(1)はじめに


 現代の祝詞において、その祝詞を奏上する場が神前である場合、「大前」という語を用います。『祝詞例文集 上巻』(神社本庁編・神社新報社)によると、ほとんどが以下のような形をしています。


  掛けまくも畏き某神社の大前に宮司氏名恐み恐みも白さく


 その神社の神前で奏上するのではない祓詞の類では、「大前」は使用されていません。また、以下のように祖霊祭(春分祭・秋分祭の各祖霊祭)においては「大前」ではなく、「御前」を用います。


  掛けまくも畏き某神社の御氏子崇敬者諸の先祖らの御霊の御前に、某神社宮司氏名慎み畏みて白さく


 このように現在は神前であれば「大前」を、霊前であれば「御前」を用いますが、延喜式祝詞ではどうだったのでしょうか。


 調べたところ、「前」がほとんど、「大前」はわずかで、他に「広前」がありました。この「広前」は現在、そういう言い方もあるけれど、余り使わない、という位置づけです。また、「御前」は式祝詞には一例もありませんでした(院政期の「中臣寿詞」では「御前」が使用されています)。
 もう少し詳しく見てみましょう。


   (2)延喜式祝詞の場合


 延喜式の祝詞で最も多いのは「前」で、五十例ほどを数えます。
 例えば冒頭、「祈年祭」での用例を見ますと、


  天つ社・国つ社と称へ辞竟へ奉る皇神等のに白さく

  大御巫の辞竟へ奉る皇神等のに白さく

  座摩の御巫の辞竟へ奉る皇神等のに白さく


 と、このようにほぼ現在の「大前」と同じような使い方をしています。
 また、「広前」とするものが以下の三例あります。


  天皇が大命に坐せ、恐き鹿嶋に坐す健御賀豆智命・香取に坐す伊波比主命・枚岡に坐す天之子八根命・比売神、四柱の皇神等の広前に白さく(春日祭)

  天皇が御命に坐せ、今木より仕へ奉り来れる皇大御神の広前に白し給はく(平野祭)

  天皇が御命に坐せ、久度・古関二所の宮にて、仕へ奉り来れる皇御神の広前に白し給はく(久度古関)


 さらに、現在の「大前」と全く同じ語例が以下の十例あります。


  伊勢に坐す天照大御神の大前に白さく(祈年祭・六月月次)
  荷前をば皇大御神の大前に(祈年祭・六月月次)

  天皇が御命を以ちて、度会の宇治の五十鈴川上の下つ石根に称へ辞竟へ奉る皇大神の大前に申さく(伊勢大神宮・二月祈年六月十二月月次祭)

  度会の宇治の五十鈴の川上に大宮柱太敷き立て、高天の原に千木高知りて、称へ辞竟へ奉る天照らし坐す皇大神の大前に申さく(伊勢大神宮・四月神衣祭)

  度会の宇治の五十鈴の川上に大宮柱太敷き立て、高天原に比木高知りて、称へ辞竟へ奉る天照らし坐す皇大神の大前に(伊勢大神宮・六月月次祭)

  皇御孫の御命を以ちて、伊勢の度会の五十鈴の河上に称へ辞竟へ奉る天照らし坐す皇大神の大前に申し給はく(伊勢大神宮・九月神嘗祭)

  度会の宇治の五十鈴の川上に、大宮柱太敷き立て、高天の原に比木高知りて、称へ辞竟へ奉る天照らし坐す皇大神の大前に(伊勢大神宮・同神嘗祭)

  皇御孫の命の御命を以ちて、皇大御神の大前に申し給はく(伊勢大神宮・遷奉大神宮祝詞)


 この「大前」の使用例は、一見してアマテラス大神の場合にのみ用いられていると分ります。同じ神宮のご祭神でも、トヨウケノ大神に対しては「大前」でも「広前」でもなく、単に「前」です。
 このことから「大前」はもとアマテラス大神専用だったのが、だんだん他の神様にも使われるようになり、今に至るのだと考えることができそうです。


  (3)「広前」の周辺


 では、広前はどうでしょうか。
 延喜式の祝詞群のうち、「広前」が使用されている「春日祭」「平野祭」「久度古関」はいずれも割と成立年代がほぼ分っています。
 「春日祭」が唱えられる現在の春日大社は奈良時代(天平年間説が有力)、「平野祭」「久度古関」の平野神社は奈良末から平安時代初頭(延暦年間)の創建です。


 もともと「前」が優勢で、アマテラス大神のみ「大前」を使用していた時代がまずあった。その後、「広前」とする祝詞が現れた、という順番はまず間違いないでしょう。
 でも、なぜ「広前」なのか。
 まず、アマテラス大神への遠慮があったから「大前」を避けた、ということは言えます。同じ「大前」を用いるのは恐れ多いわけです。
 しかしながら上記三折の祝詞作成時には、「前」では祭神に対して礼を失する、との意識が働いたのかもしれません。

 なお、「大」は形容詞の意味内容「大きい」の他に、敬意が含まれていると考えられています。
 
  大海(おほうみ) 大木(おほき) 大野(おほの)

 

 などは、形容詞としての意味でしょう。それに対して、


  大命(おほみこと) 大幣帛(おほみてぐら) 大御夢(おほみいめ)


 などは、それぞれ天皇に関る語で、敬意が含まれていると考えられています。


 一方、「広」についてはもちろん形容詞の意味「広い」はありますが、国語学では敬意を認めていません。


  狭き国は広(ひろ)く
  鰭の広物(ひろもの)
  広知(ひろし)り立て
  広敷(ひろし)き立て
  いや高にいや広(ひろ)に
  山川の広(ひろ)く清き地
  御横刀広(ひろ)らに


 固有名詞(「廣瀬」)を除く「広」の用例を全てあげてみました。


 ここで、仮に敬意の有無を天皇・神に関るかどうかで考えますと、御殿を「広知り立て」「広敷き立て」はかなり怪しいと言えます。これは、「神集へに集へ給ひ、神議りに議り給ひて」の「神」の使用例によく似ていますが、この「神」もまた、一般に敬語とは見なされません。
 祭神の数が多いからその前は広い、だから「広前」としたとする説も有力ですが、神の「前」を表現しているところに敬意が働いていると考えることもできるのではないでしょうか。


 長くなったので明日につづきます。