞(よごと)のひとつで、広い意味での祝詞と言うことができます。




 贈り物をするとき「つまらないものですが」と言って差し出すのは日本の習慣ですけれど、神様同士ではそうは言っていないのが面白いところ。「寿詞」という名前から見ても分るように、ことばを尽して、調理する「火」や食べていただく「スズキ」を立派なものだと言っています。


 内容は単に「火を起してスズキを調理し献る」だけなのですが、このように言葉を尽くすことで火は尊く、スズキは素晴らしいものになり、ひいては献るのにふさわしいものに変るわけです。

 

 なお、この部分の原文は以下の通りです。ただし全て新漢字に直しました(『古事記』倉野憲司校注・岩波文庫による)。




是我所燧火者、於高天原者、神産巣日御祖命之、登陀流天之新巣之凝烟之、八拳垂摩弖焼挙、地下者、於底津石根焼凝而、栲縄之千尋縄打延、為釣海人之、口大之尾翼鱸、佐和佐和邇、控依騰而、打竹之、登遠遠登遠遠邇献天之真魚咋也。