昨日予告しましたように、工藤神主『松前神楽記』を翻刻したものをご紹介します。ただし勝手ながら内容の正確さについては保証しません(できればよいのですが)ので、あらかじめご了承ください。


―――――――――――――――


神楽初


面白や神に御神楽参らする参らせたりや重ね重ねに
面白や千代の御神楽参らする参らせたりや重ね重ねに
音に聞く高天の原に来て見ればあらいつくしの神の子ぞ立つ
よき駒に貝鞍置て庭に立て庭乗りさせて神迎ひせん
神の子が乗るとや言す此庭に手綱よりかく天の斑駒ま
此の宮の参りの門に松植えて松諸共に久しかるべし
此の宮の八隅に備ふ神たから八種十種の神たからかも
此の宮をあたらし宮と誰が申す八千代の米のふるやなるもの
此の宮にいのり申せば世をぞよきいのりも叶ひ幸もかなふ
所神さこそ嬉しくおぼすらぬすきある毎に神遊ばしも
君が代の久しかるべき例へにもかねてぞ植へし住の江の松
ゆるくともよしやぬけじの要石鹿嶋の神のあらん限りは
春は花夏は橘秋は菊 その姫松の幾代経ぬらん
行ひて清く清しと行ひば上をも下も濁らざりけり
入りまさば早入りませや障りなく障らぬはしに障るくまなし
喜びになを悦びの重ぬれば今日の悦びことにめでたし


正神楽


青幣たぐさの枝にとりかへて唄へばあくる天の岩屋戸
面白や内侍所の御神楽や唄へばあくる天の岩屋戸
音に聞く高天の原に来て見ればあらいつくしの神の子ぞ立つ
東山小松かきわけ出づる日の照らん限りは豊かなるかも
常闇も照らす御影は隔てなくいまもかしこき月読の神
ふりたてよゆらぐ五十鈴の音にこそ神んみこころもあざやかに澄め
高山の末のいぶりをかきわけてゆたけき国と神や掌るらん
神の庵ら岩にそめへてかけ造る田な辺の浦の船の浮はし
神風や伊勢の早わせ穂に出て花の盛りとなりにけるかな
すめらぎの天津御祖のみことのり伝へていのる大和諸人
神風や五十鈴の川の代々もへて絶えぬ流れと君を守らん
神風や山田の原の榊葉に心に注連をかけぬ日ぞなき
天地の神や守れと榊葉の末葉もとつ葉茂り合ふまで
神垣や八幡の神のあづさ弓いふせしつむる蝦夷が島ケ根
天照す神の教を益人の直き心をうけやたもたん
稲荷山杉の村立多けれど中なる杉は稲荷松か南
八雲立つ出雲の神を如何に思ふ大国主と人と知らづやも
八雲立つ出雲八重垣妻込に八重垣つくるその八重垣を
荒神やあら振る心まし〱な国つ社と祝ひさだめつ
大己貴少彦名のよろしくも造りかためし大八島国
西の海檍木が原の波間より現れ出づる住の江の神
北野なる千年の松の縁りこそ神の御影の常磐なるらめ
言波巻母最母尊不斗支大威綾助介給恵哉三吉大神


早拍子


山の神々の遊や奥山の外山かさきの榊葉かもと
足曳の山の響きておと〓なし八つ雷はたけき雷ち
行ひて清く清しと行ひば上をも下も濁らざりけり
入りまさばはや入りませや障なく障らぬはしに障る隈なし
幾秋も千秋長秋八束穂に幸ひ玉ふ水くまりの神


次読上
神恩謝賽詞
次遊 拍子 神哥


榊葉に夕しでつけて払ふには神の社と祝ひそめたり
榊葉にゆふとりして誰世より神のみむろと祝ひそめけん
榊葉を立舞ふ袖の追風に靡かぬ神はあらしとぞ思ふ
八乙女は誰が八乙女と天にます豊岡姫の神の八乙女
榊葉の香をかくはしみとめくれば八十氏人のまとゐせりける
天にまし豊岡姫の宮人も我が心ざし注連な忘れぞ
神路山榊も松も茂りつつ常磐堅磐に宮ぞ久しき
榊葉に真澄みの鏡取り掛て曇らぬ御代を写してぞ見る
神垣や守る八幡の御注連縄掛てぞ祈る君が代のため
掛巻もかしこきとよの宮柱直き心ろのそらに知るらん
神風やみつのかしはに言問ひて立舞ふ神につゝみてぞ来る
朝夕に朱の玉垣うったゝき我手こたへぬ神もうけなん


早拍子
言葉(中拍子)(小拍子)(大拍子)綾
神歌一アリ 三鼓 神歌一アリ
拍子 一拝
心念 神歌一アリ
松前神楽舞楽神歌


幣帛舞


榊葉にゆふしてつけて払ふには神の社と祝へそめたり々
榊葉にゆふとりしてゝ誰が代より神のみむろと祝へそめけん々
面白や舞ふて納むる来る年も猶来る年も神迎ひせん々


福田舞


天津神国つ社とうけ守る君が栄を祝ひまつらん々


神容


神路ぎの岩間の清水凍るとも待つときならぬ神の御心ろ々
鈴ふればみこえも声も玉とかや千代ふる神の社なる世は々
舞まはゞやをこそまはめ和らかに飛行鳥も羽をやのしらん々
君が代の久しかるべきためしにはかねてぞ植へし住の江の松々
神むみ子の衣もの袖わ広けれど巣籠り山の蝶の織りもの々
住の江の松は社にあらねども立つ来る波のよりてたのまん々
扇手の千々にあふぎて拝むには面白しとや神もうけなん々
面白や舞ふて納むる来る年も猶来る年も神迎ひせん々


同散米の手 歌節は湯立と同じ


舞散米に鈴とり添ひて拝むにはあな面白の神笑楽きまし々


同五方 立つ言葉


面白しとや面白や(トウレイ、カアラア、トウレイ、トウゾ、)
東方(鼓一 発声 ウチン、コウレイ、コウソン、コウレイ、コウゾ、)東方


早拍子 言葉

面白しとや面白や(トウレイ、カアラア、トウレイ、トウゾ、)
南方(ウチン、コウレイ、コウソン、コウレイ、コウソウ、)南方
面白しとや面白や(トウレイ、カアラア、トウレイ、トウゾ、)
西方(ウチン、コウレイ、コウソン、コウレイ、コウソウ、)西方
面白しとや面白や(トウレイ、カアラア、トウレイ、トウゾ、)
北方(ウチン、コウレイ、コウソン、コウレイ、コウソウ、)北方
面白しとや面白や(トウレイ、カアラア、トウレイ、トウゾ、)
中央(ウチン、コウレイ、コウソン、コウレイ、コウソウ、)中央
(言葉)あら散米や塩散米や舞散米やしらべ揃へて舞謡〓よや


同神酒の手


みかのべを鈴とり添ふて拝むには あな面白の神笑楽きます々
舞ふて納むる来る年も猶来る年も神迎ひせむ


鈴上舞


みさかみは鼓ミ太鼓はなればこそ花のわが子の舞遊ぶらめ
鈴振ればみこえもこへも玉とかや神の心も静かなるらん々
ふり立てにゆらぐ五十鈴の音にこそ神む御心もあざやかに澄め々
音に聞く高天の原に来て見ればあらいつくしの神の子ぞ立つ
面白や千代の御神楽参らする参らせたりや重ね重ねに
八乙女は誰が八乙女と天にます豊岡姫の神の八乙女々


鶏名子舞


庭の鳥いかなる神のつかへにて神の社を踏み始むらん々
鈴振ればみこえも声も玉とかや千代経る神の社なりせば
舞まはじやをこそ舞いめ和らかに飛行く鳥も羽をやのしらん
小夜更けて向ひの岸を見渡せば神の御船のぼりてぞ行く
帆かけ船神の社にあらねども波のしらゆふたつて見へけり
扇手の千たひ あをきて拝むには面白しとや神もうけなん
舞ふて納むる来る年も猶来る年も神迎ひせん々


同舞散米地渡


舞散米に鈴とり添ふて拝むには面白しとや神もうけなん


同 拍子 言葉


渡たさまや雲にかけはし渡さまやみづ穂の米のふり渡さまや


利生舞(神楽舞と改む)


鈴ふればみ声も声も玉とかや千代ふる神の社なるもの
扇手に千たひあふぎて拝むには面白しとや神もうけなん
天にまし豊岡姫の宮人も我が心さし注連な忘れそ
榊葉にますみの鏡とりかけて曇らぬ御代を写してぞ見る
掛巻も恐こき豊の宮柱直き心の空らにするらん
神風やみつのかしはに言問て立つ舞ふ神につゝみてぞ来る
東山小松かきわけ出る日の照らし限りは豊かなるかも
舞ふて納むる来る年も猶来る年も神迎ひせん


四個散米

〓 拍子 掛ケ声


ハア アリラア。アリラア。リラア リハア。
アリラアア――リラリ――。ハイヨイ。


荒馬

拍子 掛ケ声

サイヤ サイヤ。アラムマサイヤ。(末は福田舞に仝じ)


千歳 (言葉)

発。千歳とふ辱けなくも悦びといへる文を得て
次。則ち処知る儀謡ひて――


拍子 掛ケ声

打出し ハアッ アイヤ・・・  ・・・
止メ ヨウイ・・・ ヨウイ・・・ ヨウイ・・・・・・ハアッ


早拍子 仕舞

翁舞 言葉


翁。よな田の松か住吉の松かなるや瀧の水
拍子。日は照るとも常に大泉と――
翁。なある瀧の水


拍子言葉 イハァ リトウロウーイ・・・・・・イ・・・・・・
     イーハアーリイートウーヲーロー

とふしたらりやられとう


清浄や内侍の翁といふ翁やさきに生れ出意さら出て年競べせんや
姫小松老楽は来に帰〓かやとなり出精の和合


早拍子


天照皇太神の申しませ玉ふ図巾の表を顔にあて狩衣の袖をひるがへし
ふりもとしひとかなて舞ふたりや〱舞ふたるためしの嬉しさや――


早拍子


〓代川の池の亀は――
甲には三光の星の玉を頂へてまッた我朝の鶴わ千万歳を唄ふたり


早拍子


千秋栄歳の〱御斎の舞なれば上には天長下も地久
御願 円満 息災 延命 応擁 聚楽 出精と祈り申すも唯此君を百世百代
千世五万歳か世の間仰ぎ奉る


早拍子(終了)


右めにきり〱きつと参って候 いや〱それよりも唯今参ゐたる
三番さるがうと申はせい低う色黒う それに劣らず大〓をさしかざり
あゆふめんが打つたる木の面をとりて顔にあて 向ひ走らせ玉ふ
鹿島大神の召したる葦色馬には追ひつかず 其処を通る原子伝九郎爺の小髪を取りて
鬢鬚にとりてちりつけ渡られきり〱きつと参ゐつて候
百世百代千代五萬歳が世の間 地をしつとりと踏み鎮めんが其の為に
三島拍子も八拍子 鹿島拍子も八拍子 十六拍子おつとり添へて一とさし舞はゞやと
存じ参らせ候


(拍子言葉)いや〱とんぼう(蜻蛉)


鹿島なる要の石の石弓の放つ矢先にはらひてしかな
すめらぎの天津御祖の詔り伝へていのる大和諸人
神の子が乗る馬とや言す此庭に手綱よりかく天の斑駒ま
此宮の八隅にそなふ神たから八種十種の神たからかも
所神さこそ嬉しくおぼしらぬすきある毎に神遊ばしも
天地の神や守れと榊葉の末はもとつ葉茂りあふ迠で
面白や舞ふて納むる来る年も猶来る年も神迎ひせん


早拍子


雄獅子上


青幣手ぐさの枝にとりかへてうたへば明くる天の岩屋戸
千早ふる神の社の斎庭乗り葦毛の駒に手綱よりかく
ゆるくともよもやぬけじの要石鹿島の神のあらん限りは
鹿島なる要の石の石弓の放つ矢先に払へてしかな
釼太刀かけて祈らん熊の山昇る旭に照し神かけ
熊野路の音無し川に水増して心も身をもみそきしにけり


同五方


立寄る門はよろじよし祈りもかなへ幸もかなふ


同糸祓


打ち払ふ注連いの風に祓はれて心に掛かる雲霧もなし
青柳の糸よりかくる春風に晴れ行く空も縁りしにけり


同十二手


神子の手に鈴とり添ふて拝むには神の心も笑楽ますらん
渡さまや雲に掛橋渡さまや米撒き通ふる神の通ひ路
君が代の久しかるべき例しにはかねてそ植えし住の江の松
住の江の松は社にあらねども立つ来る波のよりて頼まむ
帆掛松神の社にあらねども波の白ゆふたつて見へけり
小夜更けて遠方岸を見渡せば神の御船の昇りてそ行く
面白や舞ふて納むる来る年も猶来る年も神迎へせん


面足獅子


姫神のいてまし道に綾をはり錦を敷へて神迎へせん
旭さし夕日輝く熊野山参らす人の袂と照ららん


三方歯〓にて 終了


神送り


天照す神の教を益人の直き心をうけやたもたん
神垣や八幡の神のあづさ弓いふせしつむる蝦夷が島ケ根
春日山松吹風の高ければならに聞ゆる万代の声
稲荷山杉のむら立多けれど中なる杉は稲荷杉なり
朝間をば祈りまをせば御代もよき祈りもかなひ幸ひもかなふ
火室戸に立てし伊ふりの今も猶絶す栄ゆる神のきねかも
旭さし夕日輝く熊野山参らす人の袂照さん
踏ならす 〓の神の宮柱動きなき世と立る岩ケ根


同五方 立ツ言葉


是よりも東方には神の数七千七百七十七の神立ツてます〱神重寂行の車に召して
逢ふや御先きに障る隈なし〱
東山降り来たる雪の数よりも猶多き者は神の御社々

是よりも南方には神の数七千七百七十七の神立てます〱神は重寂行の車に召し
逢ふや御先きに障る隈なし〱
南海浜の真砂子の数よりも猶多き者は神の御社々

是よりも西方には神の数七千七百七十七の神立ツてます〱神重寂行の車に召し
逢ふや御先きに障る隈なし〱
西海や打ち来る浪の数依も猶多き者は神の御社々

是よりも北方には神の数七千七百七十七の神立つてます〱神は重寂行の車に召し
逢ふや御先きに障る隈なし〱々
北山や吹き来る風の数よりも猶多き者は神の御社々

是よりも中央には神の数七千七百七十七の神立つてます〱神は重寂行の車に召し
逢ふや御先に障る隈なし〱々
大空や出る星見れば雲晴れて此処も彼処も神の御社々
奥山や真木の舞板起しには四方に宝らあるとこそ知れ々


注連払ひ


釼太刀とく切りたつてうち払ふ注連位の風に雲霧も無し


以上


右神事は、神楽の初め・正神楽・御湯立・惣神拝・四方拝等、合せて弍拾八座。参年毎に松前城主祭主となり、十一月十五日松前城内に於て執行したる者なり。城主祭主にならざる時は、八幡神社神官をして祭主たらしむ。此の時は祭主を御名代となす。


右明治四拾年一月十五日 福山郷社八幡神宮元神官和賀氏御持品より写す
黒〓千作識


神歌


千早ふる神の青垣に弓張りて大矢先きにわ醜め通はす
放つより放たざりけり葉の弓八幡の神のつかひなりせば
この庭に神こそ遊べ梓さ弓引きもよらなん八幡の神
月にしら男の子ゆるくとも此のこはかりわゆるむ事なし
天に打揚げ地に蒔へそめて四方の神は受けて悦ぶ


【注】原文をそのまま翻刻しています。ただし踊り字について、ここでは横書きなので平仮名の「く」のように見えるようになっています。「〓」は読めなかったところで、何だか肝心なところが〓になっていますけれど、実際に松前神楽を演じる方には簡単に読めるものが多いように思います。


これは最後の方に書いてあるように、明治40年1月15日、黒何とか(これが肝心なところなんですが)千作さんが、和賀さんの持っていた『松前神楽記』を筆写したようですね。「福山郷社八幡神宮」は現在の徳山大神宮(松前郡松前町鎮座)のことと思われます。