そろそろ歳旦祭祝詞の需要がでてきましたので、ご参考までにご紹介します(原文は宣命書。読みは、ちょっと特殊かなと思うものを中心につけました)。


 まずは『祝詞作文自在』(青木陳実、誠之堂、明治45)より。


何々神社の御前に白さく。此の新しき年の初日を尊び奉り悦び奉りて。家毎に例違へず。門飾り美麗(うるはし)く家内清浄(きよら)に。松竹刺し立て御注連縄引き延へ。備へ奉る鏡の餅ひに大御代の円なるを寿ぎ。汲み上ぐる若水に齢の若えむ事を称へ奉りて。相共に礼辞(ゐやごと)を述べ。互に御酒盛り交しつつ。普く言寿ぎ奉るを以て。かく御酒御饌を奠(たてまつ)りて御祭仕へ奉る状を。平けく安けく聞し食して。天下四方の国には。浪風の立の喧(さやぎ)有る事無く安く穏に。公民(おほみたから)の栄は日に異に繁く。天皇の大御代は飾りの松の常磐に堅磐に。皇御国の大御稜威は刺し添へし竹の八千代変らず。弥高に弥遠に輝き坐して。例無き御代に立ち栄ゆべく。守り恵み幸へ給へと。恐み恐みも白す。


 「掛けまくも恐き」で始まらない珍しい文例ですね。最近は「年毎の例のまにまに」を使うことが多いようですが、ここでは「例違へず」。その前の「家毎に」とのつながりが良くないためでしょうか。
 語彙の面では、社殿でのお祭りならば「松竹刺し立て」以下は使えません。でも、餅・若水のフレーズは使えそうです。
 それから、敬語をちょっと手直しします。「守り恵み幸へ給へと」は、「守り恵み幸へ奉り給へと」の方がよいでしょう。「奉り」はもちろん天皇陛下への敬意です。



 つづいて『祝詞作文法』(春山頼母、皇典講究所・國學院大學出版部、明治42)より。もとは『神事略』にあったもので、つまりは孫引きになります。


掛巻も畏き。某社に鎮り坐す。吾皇神の大前に。恐み恐みも白さく。千歳経む山松を。さ根こじの根こじにして。五百枝刺す小竹(をざさ)取り添へて。御門に挿し立てて。木綿取り垂でて。端籠(しりくめ)の索(なは)引き延へて奉る幣帛は。千世の若水。餅(もちひ)の鏡。和稲荒稲。御酒は白木黒木に。屠蘇酒(くすりのみき)をも取り並べて。奉る雑物を。大御心もうらけ。豊明に聞し食して。天つ日嗣は。日月の共動き無く。恒も祈み奉る天皇命の大御寿(おほみいのち)を。手長の大御命(おほみいのち)と。堅磐に常磐に幸へ奉り。親王。諸王。諸臣。百官人等。此の郷(さと)の刀禰男女。天下四方の国の公民(おほみたから)に至るまでに。平けく安けく守り福(さきは)へ給へと頸根突き抜きて。新しき年の始の朝日の豊栄升に。称言竟へ奉らくと申す。


 これも冒頭部、松や竹を装飾していないと使えないですね。
 でも普段「平けく安けく聞し食して」に慣れているので「大御心もうらけ。豊明に聞し食して」がとても新鮮に感じられます。
 しかしながら敬語について、「堅磐に常磐に幸へ奉り」の後に「給ふ」を補う方が良いと考えます。その後の「守り福へ給へ」の「給へ」が全体を受けているとも言えますが、上ご一人に関しての祈願と、それ以外の下々の者に関する祈願に分けた方がすっきりするからです。



 どちらの祝詞も、けっこう短いですよね。詩のように言葉を厳選することで、最小限を申し上げようとの志向かと思われます。私自身はごたごた飾るのは嫌いなので、こういう祝詞の方が好きです。